熄まない狂沁み⑩
「――
空想の牢獄。
幻想の行き詰まり。
願いの叶わぬ最果て。
何処にも行けない
レヲンの意思の込められた
地底都市ゲオルは神の軍勢による
未だ野晒しになっている亡骸には無念を叫ぶ魂が宿り、いくつかは魔獣に喰われはしたものの、
ざっと計算しても数千、いや数万にも匹敵する――それらの亡骸と魂とが、
その皮膚を透過した光は彼女の霊座へと目掛けて潜行し、そして無手となったレヲンの周囲に片膝を着いて具象した。
亡骸の多くは民間人だったが、魔術はそれが誰であろうと最適な武器へと変換する。
武器とは、敵を討つための手段である。彼女に扱える・扱えない、その武器の知識を彼女が持っている・持っていないに関わらず、その武器が具象されたその時に彼女はその武器の知識と戦闘手段を獲得する。
しかし幾万の魂は、武器としては歪な形で彼女の周囲に展開された。
それは、自分たちを滅ぼした悪の張本人を自ら討ちたいという彼らの憎悪そのものの形だ。
「――
具象したのは、
その中には、三日月状の刃を持った戦斧を携えた巨漢と、複雑な機構を擁した大剣を担ぐ女戦士の姿もあった。
そしてその二つの
旗に施された意匠――爪と牙とを剥き立ち向かう獅子の姿。
「ほう――やりおったか」
感嘆したクルードの手は魔術を繰り出すことを忘れた。それほどまでに壮観な――金色に染め上げられた、万の軍勢。
「――
今一度天高く槍旗を掲げると、開戦の声は地響きとなってレヲンの心象風景を蹂躙する。
その心象風景すら、その怒号を受けて荒野の合戦場へと、火が紙を焼いていくように移り変わっていく。
それを目の当たりにしたクルードは思わず笑い、堪らず嗤った。
レヲンを戦闘に群がる軍勢。後方からは射出された矢が飛来し、また撃ち出された魔術が襲来する。
それを壮観と、圧巻と称さずして何と言えようか――後方へと大きく跳び退いたクルードは、最後の仕上げにと忙しなく魔術を繰り出した。
矢継ぎ早に紡がれる百の魔術は
しかし霊座での戦い、屈服の儀とはつまり心の問題だ。
クルードにはもう狂気など無い。かつて魔術と技術の研鑽に励んでいた、或いは研究所でヒトガタの開発に精魂注ぎ込んでいた、
だがその正気は、狂気よりも遥かに強大だったと言えよう。そしてその矛先は今全て、レヲンという新たなる英雄の誕生と成長とに的を絞る。
「憎悪の果てにワタシを討ちに来たか亡者ども! いいだろう、貴様らの切願、叶わぬ愚考と思い知らせてやろう!」
クルードは知っている――一度取り込まれればこの魔術に出口など無い。魔術の構成を知り尽くした彼は、再びレヲンの細身に奇跡が舞い降りない限りは、魔術の在り方が再構築されることなどないと知っている。
そしてレヲンもまた、勿論それを知っていた。だからこそゲオル全土に散らばった、クルードが実験の果てに殺戮した者たちを取り込む時に、それが本当に正しいことなのかと自問したのだ。
こんな風に、戦争の道具のように使うことが正しいのか、と。
「――仔獅子、忘れたか!? 戦場に慈悲など無い! 貴様の迷いに付き合う敵などいない! 同様に、死した者に未来を語る権利など無い」
「――っ!」
魔術を繰り広げ、たった一人の身体で万の軍勢を迎え撃ちながらクルードは語る。
「未来は常に、生きる者の手の内にある。死者を弔うのは生者だ、ワタシのような亡者では無い」
飛翔する三日月の刃が、クルードの左腕を半ばから切断した。
「クルードさんっ!?」
「痴れ者が! 敵が傷つく姿に動揺する英雄があるものか! 貴様は死屍を抱いて獅子となるのであろう!? ならば我が死をも見事に噛み砕き、嚥下してみせろっ!」
振るわれた大剣の刃が、その右脇腹に深く斬り込んだ。
「この手で、神を殺すヒトガタを創り上げるという! 切願を! 貴様はワタシから奪うのだ! 命を! 未来を! 貴様がワタシから奪うのだ! ならば――」
「うん、大事に抱えて行くよ」
「――――いい、顔だ。だが、まだ幼いな」
雪崩れ込む軍勢を割り裂いて突出したレヲンの突き出した槍旗の穂先が、その胸の中心を深く抉る。
生まれた空洞はその内側からクルードの霊体を黒い闇の粒子へと霧消させる。
それを見届けて、霊座に犇めいていた万の軍勢――
遺されたレヲンはただ独り天を仰いで――そして、目を開けた。
◆
Ⅴ;
-Daydream,DeadEnd.-
――――――――――fin.
◆
「――レヲン!?」
「……ただいま、冥ちゃん」
疲弊しきった顔で笑んだレヲン。しかし直後、悔しそうに顔を歪め、大粒の涙を零して泣き伏してしまう。
「――っ、救え、無かった! あたしには、クルード、さん……っ!」
「レヲン……」
共に死を司る魔術を固有の能力として持つ二人だからこそ、冥にはレヲンの慟哭が痛いほど解った。
クルードを正気に戻すには
無我夢中で、それ以外に方法など見つからなかったとは言え。
剰えその魂を屈服させるために、数多の死を取り込みそれを活用した。
それが果たして正解だったのか、レヲンには知り様が無い。
だが。
「レヲン」
「……っく、……」
「あたしじゃ出来なかったよ。レヲンみたいに、この地底都市を滅ぼした悪を討つことは出来なかった」
「そうじゃない! その、滅ぼされた、人達の、」
「死んだ人達を利用したんだよね?」
「……っ! ……ぅ、……っ」
「それはあたしも同じだよ。誰かの死を利用しなければ、あたしたちは何も成し遂げることが出来ない。あたしにとってそれはあたしの死で、レヲンにとってそれはレヲン以外の死、ただそれだけだよ」
「――――っ!」
堪らず振り払うように薙いだ拳が、冥の横顔を打ち抜いた。冥の身体は大きく揺れ、地面に着いた手は砂埃を僅かに巻き上げた。
「――、――――っ」
「……それでもあたしには、あたしの死は必要だった。あたしを殺すことでしか、あたしは強くなれなかった。あたしは、自分が強くなるためにあたしをずっと殺し続けてきた。いつだってあたしは犠牲者だった。それでもあたしは、あたしを好きになれたよ」
「――、……」
「いつか、受け入れられる日は来る。報われる日は来る。だって、あたしがそうだったから。だから――レヲンが取り込んだ人達のことを想うなら、それが正解だったんだって、あたしたちが思えるように、進まなきゃ駄目だ」
「――でも」
「それでも君が思えないって言うのなら――――ずっとあたしが傍にいて、赦さないでいてあげるよ。君が犠牲にした魂の代わりに、何度だって幾らだって呪い言を吐いてあげる。大丈夫、あたし、死なないから。死ねないから」
「冥……」
「君だって、そうでしょ?」
ごくりと大きく唾を飲んで。泣き腫らした目を擦って涙を拭ったレヲンは頷いた。
そして二人して立ち上がると、憔悴しきった、未だ晴れぬ表情はそのままに、半ば倒壊したクルードの研究施設を目指し歩き出した。
「これからどうするの?」
「……一晩だけ眠って、それから考える」
「前に、進む?」
「……そのつもり」
「あたしも一緒に行くよ。呪い言、吐かなきゃだし」
「……ねえ、冥」
「何?」
「……それ、約束ってことにして、いい?」
「約束?」
「うん。……もしもあたしが、これまでに弔われる権利を奪った人達のことをないがしろにしそうな時は――絶対に、赦さないでほしい」
「弔われる、権利……」
強い眼差しだった。弱り切っているのにも関わらず。
だから冥は、レヲンがそれほどまでに自分を赦せていないのだと察した。かつての自分が、自分自身を弱いと蔑み、殺し続けてきたあの自分がそうだったように。
「罵ればいい? あたし、そういうことされてきたから、多分自分で思ってるより上手いと思うよ?」
「……うん」
「分かった。でも、じゃあ逆に約束して?」
「何?」
「レヲン、必ず立ち上がってね」
「……頑張るよ」
立ち直ったのではない。今にも崩れそうな心と身体を、約束と言う鎖でどうにか繋ぎ止めているだけだ。
だがレヲンは歩みを止めない。歩むことから逃げない。それこそ自らが奪い去った死者への冒涜であり、彼らの魂に対する裏切りだ。
答えなど、あるはずが無い。死者が何を思うかなど、知り様が無いからだ。
生者に出来ることと言えば弔い、それを以て、彼らが救われ報われたのだと思い込むことだけ――
しかしそこに亡骸も無ければ、魂すらも無い。
ならば彼らへの
◆◇◆
“冥” from “げんとげん”――
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