第26話
(その26)
「二匹の暴れ竜・・・」
シリィが呟く。
その呟きにミライが眉をひそめた。
「ああ・・、あいつら。実は二匹だったんだ」
弓を地面に立てながら庭先の石に腰かけた兵士が頷く。
兵士は肩に大きな布切れを巻き付けている。そこには血が滲みでいていた。
兵士はロビーだった。
彼の血が滲みでいているのは肩だけではなかった。腕や膝、あらゆるとこに布が巻き付かれ、いたるところ血が滲みでいていた。
ロビーは怪我をして戦線を離脱し、怪我治療の為王都へ戻る途中、ここに立ち寄って砦の戦いについて二人の前で話し始めたところだった。
「きっと今頃、王都では騎士達や王がこの状況をどうすべきか、しかめっ面になりながら話し合ってるだろうよ」
言ってから「くそっ!」と小さく言って土事草をむしって、それを投げつけた。
「ロビー・・・、それで、カリュ砦はどうなったんだ?他の小さな村やその他の土地は大丈夫なのか?」
投げつけた先を見つめながら、ロビーは小さく「大丈夫さ」と呟いた。
「奴等、砦にしか興味がないのか・・まぁ周辺の田畑は被害をうけたが、それ以外は何も被害がない。奴らは毎日、砦だけを狙ってやって来るんだ」
「頭のダンは?」
うん、と頷く。
「隊長は大丈夫だ。一度、砦の城壁から落ちそうになったが、俺が助けた。それ以来、慎重になって危ない目には合っちゃいない」
「そうか」
ミライの言葉にロビーが首を縦に振った。
「しかし・・・本当に奴らが二匹だったとは思いもよらなかった、あれじゃこの弓なんかじゃ全然足りない。大きな砲や銃が沢山いるだろうよ。勿論、その為に多くの砲兵や狙撃兵が必要になるけどな」
シリィがロビーの言葉を受けて不安げにミライへ振り返る。ミライは首を横に振る。
――大丈夫、ローは行きやしないさ
そういう意味を含んで首を強く縦に振った。それで少しだけ不安を払ったシリィは、二人の側から離れて行った。恐らく、家の中に居るローを呼びに行ったのだろう。
ローは明日、ここを立つ。
遂に夏至がやって来るのだ。
昨晩、王都から一騎の騎士がやって来てローへ伝令を伝えに来た。
騎士は庭先で馬から降りて兜を取ると、脇に兜を挟みローの家の扉を叩くと、出迎えて膝まずくローの前で王の羊皮紙を広げて伝令を声高に伝えた。
――明日、シルファへの荷駄が王都より出発する。
砲兵ロー、
貴殿はルーン渓谷の最上にある『鷲の嘴』でつり橋を渡る荷駄の警護をするように。
言い終えると羊皮紙をくるくると巻いてローの方へ歩み寄り、膝まずいて手渡した。
「ロー、今南の砦では戦で大変なのだ。何分、王国の領内では年老いた兵士しかおらぬ。それに歴戦の武人をこのような閑職ともいうべき任に与えたこと、勇猛な武人の誇りに対して申し訳ないことだと思っている」
騎士は兜を被った。
ローはゆっくりと騎士と並んで馬の所まで歩いてゆく。その姿をミライとシリィが後ろから見ていた。
先を行く騎士が馬の手綱に手を掛けて、馬へ騎乗した。騎乗した騎士にローが声をかける。
「なぁにそのことは気になさらなくてもよい。元々この件は最初に王の前で儂が申し出たこと。この任務はこの老人にお任せ下され。南の砦の戦は若い兵士が輝くばかりの眩しい戦場で在れば、老兵など不要の事」
「そうか、ならば頼むぞ」
騎士はその言葉を残すと、一目散に馬を駆って駆け出して行った。
その騎士の駆け出した道を下って、ロビーはここにやって来た。
ミライはこの道がまるで自分達のミライに対して吉凶を伝えて来る運命の道のように思えてならなかった。
「二匹だと?」
その声にミライとロビーが振り返る。
声の先に装具をつけて立つローが居た。その横にシリィが立っている。その表情がどこか青白かった。
(何か、あったのか?)
ミライがシリィへ目配せする。
「それは本当か?ロビー?」
ローが念を押すように言う。
一度、首を縦に振ってロビーが口を開く。
「ああ、間違いねぇ。というか、俺はその二匹とやり合ってきたんだ。そんな嘘が付けるもんか!!」
言って弓を支えに立ち上がる。
「行くのか?」
ああ、と言って首を振る。
「夕暮れ前には砦に着きたい。そこで休んで王都へ行くさ」
ミライがシリィに目配せする。
それに応じてシリィがロビーの目に小さな袋を差し出した。それをロビーが手に取ると二人に言った。
「こいつは?」
「サイヤの実だ。それを粉にしたもんだ。これなら打ち身にも効くし、傷口に直接塗れば化膿止めにもなる」
無言でロビーが頷く。
「すまないミライ」
「気にするな。量が少ないから戦に出ている皆の分もないかもしれん」
「それでも無いよりはましさ」
ロビーはそれを懐に押し込むと「それじゃな」と言った。
弓を杖の代わりにして歩き出す。それはどこかひどく疲れていた。
その背にローが声を掛けた。
「ロビー!!」
うな垂れた背が振り返る。ミライもシリィも振り返った。
「その竜は腕があったか?」
(腕・・?)
突然、言い出したローの言葉にミライは思わず老人が何を言いたいのかわからないという不得要領な表情になった。
そのミライの表情を見て、シリィが耳元で小さく囁く。
「ミライ・・・、私がおじい様を呼びに行って暴れ竜の事を告げたら、不意にああやって呟いたの・・」
顔が青白い。
(成程、これがシリィの表情が青白い原因だったか)
ミライが肩を寄せてローを見る。
老人はもう一度ロビーに言った。
「どうだ?腕はあったか?」
ロビーは再びの問いかけに首を横に振った。
「ロー、すまねぇけど分かんねぇよ。俺達ゃ・・あの暴れ竜を撃ち落とすことだけ考えてあの大きな翼ばかり見てたんだ。腕何て、気にしてる余裕なんかなかったさ」
そう言うやロビーは背を向けて歩き出した。
それから見送る三人に対し手を上げると、やがて森の小道の影に消えて行った。
残された三人の側を風が吹く。
シリィの不安げな表情がミライを見つめてローを見るた。
「おじい様・・」
ミライがローを見る。
老人はさも愉快そうな表情をしていた。それが何故かミライには分からなかった。しかし老人はミライの疑問など気にすることなく心から愉快だと言うような表情で笑いだした。
あまりの感情の変化にミライが声を掛けた。
「大丈夫かい・・ロー・・一体どうしたっていうんだ?急に笑い出して」
するとその笑い声はミライの問いかけに突然止み、今度は先程の笑い声とは切り離されたような深い沈黙が訪れ、老人の身体包んだ。
あまりの老人の感情の変わり様にミライもシリィも唯、その場で黙るしかなかった。
老人は明日、ここを立つ。
その前にもたらされた二匹の暴れ竜の存在に突然豹変してゆく老武人の心の内の感情の波。
ミライは得も言われぬ不安に襲われた。それはシリィも同じだったのだろう。ミライの腕を強く握りしめた。
老人は二人の背を向けて、装具の足を地面につけて歩き出した。
しかし、その歩みは数歩で止まり、二人を振り返った。短く刈られた白髪の髪をゆっくりと撫でると口元に微笑を浮かべた。張り出した顎が動く。
「二人とも明日、儂はここを出て行く」
二人の耳に老人の声が響く。
老人が背を向けた。
「おそらく今夜、客が現れる。今宵はその準備をしておこうじゃないか」
老人はその言葉を残して、ゆっくりとその場を去ってゆく。
二人は驚愕した。
老人は確かに言ったのだ。
――おそらく今夜、客が現れる。今宵はその準備をしておこうじゃないか、と。
一体、誰が訪れると言うのだ?
ミライとシリィは互いに顔を見合わせて、老人が本当に言ったのかどうかを確認しようと老人を見たが、その問いかけを避けるように老人は夜が始まろうとする夕暮れの濃い影の中に消えて行った。
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