第30話
(その30)
――互いを分つものを一つに帰そうではないか
――互いの闇を問いかけぬ。
――それが賢明であろう?
違うか?
ミライの耳にあの日の老貴人の背後で揺らぐ暗闇の音が聞こえる。
それはやがて声になった。
今は不問にせよ。
それは互いに闇を持つ者として。
答えを急く必要もあるまい。
ミライは無意識に左の目を掌で覆った。激しい何か痛みがする。まるで何かの封印が解かれたような肉体の感覚。
それは老貴人の声が目の奥で響いているのかもしれない。
今思えば闇はどこにでもあると言うことを老貴人は自分に言いたかったのだろう。
――貴殿の闇も我々の闇も全てはどこかで繋がっている。
それを普段は陽の光の中で隠しているが、ふとしたことでそれは姿を現す。
その時まで待つしかないのだ。
具師殿よ。
ミライは顔を上げてその場にいる全員を見た。
祖父の言葉に蒼白になるシリィ。
振り返り時が止ったかのように佇む若者。
そして、
告白者である老人。
この中の誰がこのような結末を知りたいと願っていただろうか?
戦うもの同士が長い時間と血を分け合った者であったと誰が思うだろうか?
ミライは肖像画を見上げた。
――あなたもそれを願っていたのですか?
静かな眼差しがその場にいる皆を見つめている。
すべからず誰にも等しく。
「ベルドル殿よ、顔を良く見せてくれ」
老人が若者に言った。それに応えるように若者が顔を向ける。
その若者の白くて美しい相貌を見つめながら老人が言った。
「貴殿はベルドルンのように竜人族の特徴的な美しさを備えているが・・・しかしながら眼差しの奥に潜む視線の揺らぐ様、伏し目がちに誰かを見るしぐさなど娘のリーズにやはり良く似ている」
若者が目を伏せるように眼差しを老人に向けた。
「そう、特にその眼差し・・・子供の頃に陽の注ぐ森の中、美しい小川のほとりに咲く白い花を摘んで私に運んでくれた時の、はにかむ様な恥じらいを伴ったあの眼差しに・・・」
老人の言葉に熱が籠る。
その熱は人間としての情が燃える熱だろう。シリィもそれを感じたのか蒼白な顔を寄せて頬に手を寄せた。
「おじい様・・」
シリィの頬に手を寄せる。
「シリィよ。あまりの突然の事で驚いただろう」
言葉無くシリィが頷く。
「目の前の若者とお前が兄妹であること、竜人族の事・・そう、そして母が愛したお前の父が生きていると言うことも・・」
最後の言葉にシリィは言葉無く震えるように顔を伏せた。
ミライは闇を探るように言葉を老人へ投げかけた。
「一体・・あの老貴人と何があったのだ」
その問いかけに老人が眼を向ける。その眼差しが闇を照らす。
「ミライ・・・。お前が急に仕事に行くと言ったあの時、儂は不思議と予感していた。きっとお前の力、そう・・・この装具を作る力をベルドルン、奴が欲しがってお前を呼んだのだろうと」
言ってから装具を叩く。
「全て見通していたというのか?」
老員が首を横に振る。
「いや、そこまで儂には先を見通す力など無い」
言ってからミライを見る。
「だが、儂の五感が感じないではいられなかった。互いに同じ悲しみを持つ者として、過去に決着をつけるべき時が来ているのを。それを奴も感じているのだ。だからこそ、こう五感がざわつくのだと」
老人の言葉に誰もが固唾を呑んでいる。言葉が熱を帯びているのを感じたからだ。老人が孫娘の手をそっとのけると暖炉の方へ歩きだして、そこで立ち止まった。
暖炉の壁にランプに照らし出された老人の影が揺れる。
「この五感のざわつき、これは忘れようと懸命に藻掻いたあの沸騰するような滾りが体内を這いずっている音でもあり、それは互いの命の終わりが近く、再び最後の灯を燃え滾らしたいと願っている命のめぐる炎の燃える音でもあるのだ。そう我らは互いに武人なのだ!!武人とは何だ?ミライ?」
悲しい眼差しがミライを見た。
いや、それは若者も捉えた。
「それは戦いの中で死力を尽くすぎりぎりの瞬間でしか共に心許せ、真の話ができぬ定めの者を言うのではないか!!武人は死に場所を選ぶことができる、それを我らは今選び得たのだ!!」
老人は沈黙すると、静かに言った。
「話そう、奴との過去のことを」
老人の言葉が闇の中で炎のように灯る。それは暗闇の閉ざされた中の隠された道を照らしだすように赤々と燃え上がる。
「そして儂と竜人族との因縁もな」
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