第113話

(113)


 ミライの指を動かす動きは何かその場に異様な力を呼びこんだのかもしれない。その場にいる全ての者がミライを覗き込むように気持ちを降り注いでいる。

 誰もが未だ知らぬ、彼自身に隠された秘密。

 それを彼は一言だけ言った。


 ――僕には一つだけある。

 誰も知らない力が…


 それを覗き込む者達。

 シリィ、

 ロー

 ベルドルン

 いやそれは正に迫りつつある翼竜(ワイバーン)ですらも

 ミライの一挙手一投足を見ている。

 その錯綜する思いの先で交差する人びとの思いとは。

 それは

 期待と希望でしかない。

 そしてこの場に呼び込んだ力とは果たして何か?

 額まで垂れる黒髪の下で動く指が止まった。そして静かに左目を閉じたまま、彼は背後に立つ二人に言った。

「僕を寄りあの竜の側へ」

 言うとミライは焔杖(イシュタリ)を手にすると前と進みだす。その背に誰もが声をかけない。シリィはその背に何も言わない。唇を真一文字に強く締めると後ろを振り返った。迫り来る危機を前に愛すべき人が進むのを止めない。もし愛すべき人に破滅が訪れれば、後は簡単なことだ。

 自らも命を絶つ。

 その覚悟があるからこそ、今、愛すべき人の力に全てを託すのだ。


 ――信じている。

 

 何ていう言葉は何の約束もできないちっぽけな自分自身への慰めの言葉だ。だが私はそれでも今この瞬間、確かに信じている。

 彼を。

 嫌違う。

 運命を切り開こうとする人が持つ希望が引き起こす力を。

 シリィは弓に矢を番えた。

 そしてミライへ言う。

「行ってミライ。鷲の嘴の先端へ」

 力強く放たれた矢がミライの耳側を抜けて空へ放たれた。それは迫りくる竜の意識をこちらに向ける為に。

「あなたの見えない左は私が護る!!」

 左腕に包まれる温もりをミライは感じた。瞬間、不意に溢れる思いがあった。それは長年閉ざされた何かを溶かす言葉。

 ミライは込みあげる感情の中で下を見た。

 見れば蟻が見えた。

 危機迫るこの瞬間の時に、大地を這う様に歩く蟻の姿が見えた。

 ミライは思った。


 自分は今何事も恐れてはいない。

 それは

 今ここに…


 ミライは右手に握る焔杖(イシュタリ)をかざす。その杖先に炎が灯る。灯る炎を迫りくる脅威に向けた。


 ――来い、僕はここに居る。


 迫りくる竜が確かに自分を見たのがミライには分かった。竜が巨大な顎を広げ、無数の竜牙を見せたのだ。

 その瞬間、ミライは焔杖(イシュタリ)を竜に向け、右手でシリィの手を強く引き寄せた。

「ロー!!」

 叫ぶミライの声。

「ベルドルン殿!!」

 呼ぶミライの声。

 竜牙の数が分かる程の距離でミライは閉ざしていた瞼をゆっくりと開いた。


 ――ミライ、お前のその左目の力。

 それはいつか愛する者を護る時が来るまで隠しておくのだよ、いいね。


 今まさにその瞬間が来たのだ。

 

 ミライは目を開いた。

 目を見開き、迫りくる竜を凝視した。大きく口を開いた先に見える竜牙の一つ一つを、風に揺れ動く竜の鱗の一つ一つを

 そして自分をまざまざとみる竜の瞳孔を。

 ミライが見開いた瞳、その異常さを竜は感じたのか、大きく咆哮した。

 

 見よ、

 竜が見たミライの瞳を!!

 

 額に垂れる黒髪の下から覗くそれは赤き眼球の中で浮かぶ黄色い角膜。その黄色い角膜の中で見つめるのはこの世界を冷たくさせる黒き瞳孔。

 もし山岳に生きる者であればそれを誰でも知っているだろう。

 その瞳は、

 山岳に棲む厄鳥。

 そう、それは万物を冷たい石に変える厄鳥(コカトリス)の禍々しき目だということを。

 ミライに隠された力とは。

 それは

 この世界の万物を石化させる力だった。

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