Ⅵ;Nephillim

異ノ血の異ノ理①

 償う つぐな べきは だれのために

 贖う あがな べきは なんのために


 この心に こころ  かびがる

 いのりはだれに なんのために


 この心を こころ  べてささげる

 血肉いのちだれに なんのために



   ◆


「ノヱル、

 神を否定しろ」


    Noel,

    Nie

    Dieu.


Ⅵ;異ノ血いのち異ノ理いのり

  -Nephillim-


   ◆




「ごめんねぇ……天ちゃん、連れて帰って来れなかった……」


 エディの背に負われながら弱弱しく発せられた山犬の言葉に、スティヴァリの沈む人族フィーディアンの面々は誰も何も言えなかった。

 キユラスは眉を顰めたが、何処かへと転移させた張本人が“熾天使”セラフィムとあってはやはり文句を言うことも出来ない。幸いだったのは、彼が殺された壊されたのではなく、という点だ。まだ、再びその身を迎え入れる希望や期待はある。


「これから何処に行くの?」


 一泊しても山犬の不調は完全には戻らなかったが、どうにか自力で動けるところまでは回復した。その山犬にエディは、調査団の面々も交えて今後の行き先を告げる。


「俺たちイェセロの拠点アジトは使えません。神の軍勢の襲撃を受けたとあっては、撃退できてもまたの襲撃があるでしょうから。だから、玄湖を南に迂回してその先のタルクェスを目指します」

「タルクェス?」


 イェセロが擁する巨大な塩水湖――玄湖にはその実、三つの国が面している。

 最も大きいのがイェセロだが、南東の位置にはタルクェス、そして北東の位置にはゲオルという国がある。

 ゲオルは“地底都市”と名高い、山脈の地底に存在する大空洞に建てられた都市国家だ。空の見えない天然の要塞都市は“粛聖”ジハドの憂き目にも遭わず、しかし数年前に滅亡し、死都となったと噂されている。


 そしてタルクェスは大陸の東西を繋ぐ交易の拠点として知られる。玄湖を挟んでイェセロと繋がっているのだ。本来であれば船で向かうのが一般的な経路ルートだが、イェセロの拠点アジトが神の軍勢による襲撃――それが“粛聖”ジハドの再臨なのかどうかはよく判っていない――を受けたのなら避けるのが賢明だ。

 だからエディは大陸の地図を開き、玄湖の南側の経路ルートを指し示した。湖と海とに挟まれた極細の道だが、大した襲撃が無ければ問題は無い。


「いや、大いにアリアリだろ」


 サリードがエディに突っ込む。当然だ、エディの選択は無謀に毛が生えたようなものだった。

 すぐ真北で神の軍勢による襲撃があったのだ、それを分かり易い極細の逃げ場の無い道を行くというのは承諾しかねる。


「何を焦ってんだよ、エディ」

「いや、……いえ、そうですね。俺は焦っています」

「ならば海路から行くしかあるまい」

「「「え?」」」


 そこで声をかけたのはキユラスだ――スティヴァリからタルクェスまで、船を引くと言う。調査団は顔を見合わせて首を捻った。


「可能じゃ。ちと長旅にはなるが」


 願ったり叶ったり、とはこのことである。

 国土を形成する境界線の七割が海に面するスティヴァリには勿論造船場がある。

 それをこさえた真なる人族ヴェルミアンはスティヴァリから去ったが、沈む人族フィーディアンはそれを再利用可能な段階まで修復していた。

 国としての機能はまだ失われたままだが、再興を目指して再稼働もしている。


「しかし水をものともしない天使も現れましたが……」

「それは少数じゃろ? ならば問題ないのでは無いか?」

「「「潜水艦!?」」」



   ◆



 急ぎ旅支度を整える調査団。必要なものは沢山ある――主に、食料だ。


「貸しじゃからな」

「ええ、弁えております」


 交渉の表に立つのはエディの役割だ。その傍らにはとしてアスタシャの姿もある。

 彼女はイェセロ出身の沈む人族フィーディアンだが、生地は違えど同じ種族。彼女のいるいないは――天ほどにはならなかったが――やはりこういった場で重用された。


「あとは……ライモンドをどうするか、だな」


 作業の傍らでサリードは、相棒であるバネットに呟いた。

 自らが諜報員スパイであることを吐露したライモンド。その本来の所属は旅の間一団を強襲した“聖天教団”であった。

 神の軍勢と繋がっている教団の人間を連れて行くか行かないかでひと悶着があったが、結局はエディの一言で連れて行くことになったのだ。


「俺は連れて行きますよ。まずは教団がどういうつもりなのか、話し合ってみないと何とも言えません」


 エディの考える旅は、先ず大陸東部にある【禁書】アポクリファの本拠地に辿り着くこと。そしてその後で教団と話し合いの場を設け、人間同士のいさかいを先ずはやめることだった。ライモンドの存在は、教団との話し合いの場にて有用になる、エディはそう考えていたのだ。


「エディ坊はああ言ってたが……また、襲撃があるんじゃねぇか?」

「確かにそっすね」


 エディは実力もあり、賢くもある。社交的で、リーダーとしての判断力も持ち合わせている。だが、

 彼の抱く理想と彼を取り巻く現実はかけ離れているのだと、誰もが彼に教えたがっていた。

 しかしエディという青年は十六歳という若い身空でその理想の殆どを叶えてきたのだ。

 単身、天使を屠れる戦力を持ち。

 単身、天使が集う食肉の楽園ミートピアに潜入し。

 そして此度も、神殺しヒトガタに交じり、高位の天使との交戦を経て生還を果たした。ノヱルや天、レヲンは転移させられたのにも関わらず、山犬を連れ帰るという偉業を果たした。


「でも海の中なら、襲撃もそんなに来ないだろうってのは分かるっすけどね」

「いやそれは神の軍勢の話だろ? 教団の襲撃はまた話が違うだろ」

「それこそっすよ。教団の襲撃は結局じゃないっすか。海の中まで泳いで襲い掛かって来ますかね?」

「あー……確かに……」

「ちょっとサリード! バネット! サボって無いで運ぶの手伝ってよ!」

「「……へ~い」」


 ミリアムに窘められ、雑談と言う名の油を売っていた二人は作業を再開する。キユラスが寄贈した備蓄を纏め、潜水艦の中に運び入れるのだ。

 その最中、エディはライモンドと顔を合わせていた。教団についての情報を得るためだ。

 エディはライモンドを丁重に扱うつもりだったが、言葉では半ば脅しをかけていた。ライモンドもその言葉を信じていたわけでは無かったが、自らが知り得る情報のいくつかを既にエディに明かしている。


「……俺たち諜報員は“闇の落胤”ネフィリムという組織に属している」

“闇の落胤”ネフィリム?」

「かつて神の言いつけを守らず人里にて、守護するべき人間とまぐわって生まれた天使と人との合いの子ハーフ、それが“闇の落胤”ネフィリムだ」

「じゃあ、ライモンドもその血を?」

「いや違う。組織に属するのは普通の人間だよ、特別な力なんかは持っていない……ただ」

「ただ?」

「上層部はどうだろうな……あくまで噂だが、……本当に神の力の一端を持っている、とは聴いたことがある。胡散臭くて、とてもじゃないが信じられないが……」

「そうか……ありがとう、ライモンド」

「……エディ、教えてくれ。俺は、どうするべきなんだ? お前は俺に、」

「それは俺の決めることじゃない。あなたがどうしたいか、だと思う」

「……お前は厳しいな。優しいように見えて、結構きっつい……」


 はは、と笑うエディ。快活な表情を目の当たりにしたライモンドもまた、苦しそうではあったがへへへと笑った。

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