異ノ血の異ノ理㉔

「エディ! エディ!」

「エディ坊! おい、救護セット!」

「それよりアスタシャを呼んで! 治療魔術が必要!」


 慌ただしく一同がエディを助けるために動く中で、しかしエディは弱弱しい筈の手を差し向けて彼らを制止させる。


「エディ?」


 がぼ、とさらに血を吐いたエディの身を案じるレヲンだったが、しかしエディは手を下ろさない。

 揺らぐ煙のような聖女の影を睨み付けるように仰ぎ、絶え絶えの息でどうにか言葉を吐く。


「――それ、が、……君、の、……はぁ、――っ、願い、――なら……っ」


 吐いた血が黒く変色していく。どくんと強く打つ脈がエディの輪郭を跳ねさせ、穿たれた胸から葉脈のようにドス黒い霊脈が全身へと伸びる。


「いい、ぜ……俺、がっ――――ガァ――ッ、……やって、や、……る」


 黒い霊脈は全身を蹂躙すると、やがて皮膚の内に溶け込んで消えて行く。

 それと同時に、エディの胸を貫いていた聖剣もまたひとりでに引き抜かれ、ぽたぽたと黒い血を垂らしながら、その血で黒く変色して行く。


 白く、荘厳で優美だった筈の聖剣は。

 黒く、濁ったような闇を纏った。


 もう、それは聖剣じゃない――――“呪われた聖剣”だ。


 カラン、と音を立てて聖剣が床に転がったのとエディが倒れ込んだのはほぼ同時だった。


「エディ!?」


 聖女の影の無くなった部屋の中へと一同は駆け込み、しかしエディの胸の傷もまた消えている。

 ただ、何事も無かったわけではない。

 エディの麦畑を想起させる金髪は白く染まり上がり、肌も病んだような青さを宿していた。


「……ん、……あ」


 そして弱弱しく目を開いた彼の双眸は――――右の眼球だけが、床とベッドに撒き散らされた血のように黒く染まっていた。対照的に、その右眼の虹彩は紅く爛々と燃えるようであり、瞳孔の奥には揺らめく焔の赫が垣間見えた。


「ああ……悪い、皆。心配、掛けた……」

「大丈夫、なの?」


 レヲンの問いに、エディは正直に首を横に振る。


「……聖剣を引き抜こうとして、盛大に呪われた」

「呪われた?」

「おいおい、その話も重要かもしれないが今は安静にするのが先決だ。アスタシャ、解析スキャンと治療を頼む」

「はい」


 黒い血で濡れたベッドでは休めないだろうと、直後意識を失ったエディは隣のサリードとバネットの部屋に急遽運び込まれる。

 ベッドに四肢を投げる身体に、アスタシャは体内の状態を確認する解析魔術を行使し、そして絶句した。


「どう、なの?」


 ミリアムの問いにアスタシャはごくりと唾を飲む。

 小さく首を横に振った彼女に、サリードもバネットも顔を顰めさせた。


「……呪われた、というのがどういう症状を指すのかは判りませんが……確かに今のエディ君の身体の状態は、呪われていると言っていいと思います」

「どういうことだよ?」

「……全身に、“異骸化”の傾向が見られています」

「異骸化? 異獣化アダプタイズじゃなくて?」

「いえ……異骸化、と言った方が正しいと思います。細胞が死滅しているのに、生命活動は続いている……これではもう、通常の治療魔術は逆に損傷ダメージを与えてしまう」

「そんな――っ!」


 しかしレヲンの双眸もまた、霊銀ミスリルの動きを視通す【霊視】イントロスコープが常駐している視覚で以てその診断結果が正しいことを見抜いている。


 聖剣に貫かれた時、すでにエディは一度死んだのだ。それが、聖剣に宿る聖女の魂と同化し荒れ狂う毒となった夥しい霊銀ミスリルの蹂躙により、彼を半ば異骸アンデッドへと変貌させてしまったのだ。


「……異骸アンデッドが共通して持つ再生能力は働いているようですから、……このまましばらく待てばエディ君はひとりでに起きるとは思います。でも……」


 アスタシャの懸念とは彼の生存では無く、次に目が覚めた時にどのような振る舞いをするか、だ。

 異骸アンデッドとは、基本的には生前に強く執着していた事象に憑りつかれたように変貌する。最期の遺志は歪み、記憶や性格は残るものの、それらもどんどんと歪曲してしまう。

 そしてもう一つ、基本的には命を激しく憎む傾向がある。故に生者を襲うのだ。特に、同じ種を。


 起き上がったエディが一同を襲わない保証は無かった。だからこそそこで口を開いたのはレヲンだった。


「その時は、あたしが何とかする。あたしの“死屍を抱いて獅子となる”デイドリーム・デッドエンド異骸アンデッドにも効くっていうのは実証済みだし……」

「レヲンちゃん……」


 ミリアムだけでなく、その場に集まった全員が彼女の胸中を察し何も言えなくなる。

 付き合いは短いが、エディと最も親交を深めていたのはレヲンだ。歳も一つしか変わらず、そして二人ともが同じシュヴァイン・ベハイテンによって取り上げられた、言わば兄妹。

 だからそれを口にしたレヲンの言葉には、やるなら自分が、という責任の重みが込められていた。


「……くそっ、夜明けには到着するって時に」


 サリードが盛大に愚痴を漏らす。艇内の壁にドン、という衝撃が響いた。

 そう――明日の朝には一同の乗る潜水艇はサントゥワリオ神聖国の湾港に到着する。すでに現地にて潜伏する【禁書】アポクリファ構成員メンバーが受け入れの準備を済ませているのだ。


「お前ら、陽動隊から連絡が入ったぞ」


 その時、操舵室にて推進の様子を見守っていたニスマがその報せを持ってきた。

 報せとは、出立から四日が経過した今、パールス領内へと進入した陽動隊が【闇の落胤】ネフィリムとの会敵・交戦に入ったというものだった。




   ◆




 宵闇の荒野に突如として現れた影はおおきく、雨は止んでも空を覆う分厚く大きな雲が月も星も隠しているため、陽動隊の戦闘を走る集団はそれに気付くのがほんの少し遅れてしまった。

 しかし車両のライトに照らされたそれを認めると、衝突する前に急停止をかけ、即座に乗り込んだ戦士たちを地上へと下ろす。

 後続する車両たちもまたその様子を確認すると部隊を展開した。

 最後尾に位置する山犬たちが地上へと下りた時には、すでに開戦の後だった。


「ゴオオオオオオオオ!!」


 地響きのような咆哮を放つのは、しかしそのような機能をどこに持ち合わせているのか判らない、言うなれば“岩盤の巨兵”だった。

 全身を岩盤の鎧で覆った巨人のような出で立ち――部隊を指揮するステファノは仮にその巨兵を“岩巨人”ロックジャイアントと名付けた。


「剣や弓は効果が薄い! 接近戦は斧や鎚等の重鈍器を使え! 後方支援は魔器及び魔術に限定せよ!」

「敵は見ての通りの巨体だ! 一撃のを見くびるな! 固まらず散開状態を維持せよ!」

「攻撃を受け止めようと思うな! 一撃を貰えば即潰れるぞ! 焦らず、末端部位への集中砲火で確実に仕留めよ!」


 次々と拡声魔術によって展開される指示に従い、10メートルはあろうかと言う岩巨人に【禁書】アポクリファの戦士たちは果敢に立ち向かった。

 しかし敵は巨体な上に、その巨体を岩壁で覆っているのだ。戦士たちの猛攻も、蟻が象を噛んでいるようなものだ。しかもその蟻は毒を持たないと来ている。


「やっほー、到着到着ぅー!」


 しかし、戦況が変化するとするならその時だった――最前線へと踊り出た山犬は妖艶に舌なめずりをし、濡れた唇を妖しく蠢かす。


「ねぇ――気持ちいいことしよ? エロくてぇ、エモくてぇ、とぉ――ってもエグイこと」


 そして現れた紅の巨獣。巨人には二回りほど届かないが、その体躯で駆け巡っては翻弄し、そして重量ある前脚での打撃や体当たりが徐々に岩盤を削りひびを与えていく。


「総員退けぇ! 岩巨人ロックジャイアントは山犬が引き受ける! 各自、周囲の警戒に務めよ!」


 後方から激を飛ばすのはステファノ同様に拡声魔術を行使したガークスだ。

 そして、巨人と巨獣の攻防の裏で、冥は闇に紛れて巨人を使役している筈の【闇の落胤】ネフィリムの捜索に繰り出していた。

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