第67話
(67)
――鷲の嘴とはよく言ったものだ。
若者は自分の数歩先を疾駆する背を見ながら思った。
確かに遠目に見れば正しく鷲の嘴に見える。
弓を背負いながら走る背に緑に染めたマントが疾駆して巻き起こる風に揺れている。マントの端を揺らした風はやがて追いつく自分の頬を撫でて行く。その風の中にミライはシリィの気持ちを察することができた。
焦りとも焦燥とも言えぬ感情を含んだ風。それが自分達の未来の何を及ぼそうとするのか。そんな不安が入り混じっている。そんな気持ちをさっきから考えていた。
(おっと!!)
不意にミライは腰を屈めた。シリィが手で跳ね飛ばした小枝が反発して空を裂いのだ。
それを瞬時に条件反射で、すれすれに躱す。
「ミライ…」
シリィの声がする。
「ぼやっとしないで」
厳しい叱咤が飛ぶ。それに含み笑いをするとミライは杖を握りしめた。
――焔杖(イシュタリ)
祖父の遺物ともいえるこの杖を素早く右に払う。払うと焦げる臭いがした。羽虫を焼き殺したのだ。
「どうしたの?」
振り返ることなくシリィが問いかける。
「羽虫を焼いたのさ」
うん、とも声がせずシリィが立ち止まる。彼女が立ち止まる先に岩の切れ目が続いているのが見えた。それは細く、人ひとりが何とか背を横にして通れそうな狭さだった。その先に空が見える。
走り続けた岩肌の道ならぬ道はこの裂け目に吸い込まれている。それだけではない、風もこの裂け目に吸い込まれている。
裂け目の前で足を止めたシリィにミライが声を掛けた。
「ここを抜ければ、鷲の嘴はもう目と鼻の先だ」
シリィが首を縦に振る。
「…初めて私は来たけど、ここ通れるの?」
言ったシリィの背を追い越してミライが裂け目に足を入れる。
「大丈夫、抜けれるよ」
確信を持った強い口調でミライが答える。
「ミライ、ここに来たことがあるの?」
それに振り返るとミライが笑う。
「小さい頃にね、祖父と一緒に」
「そうなの?」
シリィの栗色の髪が裂け目から吹く風に揺れる。
「そうさ…。ここは入り口が狭いけど中は人がちゃんと通れるようになっている。通称、僕と祖父の間では『霧風の道』と言ってね、この道の途中にはある鉱石が眠っているのさ」
「ある鉱石?」
「そう、むき出しにされた岩肌が長年雨風に打たれて結晶化された鉱石さ」
そう言いながら隙間へと身体を入れていく。そのミライの姿を追うようにシリィも足を踏み入れる。
互いに背を岩に向けて十歩ほど進むと、ミライの言う通り突然道が開いた。しかしそれでも大人二人が並んでは歩けない。
前を行くミライの先が明るくなった。その灯りは真っ直ぐ上へと伸びて行く。
見ればそれはミライが手にした杖先の炎が岩壁を照らしているのだと分かった。それがゆっくりと岩肌を照らしてゆく。
「見て、シリィ」
ミライの声に導かれるようにシリィが岩肌を見る。すると一面輝く鉱石が見えた。青く輝くその鉱石。シリィははっとして声を上げた。
「―――これは青色海洋石(ターコイズ)!!」
ミライが首を縦に振る。
そう、アイマールに生きる女ならば誰もが知っている。この鉱石は大事な時に身に着けられ使われるのだ。
――それは女の結婚の時、そして死別の葬儀の時に
「こんなところにあったなんて」
シリィは感嘆の声を上げた。それからそうか、と思った。ミライは具師だのだ。それでこの鉱石が採掘できる場所を知っていてもおかしくは無かった。青色海洋石(ターコイズ)の加工も具師の仕事なのだ。
「そうね…それでミライあなたは知っていたのね」
シリィが声を発した瞬間急に炎が消え、瞬時に闇が襲った。それから口に手が当たられた瞬間、力強く身体を伏せさせられた。それがミライだと分かってはいるが、何故という気持ちが起きた。静かな沈黙が裂け道に訪れる。
――静かに
囁きにも似たミライの声が鼓膜奥に響く。
(…ミライ?)
共に身を地面すれすれに屈めている。ミライは何か物音を察しているのか、意識を集中している。それで僅かに緩められた口元から息を吐いて、シリィが呟くように問いかける。
「……ミライ…」
「…静かに」
言うや急いでフードで互いに身体を隠す。
それからミライの息遣いが細くなる。
(ミライ…一体)
見つめるミライの視線が外を見ているのにシリィは気付いた。そこは自分達が向かうべき先。視線を追うシリィの視界に何かが映った。
それで思わず、はっとする。自分達が進むべき先に有る姿が見えたからだ。
見えただけではなかった。声が風に乗って運ばれきた。
「誰か、そこにいるのか?」
その声は正に祖父、ローの声だった。
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