第41話
(その41)
「残り!!五!!」
リーズの叫びともとれそうな声高な声がベルドルンの耳に響く。
互いに合わさる背の熱と汗が離れてはまた、重なり合う。その度にベルドルンは互いがまだ生きていることを感じる。
「リーズ、君の所まであとどれくらいだ?」
「二百歩…、ってとこね」
リーズの言葉に頷くと細く切れ長の瞼の下から眼が横に動く。
いや、動いた刹那、
屈みこんで突き出した片手の長剣の先に重さが伝わる。伝わるとそれを思いっきり横殴りに払いながら、重さを漆黒の暗闇に放り込む。
暗闇の遠くでドスンと重くて鈍い音が響く。
それを聞いてリーズが言う。
「あと…四!!」
ベルドルンが頷く。
ベルドルンは長剣を胸元に垂直にするとそれを暗闇の先に静かに伸ばす。片方の手は杖を握っている。
息を整える二人に向かって夜の静寂は静かに黙りこみ、彼等を包んでいる。
「その長剣、弧を描くように切るものじゃなかったのね」
「この剣はレイピアという。私は腕を回転させたりするのはあまり得意じゃない。体力も激しく消耗する。それに自分の性格としてどうも一撃必殺と言うのが好きでね。だから派手な剣技よりも、蠍のような相手を一撃で倒す方が自分には合うのさ」
くすりとリーズが笑う。
「その様ね。まぁ飛び掛かってくる獣にはあんたの突きがいいかもね。串刺しにさせやすいから」
ベルドルンが笑う。
「だが派手さがないから、嫌がる奴も多い。もし私も子供が出来たら、こんな剣技ではなく弧剣の使い手になってもらいと思ってる」
「こんな時に子供の話?」
リーズは思わず、吹き出しそうになるのを堪えた。
「おかしいか?」
「おかしい。こんな戦いの場で、そんな話はね」
二人は言いながらゆっくりと腰を鎮める。それから互いの剣を闇の影を探す様に切っ先を揺らす。
「君の父上も、銃を使うのであれば私と一緒だ」
うんとリーズが頷く。
「同じね。ここから生き延びたら是非、父と一騎打ちでもしてもらうわ」
ベルドルンが笑う。
「そうだな、いずれその時が来よう。それまで腕を磨かねばな、君の父上も相当の手練れのようだから」
ベルドルンの言葉が切れぬうちに夜の暗闇から濃い影が動き、二人に向かって左右同時に飛びかかって来た。
リーズは一瞬でそれを避けると、腰を低く落とし片足を軸にしながら一方の足を地面這う風のように素早く回転させる。
風となった足の踵に獣の肉が当たる。
獣は叫びと共に暗闇の向こうへと消えようとするが、そこをリーズの体躯がのしかかり炎の短剣で獣の首元を裂く。鮮血が飛び散ると同時にリーズが獣から離れ、ベルドルンを返り見る。
不思議だがこの短剣の炎は消えない。どんな仕組みか?、そう聞きたくなるくらいの余裕が有った。
「ベルドルン!!」
その声が届いた時、ベルドルンは剣を天へとかざしてそれをゆっくりと暗闇に向かって払う。
暗闇の向こうに鈍い音がする。
二人は再び背を合わせるようにして暗闇に対峙する。
「瞬殺ってやつ?」
リーズが苦笑する。
若者も苦笑しているようだった。互いの気持ちを気配で感じる。
リーズは正直心の中では感嘆している。これほどの腕前だとは思っていなかったからだ。
このワーグは狼と遜色ないどころか本当はそれ以上の体躯能力がある。
戦う前は一人で走り逃げ切れると言ったが、それは正直、五分五分だ。
この獣たちの足であれば、逃げたとしても家の手前で彼等から背に攻撃を受けて地面に倒れ、ひょっとすれば喉を牙で裂かれているかもしれない。
上手く、父親が異変に気付き銃で威嚇でもすれば助かるだろうが。
それが今や後一匹を残すのみで、全てを葬った。
ちらりと短剣を見た。伸びる炎が自分を照らしてるのが分かる。
刀身は血で濡れていた。
もし輝くこの刀身で自分の相貌を見れば今の自分はどのように若者に映るだろう。とても着飾ったシルファの貴族たちの娘たちのように美しくはないだろう。
山岳の厳しい生活の中で、冷たい山風や厳しく照り付ける日差しの為に焼けて固くなった肌、そして殺戮した獣たちの返り血にまみれた鮮血の相貌と唇。
「美しい動きだった…」
若者が言葉を漏らした。
「厳しい世界を戦っている者のみが持ち得る美しさだ」
はっとリーズは驚いた。
若者が剣を地面に突き刺し、自分の手に触れたのだ。
それは優しく動き、とても戦いの中に生命を賭している者のような温度ではなかった。
それを手に取るとリーズに言った。
「この短剣は、切っ先に小さな鉱石があって、そこに火が付くと容易に血などは消えない。我々はこの短剣を『
言うや、短剣を暗闇にベルドルンが投げる。
「暗闇に隠れている敵を探す明かりにもなる!!」
炎が回転しながら暗闇を照らしていく。照らし出された炎の先に巨大な影が映った。
リーズにはそれがはっきりと見えた。
それは今まで二人が葬ったワーグ達よりもひときわ大きな存在、巨大なワーグだった。
照らし出された炎に驚きながらも、牙をむき出しにしてこちらへ躍りかかろうと獣は地面を蹴った。
――が、しかし
「あそこだ!!」
ベルドルンの声が見えぬ闇に潜む誰かに向かって叫ぶ。
その瞬間、
バァーーーーーーン!!!
闇を震わすような激しい銃撃音が響いて、跳躍して飛びかかろうとした巨大ワーグを横殴りに吹き飛ばした。
その瞬間にベルドルンは剣を持って一足飛びに跳躍すると空で回転しながら、巨大ワーグの首から喉へ向けて、剣を突き立てた。
巨大ワーグは痙攣をしながら、そのままどうと静かに巨大な体躯を横たえた。
「ベルドルン!!」
言いながらリーズが駆け寄る。ベルドルンは身体を不器用に動かしながら地面に炎を出しながら転がる短剣を手にした。それを走り寄って来たリーズに手渡す。
「さぁ、こいつを持ってくれ」
それから長剣を獣の首から抜き出すと、血を払った。
「全て、仕留めたな」
ベルドルンはそう言いながら剣を鞘に納める。
リーズは言葉を忘れて目の前に立つ若者を見た。
リーズの側を瞬時に離れ暗闇に舞い、ワーグに止めを刺したその躍動。
まるで山岳の頂に住む鷹が獲物を見つけた時のような、殺戮を行うための死鳥の舞ともいうべき速さを兼ね備えたその剣技の一撃。
素晴らしい剣士なのだ、この若者は。
リーズは暗闇で心が震えた。
その震える暗闇から声がした。
「客人!!」
言ってから何かがベルドルンに飛んできた。それをベルドルンが受け取る。
杖だった。
リーズは声の方を振り返る。すると暗闇からコツコツと装具が地面を突く音がして、炎の明かりの中に男が現れた。
「父さん…」
髭を撫でるように男が頷く。
それから顎でベルドルンを指す。
「娘があんたを家に泊めると言ったきり帰らないものだから心配していれば、狼煙弾の音が聞こえた。それで娘に危険が迫ったのだと思って急いで外に出てみれば、危険の主はあんたじゃなくてこいつらワーグの連中じゃないか」
言ってから横たわる巨大ワーグの死体を見つめる。
「中々の手際の様だな」
それから良いとも悪いとも言わぬ顔で言った。
「家に泊めるなら、納屋だと娘には言ったが…、娘がこいつらから命拾いしたなら母屋で泊まって貰うしかないようだ。だが、怪我が治れば出ていってもらうぞ。お前が竜人族なんて知れちゃこっちは大騒ぎになる」
言ってから背を向けた。
「同族のよしみとかじゃない、娘を助けてもらった恩だ。だから客人として扱う。それからくれぐれも言っておくが怪我が治るまでだ。いいな」
それから闇の中に消え入る。消え入りながら声がした。
「俺の名はロー、アイマール王国の砲撃兵だ」
それから何も聞こえない暗闇になった。
ベルドルンは短剣の炎に息を吹きかけた。それで短剣の炎が消え、辺りは月の輝く世界になった。
彼はやがて杖を突くと星に照らし出されて浮かび上がる道を歩き出した。
その横にはそんな彼を支えるようにリーズがそっと手を添えていた。
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