異ノ血の異ノ理㉓

 異形の軍勢テリオ・ストラトスは一夜のうちに壊滅させられ、彼らが王と慕う異形者とかつて心を通わせたことがある騎士のことを語れるのはもはや一人の赤い髪の弓騎士だけとなった。しかし彼女もまた、半年が過ぎる頃、教皇を暗殺しようとして失敗し、事件そのものは権力によって握り潰され、彼女は断頭台に掛けられるのではなくかつて聖女と呼ばれた異形者に用いられたのと同じ毒で殺された。


 十数年後、人々の記憶から聖都を強襲した異形の軍勢テリオ・ストラトスの名が忘れ去られようとしている頃。

 魔獣の群れが聖都を襲った。

 その蹂躙は異形の軍勢テリオ・ストラトスとは関係の無いものだったが、それがそうだと知る者はおらず、聖天教の総本山が崩れたことで人々は縋るべき信仰を失うことになった。


 だが結局、また一からやり直す、というだけだ。

 聖天教団の生き残り、聖天騎士団の生き残りが聖地である聖都にて再び集い、教団を立て直して人々に安寧を約束する最中。

 現れたのは、“亜人種族”だった。


 子供程度の大きさでしか無いが、七つの器用な指と長く強靭な腕を持つ七つ指族セプテミアン


 強靭な下肢と尻尾、そして腹部に収納部ポケットを設けて生まれる袋の人族サキュリアン


 頭部に硬い角と、足のつま先に蹄とを持つ穏やかで聡明な角と蹄族パンテリアン


 ネコ科の動物のようなしなやかな尾と驚異的な身体能力を誇る爪と尾族ティグリシアン


 灰褐色の滑らかな皮膚と水中でも呼吸できるエラを持つ沈む人族フィーディアン


 豚のような顔に大柄な体躯を持ち、高い社会性を持ち合わせる食べる人族ヴェントリアン


 その中に――翼持つ人族アラトゥミアンはいなかった。

 だが世界各地に現れた彼らは人間ヴェルミアンのように徒党を組み、組織を持ち、社会を築いていった。

 既存の社会に溶け込む者もいたが、しかし再建された教団は彼らの存在をやはり許しはしなかった。


 そして教団が長い年月を経て再び大陸各地を牛耳るようになると、彼ら亜人は蔑まれる対象になっていく。

 人々は信仰を取り戻し、その引き換えに亜人たちの血も多く流れるようになった。

 やがて人間は自らを真なる人族ヴェルミアンと名乗るようになった。亜人に対し、我々こそが神に祝福された人間だと声高に叫ぶためだ。


 存続を果たしたマイヤー家はフラマーズが遺した聖剣を家宝として、連綿と続く歴史の中で聖天騎士団の中枢に居続けた。

 それでも現在に至るまで、フラマーズが賜った聖剣があの日以降抜かれたことは一度として無い。


 その理由を、エディはもう痛いほどに知っている。


「――人間を、憎んでいるんだろ?」


 聖剣がその身に触れ刻んできた記憶を知り終えたエディは、眼前にてうずくまる少女の魂に声を掛けた。

 少女は答えない。自らの膝ごと肩を抱き、背に生えた双翼ですら自らを抱き締めている。その上から少女の矮躯を雁字搦めに縛り付けているのが黒い鎖だ。何本もぐるりと巻き付き、その端は地面――と形容していいか判らない地平――に突き刺さっている。


空の王あのひとを、愛していたから……」


 ほんの僅かに、その黒い鎖が身動ぎしたように震えた。


「俺にその記憶を見せたのは、諦めさせるため? そうじゃないんじゃないか?」


 エディはエトワに声を掛け続ける。そうしなければ、またいつこの接続を解かれるか判らない。

 だがそれ以上に、エディは問いたかった。エトワの魂に、ただただ問いたかった。


「俺は……きっと、君の願いを叶えてあげられない」


 もしも聖女の願いが人間と亜人との調和と言うのなら、そんな大それたことを自分が出来る筈が無いとエディは確信している。

 自分以上に、その役割を担うなら適任がいることを知っているからだ。

 きっとそれは、レヲンなんだろうという想いが、彼の中に強く在るからだ。


「でも俺は、“神殺し”と肩を並べて戦いたい」


 またも黒い鎖が僅かに震える。


「神は今、真なる人族ヴェルミアンを滅ぼそうとしている。聖剣になった君が一向に抜かれることを拒否するのは、寧ろそうなった方がいいとさえ思っているからじゃないのか?」


 人間を――真なる人族ヴェルミアンを憎んでいるのなら、聖女にとってはその方が有難い筈だ。

 でもそれならば、その記憶を自分に見せることの意味が判らない。

 そうじゃない、そうじゃない筈だとエディは何度も自分に言い聞かせる。


 何度も拒絶された果てにこうして繋がれたのだ。

 彼女はきっと自分に何かを求めている。

 聖剣が、自分を選んだのだとエディは心に楔を打ち続ける。


「でも神が真なる人族ヴェルミアンを滅ぼせば……君が、いや――空の王アクロリクスとフラマーズ・マイヤーの望んだ“人間と亜人の調和”は永遠に訪れない。あの日の誓いは、永遠に果たされない」


 今度ははっきりと目に見えて判るほどに、黒い鎖が大きく揺れた。

 聖女が自らを抱く力を強めた気がした。その身体が少しだけ小さく萎んだからだ。


「……俺の名前、エディ・ブルミッツって言うんだ。俺は、天使の運営する食肉の楽園ミートピアって場所で生まれた」


 そこは真なる人族ヴェルミアンを食肉として育成し屠殺・加工を行う工場であることを説き、そして【禁書】アポクリファという組織によっていずれ食肉にされてしまう運命から救い出されたことを語るエディ。

 聖女は、僅かに鎖を震わせながらただ静かに彼の物語を聞き入れる。


「だから、エディ・ブルミッツ――食用肉エディブル・ミートってのが語源。ひどいだろ? ……でもつけてくれたのは、“禁書”アポクリファ食べる人族ヴェントリアンの戦士だった」


 それが聖女きみの望む形かは判らないが、と前置きし。

 エディが語ったのは、【禁書】アポクリファでは真なる人族ヴェルミアンと亜人種族とが肩を並べて共に戦う構図だった。


「そりゃあさ、“禁書”アポクリファだって色々ある、一枚岩なんかじゃない。真なる人族ヴェルミアン至上主義を掲げる原理主義者って呼ばれる奴らもいるし、今も人間同士の戦争になるかもしれないって時だ。君が望む未来になんてなってない」


 それまでのエディは、人間と亜人の関係などそこまで深く考えたことは無かった。それを覆したのは――ノヱルたち、“神殺し”ヒトガタだ。

 教えられてきた人間の歩んできた歴史――創世の物語――を疑うことも無ければ、どうして神を殺さなければならないかという疑問すらも抱かなかった。


「君がそう思っているように、人間はきっと“悪”だと思う。君の物語を知った今、俺だって強くそう思う――――多分、これからもそれは大きくは変わらないと思う」


 強く鎖が震えた。だがエディはもうそれを見ていない。

 自らの足元に視線を落とし、歯噛みするように強く拳を握り締めているからだ。


「そんな悪人に、聖剣を振るう資格は無い、って、強く思う」


 もう、エディは知っている。

 彼女の慟哭を自分は晴らせないことを知っている。

 二人のあの日の誓いを果たせないことを知っている。

 それでも、エディは聖女を真っ直ぐに見詰めた。

 強く握りしめた拳をそのままに、力強くも打ちのめされたような眼差しで聖女を真っ直ぐに。


「でも俺は――――


 聖女は身体をびくりと震わせて、そして漸くエディを見た。


「俺は、英雄になりたい。皆の希望になりたい。神を本当に討つべきなのかは会ってから決める。ちゃんと話し合って、本当にどうしようも無いって言うのなら、その時には覚悟を決めて戦う」


 エディの言葉は止まない。聖女はその羅列を、確りと受け止めている。


「俺は凡人だ、フラマーズ・マイヤーや空の王アクロリクスみたいに自分が選ばれた人間なんかじゃ無いってことくらいよく解ってる。……レヲンみたいに、世界に愛された存在なんかじゃないって……それでも、俺がなりたいんだ。英雄に、希望に、俺がなりたいんだ。選ばれなくたっていい、選ぶのは、俺自身なんだ――だから」


 二人の間に存在する隔たりは凡そ三歩分。それをエディは二歩分に、そして一歩分に縮めた。

 手を伸ばせばもう触れ合える距離――エディは霊座の地平に片膝を着いた。聖女と目線を合わせるためだ。そして、今まで強く握り締めていた手を解き、聖女に向かい真っ直ぐに伸ばす。


「俺の力になってくれ」


 その手が聖女に触れるか、の瞬間。

 最後に彼が「エトワ」と彼女の名を告げたその瞬間。




 エディは目を醒まし、そして「ごふっ」と血を吐いた。

 見れば、あれほど頑なに抜かれることを拒んでいた筈の聖剣が鞘からひとりでに抜かれ、その切っ先は深くエディの胸を貫いている。


“呪われろ”


 遠く、遥か遠く聞こえる幻聴。その声音は、見てきた記憶の中で聞いた聖女のものと同一だった。


“人間はことごとく皆、呪われろ”

“そしてお前が、この私の呪いを、このを撒き散らせ”


 突き立った剣身がぐにゃりと歪み――荒れ狂う霊銀ミスリルの奔流がエディの体内の五臓六腑全てを蹂躙する。


「が――――ァ、ああああああああ!!」


 その叫びを聞きつけ、レヲンやミリアム、サリードたちが部屋へと駆け付け、そして絶句した。


 彼女たちにすら、は目に視えていた。

 聖女の影が、エディの胸に聖剣を突き刺す様を――――。

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