第23話
(その23)
けたたましい馬蹄の音と武器を担ぎながら走る兵士達の声が聞こえる。
南の砦カリュへ向かう荒れ道はベルドルンが現れて以来、往来が激しくなっている。
あれから数日、ミライはシリィと共に畑に出ると畑側の荒れ道にその音が響く度、土を掘り起こす鍬の手を止めては道を行く兵士達の姿を見上げた。
大体にこの道を行く兵士達の顔は若い。
おそらくルーン峡谷の森の砦を経由して南へと向かう兵士だろう。
彼等は若い分だけ表情に恐れる感情が湧き上がっている。
それが若さだと言えばそれに尽きるのだが、対照的なのは老練の兵士達だ。彼等は一応に不安な表情をおくびにも出さず、鼻歌でも歌いながら進んでいる。
戦闘の経験を積んでいる分だけ、そのあたりが若い兵士とは違うのかもしれないが、おそらく戦いというのは不安を持ちこんではならないということが身に染みているのだろう。
不安が全体の士気を下げ、それが死を招くということを知っているのだ。
ミライはそんな進みゆく兵士達の群れを見上げては手の甲で汗を拭いながら手を止めて思うのだった。
(おそらく竜との戦いなど殆ど経験をしたことはないだろうな・・)
その一団が過ぎようとしたとき、その中にロビーを見つけた。
向こうもこちらに気づいたらしく、兵団の誰かに一言二言話すとこちらに向けて小走りに駆け寄って来た。
肩には弓を下げ、背に矢筒から伸びる矢が見えた。
「ミライ」
息を切らせながらロビーが言う。ミライは走り寄って来たロビーに籠の中から一つの果実を取り出して投げて渡した。
「お、こいつはリューカじゃないか?」
緑色の薄い毛で覆われている果実を手に取るとロビーが言った。
「そいつをやるよ。砦から走りっぱなしだろ?喉が渇いている筈だ」
「その通りさ」
言うや笑いながら、その果実の頭から皮を剥ぐと出て来た白い果肉を歯で齧った。辺りに果肉の甘くて熟れた匂いが漂う。
それからロビーの喉が鳴りながら動く度、果実の水分が身体の中に吸い込まれていく。
「こいつは大変結構な旨さだ。やっぱ夏はこのリューカが一番だな。堪らないくらい甘くて瑞々しい」
「シリィの裏山にいくつかあるのさ」
「そうかい?そいつは御馳走さんだった。ありがとう、シリィ」
ロビーが種を吐き出す。
「どういたしまして」
シリィがロビーに微笑む。
ロビーが辺りを見回す。畑は幾つかの畝があった。
「これから何を撒くんだい」
ミライが土に差した鍬に身体を寄せる。
「そうだな・・麦はもう遅いだろう。だからリュートでも撒こうかと」
「リュートか・・そいつは良い。猪肉などにはあいつが良く合うんだ。香りも良いし、今から撒けば秋には刈り入れるできるだろう」
ミライが頷く。
「それでどうだ?例の件は」
ロビーがミライの言葉に髪を撫でる。
「どうもこうもないさ。あれから毎日朝昼夕と奴さん律義に砦に現れては兵士共と交戦しやがる。それだけじゃない。辺りの畑を荒らしていきやがる。こちとらもう二度とアイマールには現れることは無いと思っていたんだから本当にたまったもんじゃないぜ」
ロビーが手にした弓の弦に手を遣るとそれを音もなく放つ。
「こいつなんかがあの暴れ竜に役に立つとは思わないが、無いよりましだと思ってね。まぁやっぱ空飛ぶあいつには銃か砲で対応するしかないのだろうけど」
ロビーの呟きにシリィが反応する。それを見たロビーがシリィに言う。
「爺さんとこには毎日若い砲兵たちが来てるんだろう?」
シリィが頷く。
「だろうな。なんせロー爺さんだけしか、あの暴れ竜と戦い、撃ち落とした奴がいねぇんだからな」
事実、あの日以来、ミライとシリィが畑仕事に出て行こうとすると、ローの元へ若い砲兵たちが訪ねて来る。
目的はひとつ。
どうすればあの暴れ竜を撃ち落とせるか、それを聞きに来るのだ。
シリィはそれを見る度、不安な表情をする。それは勿論、祖父が突然家を出て暴れ竜を撃つために南の砦に向かうかもしれないと思うからだ。
「だがロー爺さんは行くまいよ。南の砦には」
ロビーの言葉にシリィが顔を上げる。ミライも鍬に寄せた体を起こす。
「そいつはどういう事だい、ロビー」
ミライはロビーに問いかける。
ミライは不思議に思っていた。
あれほど暴れ竜との戦いに情熱を持っていた老人が、訪ねて来る若い兵士達の情熱に心揺れ動かされることなく、ただ何事もなく平然と黙々と過ごしている。
――仕損じた、仕損じた・・
深い後悔のように孫娘のシリィにも困らせるほど呟いていたのも、あれ以来ピタリと止まった。
既に心あらず、
故に、我関せず。
まさにそのような態なのだ。
その様変わりがミライには不思議なのだ。何が老人をそうさせたのか。
「あの暴れ竜が現れた日、ローは砦のダン隊長に呼ばれて共に王都に行ったんだ。勿論それはあの暴れ竜とどう戦うべきかをアイマール王や騎士団の面々と決める為にだが」
「だが?」
少し言い淀むロビーをミライが見つめる。
「・・ああ、頭・・まぁ隊長が言うには開口一番にロー爺さん、国王と騎士団の面々で言ったそうだ」
「何と?」
シリィもロビーの顔を覗き込む様に見つめる。
「“もう、身体の動かぬ老人は戦いには不要。自分はこれからの幸せを戦とは離れたところで見つめて過ごしたい。よって帰らせていただきたい”とね」
ミライとシリィは互いに顔を見合わせた。
――まさか・・
というのが二人の本心だった。
――過去よ、儂と
砲を構えて呟いたあの老人はいずこへ消えたのか?
その面影を追うミライの心にシリィの声が響いた。
「それは本当に?」
ロビーが頷く。
「間違いない。だから今回の件、ローはこの討伐隊には加わらず、予備隊としてもうすぐ来る夏至の日のシルファへの荷駄隊の援護になったんだ。
「シルファへの荷駄隊?」
ミライは一瞬、思いを巡らす。
――もうすぐその日も来るのか。
シルファへの荷駄隊。
それはアイマールの若者にとって夏の太陽に輝く隣国の繁栄に触れて山岳王国の苦しい労働から解放された生涯忘れられぬ旅になる。
しかし、その若者たちは今暴れ竜と戦うために南の砦に向かっている。
「今年の夏のシルファへの旅は誰が行くことになるのやら。俺を含めた若い連中は何人かもう南の砦に向かったというのに」
ロビーがそれを呟くと、遠くで彼を呼ぶ兵士の声が聞こえた。それに振り返り手を振る。
「じゃぁ、そろそろ行かなくちゃ」
ミライが頷く。
「生きて帰って来いよ」
ロビーが頷いて走り出したが、何を思ったか急に振り返った。
「そうだ、言うのを忘れてたよ。なんでも爺さん、討伐隊には加わらない代わりにルーン渓谷の最上にある『鷲の嘴』でつり橋を渡る荷駄の警護を申し出たらしいぜ」
「『鷲の嘴』だって?」
ミライとシリィが顔を見合わす。
――何故、そんな場所で?
それはルーン渓谷の最上にある広い岩場だ。遠くかれみれば鷲の嘴に見えることからその名が付いた。
普段は誰も近づかない。そこには何もない。ただあるのは鷲の嘴のように伸びた細長い岩の足場と峡谷から吹きあがる風だけだった。
そんな高所からの荷駄警護となればひとり銃を構えて、敵を迎え撃つということになるのだろう。
「まぁ、そこなら誰にも襲われず荷駄に近づく盗賊でも来れば撃つことができるってことなんだろう。老人らしい仕事と言えば相応しいかもしれないな」
そう言い残してロビーは笑いながら手を振る仲間の兵士の所へ駆けて行った。
去ってゆくロビーの後姿をミライとシリィは見つめながら、何故かとてつもない不安に襲われてゆくのを感じた。
それは暴れ竜への脅威とかではなく、それは自分達の未来に降り注ぎそうな、見えぬ雨のような脅威だった。
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