第25話
(その25)
――何が見える?
その声に誰かが振り返った。
煌めく眼差しの奥に木漏れ日が降り注ぐ森が見える。
美しい小川もある。
小川の側に咲く草花、その中に小さく可憐にも健気に咲き誇る白い花が見えた。その花に細くて白い指が伸びてゆく。
指先が音もなく花弁に触れた。その花弁の裏に残る朝露が音もなく小川に落ちる。
落ちた波紋はまるで心の波紋のように広がり、やがて誰かの心の空を晴らしてゆくかもしれない。
見上げれば森の上を風に吹かれて雲が流れる。森の上の風が靡いて、白い指を絡めてゆく長い栗色の髪を揺らす。
細くて白い指が白い花の一片の花弁をそっと取り出した。
その指先に触れる栗色の髪先が風に吹かれている。
この情景を誰が創り給うたのか?私は問いただしたい。
問いかけに答えるものがいれば。もしかしたらゆっくりと時間を止める術を知らぬ手がこの風を撫でているのだ。
森を覆う陽の陽ざしが今、一斉にその人物を照らし出す。
降り注ぐ陽に照らし出された美しき君よ。
――この世界の輝きすべて封じ込めたその美しい姿を生涯私は忘れない。
それは
お前もそうだろう。
老兵よ、
今こそ・・
今こそ互いに分かち合った物を一つに帰そうじゃないか!!
ああ、風だ。
風が吹いている。
私の耳を。
幾年月も過ぎた私の耳の奥を。
今もあの時のあの美しさを撫でた風の温かさを感じる。
風が、
風が吹いているのだ。
そう、鳴り響く弓矢の戦場に於いても尚、君の撫でたあの森の優しき風の音が私の心の中に聞こえるのだ!!
「低く!!」
巨大な砂嵐のような巻き上がる風のなかで叫ぶ。
「低く身構えるんだ!!馬鹿野郎!!」
金切声が空を裂く。
砂嵐を巻き上げた翼が再び我らに向かう前に。
その絶叫に若い兵士が反射的に頭を下げた。
その瞬間、空を切るように黒く巨大な長い爪が兵士の頭上を過ぎてゆく。
黒い影は一斉に上空へと伸びて、弧を描く。
「ちっくしょう!!」
別の若い兵士が砦の城壁から立ち上がると空へと伸びあがる影を追うように銃を構えた。照準をその影の広がるそれへとつける。
「つば・・さ・・だ!!」
引き金を引く。
兵士の頬で激しい爆発音がして、弾が空へと放たれた。
空へと直線を描いて伸びて行く弾道。
しかし、それは影に触れることなく空の彼方へと消えた。
それを見て先程の兵士が声を張り上げる。
「馬鹿野郎!!弾を無駄にすんじゃねぇ。何度言ったら分かるんだ。やっこさんが面前に来るまで我慢してから、一気に銃の引き金を引くんだ!!」
「しかしダン隊長!!」
「しかしも・・・糞もないんだよ!!」
熊のような髭男が若い兵士に向かって手を振る。
「来るぞ!!身を屈めるんだ!!」
黒い影が城壁に頭を抱えて身を伏せる兵士の群れをなぞるように迫って来る。
「どけっ!!」
その声が切れる前に影が目の前を横切る。一瞬遅れた、髭男はそう思った。思ったより早く爪が伸びて来た。
「しまった!!」
影の大きな爪が伸びて、髭男の胸を掴んだ。声を出して、胸倉の鎧を掴む影の爪を握る。
「隊長ぉおお!!」
影に引くずられてゆく熊男の足踵が城壁に触れて、砂塵を巻き上げる。
「来るんじゃねぇぇえ!!」
髭男は転がるように引きずられながら腰のあたりを懸命に探っている。その様子を階段下で見ていたひとりの若い兵士が他の兵士を押し分け城壁へと駆け上がる。
「ダン隊長!!」
叫ぶや膝をついて、弓を構えた。
冷静に狙いをつけて矢を放った。
「いーーけっ!!当たれっぇええ!!」
砂塵巻き上がる城壁を放たれた矢が回転して勢いよく加速し、正確に影の背後に迫る。
影は首を回してそれに反応すると、握っていた髭男を城壁の外へ放り出して、放たれた矢を避けて空へ舞い上がった。
「おわぁぁぁ!!」
髭男が叫びながら腰で探り当てたものを離れて行く城壁に向かって投げた。それは縄の先に鋭利な爪だった。
「隊長!!!」
投げ出された爪が音を立てながら滑るように城壁の壁に引っ掛かった。
「掛かったか!!」
髭男が叫ぶ。
それで髭男は城壁にぶら下がり、地面への直撃を免れた。
「ロビー!!」
駆け寄って城壁から顔を出した弓兵に髭男が声をかける。
「早く俺を引き上げるんだ!!」
ロビーは急いで背後にいる兵士に目配せする。それに合わせて兵士が群れて走り出し、引っかかった縄を一斉に掛け声を上げながら手繰り寄せる。
「早く引きあげるんだ、早く!!奴が来る前に!!」
髭男が叫ぶ。
髭男の叫びに反応するように上空を舞う強大な影が大きく翼を広げて、空に響かんばかりの声を放った。
髭男はその声に歯を噛みしめる。
「この化け物めぇ!!」
ロビーが弓を構える。
「ロビーさん!!」
別の若い兵士が言う。
「いいから早く隊長を引き上げるんだ」
ロビーが上空を旋回する影を睨む。
「暴れ竜、ベルドルン!!化け物めぇ!!」
腕に力を込めて弓を絞る。狙いは暴れ竜の巨大は翼だ。
――俺はロー爺さんから聞いてるんだぜ
言うや気合と共に矢を放つ。
(せいやっ!!)
それは音も立てず、真っ直ぐに暴れ竜の翼へ向かう。
そして
矢は見事巨大な翼に突き刺さった。
おおおっぉ!!
城壁の兵士や塔から戦況を見ている騎士から一斉に声が上がった。
しかし、暴れ竜は別に恐れることもなく翼をゆっくりと羽ばたかせると風を巻き上げて、突き刺さった矢をいとも簡単に叩き落とした。
それを見てロビーが言う。
「やっぱ、こんなちっぽけな矢じゃ貫けねぇか!!」
ロビーの声に引き上がられる途中の髭男が城壁の下から言う。
「いや、ロビーそんなことはねぇぞ。矢の方が銃と違って音がしねぇ分だけ奴は接近が分からねぇんだ」
「隊長!!」
近寄る兵士の声にダンとロビーが振り返る。
「何だ?」
「あそこに!」
兵士が指差して叫ぶ。
その叫びに戦場に居た兵士が一瞬沈黙して、直ぐにそれを確認して全員が驚愕した。
――ま、まさか・・・!!
そう、誰もがその姿を見て思った。
空に影が見えるのだ。
それも暴れ竜と別の影・・。
「ど、どういうことだ・・!!」
ロビーが叫ぶ。
引きずられて城壁に手を掛けた髭男もその姿を見て、信じられないと言う表情をしていた。
――あ、あれは
そう、
その影は今まで戦っていた暴れ竜と同じじゃないか。
「誰か教えてくれよ!!」
ロビーが叫んだ。
「なんで、暴れ竜が!!二匹もいるんだよ!!おい!!何とか答えてくれよ!!」
その声は砂塵舞うカリュ砦の城壁を行く風に乗って空へと舞い上がり、やがて上空を舞う二つの竜の翼に吸い込まれていった。
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