夢・デマ・他愛・魔性㉓
「え――っ」
直ぐに立ち上がることなど出来なかった。べったりと瓦礫の地面に張り付いた尻の更に後方で、辛うじて両手が寝転がらぬように支えているだけ――だが牛は殊理の悲観の通りには動かない。
横たわり、動けないまま修復を続けるその躯体の傍――その躯体を挟んだ殊理の正面――に腰を落ち着けると、殊理のようにその覚醒を待つ。
「あ、あの……」
「え? あ、ああ――ご心配なく。貴女を殺すつもりはもうありません。もう、どうでもいいことですから」
「え?」
天との交戦の最中、
天牛という神殺しを構築するためにクルードによってあの世界に召喚された時既に牛は四分の一程度でしか無かったが、今の牛はその半分程も残ってはいなかった。
そして。
都合八分の一に削られる最中で、牛は殊理を殺害する目的意識を、それどころか根幹に根付いていた“ヒトの形をした命を斬りたい”という欲動をも“切断”に差し出したのだ。
だからもう、今の彼は殺戮鬼などでは無いのだ――ただの一介の斬術師に過ぎないのだ。
「でも……どうして……あ」
未だ霊性を視抜く意志を宿す双眸は、死した筈の彼がこうして息を吹き返して起き上がった理由を見出す。
そしてその理由とは、天の刀の内に込められていた筈の牛が具象化した理由でもあった。
「あなたの身体……天と、同じ……」
その身に宿る
だと言うのに、牛の傷付いた身体はみるみる内に復元されていくのだ――まるで、横たわる天の躯体の傷が埋まっていくように。
「……いえ。もう、返します」
「返す?」
「はい。この世界に降り立ったその時から、勝手に借りていたんです」
「借りて……って?」
綺麗に戻っていく自らの掌に視線を落とした牛は、そして瞼を閉じて息を吐いた。
そこで復元は中途半端に中断され、逆にその身体はぱりぱりと綻び、崩れ出す。
「――っ!?」
「大丈夫ですよ――元に、戻るだけですから」
牛がどうして具象化を果たしたのか――天の躯体の内で燻り続けていた山犬の
あの鐘楼塔の麓で
何処に
若しくは時間的な跳躍までも降り掛かったならば時術さえも必要だ。
だがしかし、天牛という神殺しは斬術をしか選べなかった。剰え山犬のように変幻自在でも無ければノヱルのように器用でもない。だから新たに方術か弦術、そして時術を修得することも出来なかっただろう。
牛とて、天牛という神殺しとして構築されることに同意はしている。寧ろ天の方がそれを受け入れていなかった以上、自身がその与えられた役割を全うしなければならないと気負っていた。
だからこそ、斬術で以て時空を超えるという戦果を上げなければならなかったのだ。
そして、真理に到達した斬術ならばそれは可能だ。
二つの座標の狭間に“隔絶”があるのなら、それだけを切り捨てればいい。
二つの時点の狭間に“経過”があるのなら、それだけを切り落とせばいい。
真理に到達した斬術が齎す“切断”とは、凡そそのような魔術なのだ。
無論、
刀の内で天の闘いぶりを見ていた牛は、当人にそもそものやる気が無かったとしても、与えられた任務は一応誠実にこなし、こと闘争に於いては元来の傲りが好ましい方向に作用するからだ。逆に人間関係の作り方は目も当てられない部分もあったが。
だから自らが山犬より与えられた
だが結果は上々――いやそれを超えて破格だ。
その代わりに牛自身も更に半分を失い八分の一程度にまでなってしまったが、そのことに対して全く悲観していないのは、やはり八分の一程度にまで失ってしまったからだろうか――そんな疑問を浮かべる頃、牛の身体は完全に分解され、仄白い靄のように散った山犬の機械細胞群は天の躯体へと舞い戻り、
「――――ぁ」
「天さん?」
そして目を覚ました天は躯体を起き上がらせると、目を腫らして頬を紅潮させている殊理に気付き、何となくその頭を撫でる。
「心配を、かけてしまったようですね」
ふぅわりと笑むその表情は天に違いなかった。でも殊理は、本当にそれが天なのか、どうしても確かめたかった。
天だとしても、天では無かったとしても。殊理がこれからやることは変わらない。だけれどもそれをどうしても、確かめずにはいられなかったのだ。
「天、」
「天?」
ぎくりとした。ただ呼びかけただけだと言うのに――もう、解ってしまった。
もうそれは、天では無い。天の形をしているだけの何かだ。
「――――ぅ、」
堪らず殊理は涙した。自らの意思とは別の指示系統で、目は涙液を溢れさせている。
それを眺めて小首を傾げた天は、きっとその涙の原因は自分なのだろうなと目を細めた。
修復された筈の自身の内側に、どうしようも無い程に欠けたままの空白がある。
先程の交戦で繰り出した“切断”の対価として支払った躯体の損傷ならば山犬の
だから差し出した結果の空白の中に、彼女が涙する理由もきっとあるのだろう。どう見てもその涙は、自分がこうやって助かったことで訪れた安堵からの涙では無さそうだし――そう考えを纏めた天は、自らの躯体に刻まれたヒトガタとしての
そして背中に回した手で摩りながら、誰しもを安心させる筈の声音で諭すのだ。
「御免なさい、きっと私のせいで」
どん――――天は吃驚した。抱き締めた筈の殊理が、まさか自分を突き放すとは思ってもいなかったのだ。
溢れる涙はもはや洪水かダムの決壊かと言える程であり、だが力強く、嗚咽を飲み込んだ彼女は言い放つ。
「私なんて言わないの! あなたは、自分のことをこなたって……」
「……こなた?」
こくりと頷く少女。途端に懐かしさが込み上げ、遠く虚空の中に、影めいた幻視が映し出される。
「――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます