神亡き世界の呱呱の聲㉝ ――エピローグ・前編

「エディ!?」


 もくもくと漂う白煙を掻き分けて進んで来たレヲンが辿り着くと、彼女もまた彼の最期を見てがくりと崩れる。

 よもやエディが完全な状態となって戻って来ることも驚嘆に値するが、それよりも遥かに強大な衝撃がそこに立ち尽くしているのだ。


「……あの人は、もう、いないんだね」


 レヲンに連れて来られた、かつて冥だった彼女はそう呟いた。彼女にとって彼はもう誰だかは判らないのだが、しかしきっと、レヲンやエディにとって――彼らのことすらもう記憶に無いのだが――大切な誰かだったんだろうと言うことは判る。ならば、その悲しみも。


「山犬さんは……」


 あの瞬間、あの光弾は確かに山犬ごとを貫いた。なら、彼女もまた、神同様に――――そう断じれたとしても、疑問を発さずにはいられなかった。探さずにいられなかった。そんなエディの目に、その光景は映る。


「レヲン、冥」


 楽園の風景に帯びた罅が、湧いた地響きと共に太く、そして拡がっていくのだ。

 パキパキと割れる硝子の様に崩れ行く風景は、この楽園そのものの崩壊と同義だった。

 確かに、ノヱルが放った最期の弾丸は身の中の神性だけを消し去ったのだろう――撃たれて尚、エディが存命であることがそれを証明していると言える。

 恐らくエディ自身があの聖剣を取り込んでいたことで、その聖剣に融け込んだエトワの肉体が復元され、その魂も元の身体に戻ったのだろう。エディ自身、聖剣に呪われ半ば異骸アンデッドと化していた半屍体レヴナントから元に戻っているのも、聖剣と分離されたからと考えれば納得が行く。道理は、よくは判らないが。

 だがそんなことを考えている暇など無い。楽園の崩壊は徐々に広がっている。とにかく今は逃げなければならないのだ。


「何やってんだよ!」

「だって、だって……」


 そして、そんな状況においても放ってなどいられないのがレヲンだった。彼女はもう動かない白い躯体をどうにか持ち上げようと、腕を回して抱き着いている。

 当然、機械仕掛けのその身体は重く、いくら異獣化アダプタイズした戦士である彼女ですら骨が折れた。

 強く舌打ちしたエディはそんなレヲンを引き剥がし、


「あんたも来るんだよ」


 蹲っては未だ成されなかった宿願に絶望を続けるエトワを引っ張って立ち上がらせては、


「ああ、もう!」


 その腰をぐわりと持ち上げ肩に担ぎ上げた。


「放っておいてっ!」

「馬鹿か! あんたは、生きなきゃダメだろ」

「私は……」

「早く!」


 冥は一早く山犬が【禁書】アポクリファ達を逃した抜け穴を見つけ出し――周囲に比べて“死”の匂いがそこだけ極端に薄いからだ――先導し、エトワを担ぎ上げるエディと後ろ髪を引かれるレヲンがそれに続く。

 当の山犬すらも見当たらないが、やはり彼らは彼女を探す暇が無い。世界を改変するという彼女の魔術の在り得なさっぷりに心の底から感謝しながら、地上へと続く螺旋階段を落ちるように駆けて行く――――やがて、本当に落ちる。


「うああああああああ!!」

「きゃあああああああ!!」


 そして墜落の最中、見上げた空の上――――罅割れ、欠け落ちた空から、白い大地の破片がその身を砕きながら落下する光景を目の当たりにした。

 世界そのものを揺るがすような景色だった。地鳴りが楽園の大地を割り、それが空から零れ落ちてくるのだ。絶叫も、絶句に変わろうと言うものだ。


“千尋の兵団”プライド!!」


 辛うじて残る数百の戦闘人形オートマタ達が我先にと地上へ墜落・着地し、その中に唯一杖を構える老魔術師風の人形が重力を制御する魔術を展開したことでエディ達は落下を免れた。


『お前さんの戦いは、ここからじゃろう』


 師役クルードのそんな思念を感じ取ったレヲンは、もう一度空を見上げる。

 彼の展開した広域魔術により降る楽園の速度も軽減されているとは言え、質量が質量だ。何時までもそこに押し留めていられるような規模じゃないことは判り切っている。


「「「レヲーーーン!」」」


 そこに、先に逃げた【禁書】アポクリファの三人が合流した。ガークスは一足先に本隊に戻り、街の人の避難誘導に加わっているらしい。


「あたしの、戦い……」


 ぎゅ、と握る拳を、冥がそっと包み込んだ。ばっと振り返ったレヲンにひとつ頷く。


「もう、君のこと……分からないけど。でも、きっとあたしたち、仲間だったんだよね」

「……うん」

「言って。あたし、何をすればいい? 何が出来る?」

「……まだ、戦いは終わってない。この惨事から、出来る限りの人を助けたい」

「分かった」



「エトワ。あんたも、力を貸してくれないか?」

「……どうして」


 他方で、エディは地面に下ろしたエトワに向き合っている。

 かつて聖女と呼ばれた天使は、悔しさに打ちのめされた表情を変えようとはしない。だがエディは強い眼差しで彼女を見詰め、やがてその目に彼女が視線を交わす。


「オレがそうであるように、あんたもまた、五体満足でここにいる。レヲンや冥は本当は満身創痍の筈だ。なら、全然へいちゃらなオレ達が頑張らなきゃ」

「違う! ――――私は、人間が嫌い。何もかもを都合よく使い分ける人間が、大嫌いっ」

「……それでもあんただって人間だ」

「っ!!」

「同じ人間だから、手を取り合わなきゃいけないって思うし、手を伸ばさなきゃ手を握れないって思う。オレはあんたみたいに迫害を受けたことも、あんたみたいに酷い仕打ちを受けたことも無い」


 エトワは知っている。彼に融け込んだ時から、彼の生まれてからここまでの経緯を、全て知っている。

 だからその言葉が嘘だということも――“食肉”となる筈だった彼の、その名前が物語る差別の歴史をも。

 それでも彼が負けずに、それに打ち勝って今ここにいるということも。

 運命に翻弄され、選んだすべてに選ばれずに――しかし、生きて今ここにいることも。


「切られるかもしれない、でも、それでも……オレは何度だって、手を伸ばしたいって思う」


 そして、両肩から離れた手の片方が、エトワの目の前に差し出された。


「オレは、人間だ。あんたの大っ嫌いな。それでも、この手を取って欲しい。力を、貸して欲しい」

「私は……私、は……」


 膝から崩れ落ち、その場に突っ伏して泣き喚くエトワに、しかしエディは手を差し伸べ続けた。

 信じる根拠など何処にも無い――――唯一つ、あるとするならば。彼女は、神にすら手を貸すことは無かった。

 きっと彼女は、神となったエディを乗っ取るつもりだったのだろう――あの呪われた聖剣にはそう出来てしまえる可能性ポテンシャルを秘めていたように思える。

 だが彼女はそうしなかった。結局神に支配権を奪われ、それで絶望したままでいたのだ。

 それを、エディは額面通りに受け取っていいか判らなかった。もしかしたら彼女の本心は、そうでは無かったのでは無いかと思いたかったからだ。

 あんなに美しい物語を有する彼女が、そんな虚しい結末を迎えては欲しくなかったからだ。


 だから待った。エディは待った。そしてエトワは一頻り哭いた後でゆっくりと顔を上げると、恐る恐る、と言った緩慢さと弱弱しさでその手を握った。

 だから笑った。エディは笑った。そしてエトワを掬い上げるように引いて立ち上がらせ、そして先行した【禁書】アポクリファの面々を追って走り出した。




   ◆




「急げ!」

「まだあの建物に二人残ってる!」

「俺が行く!」

「サリード! あんたはあっち!」


 救助活動と避難誘導は続く。【禁書】アポクリファの本隊は既に聖都の中枢にまで進行しており、指揮を執るステファノの魔術によって拡散された指示は的確であり、生き残った騎士や官憲達も交えて速やかに街の人々を救い出して行った。

 街の中心からやや西に逸れた広場は一時的な応急処置の場と化し、そこに集められた怪我人達を治療魔術に精通するメンバー達が癒し、そして車両で纏めて郊外へと搬送する。その中に、殊理の姿はあった。


「次! 私空いてます!」

「おう、じゃあこっちの人を頼む!」

「はいっ!」


 辛うじて魔導義肢により歩けるは歩ける彼女ではあるが、とても天に追従することは出来なかった。それでも自分に出来ることはと考えた末、天の仲間であることを主張してこうして避難活動の手伝いに尽力する。

 元居た世界では魔術の才能の片鱗を魅せる優秀な生徒だった彼女は、術式や術理こと違えど、実に見事な治療魔術で怪我人達を次々と癒して回った。その腕前は正規の【禁書】アポクリファの魔術士達に一目置かれる程だ。


「処置終わりました。搬送お願いします――――次の方、お願いします!」


  そんな彼女の前に、山犬は現れた。


「はい、これ」

「えっ?」


 手渡されたのは、右と左の脚。魔導義肢では無いが、機械仕掛けで魔術仕掛けのそれは、多少手を入れれば魔術義肢として機能するだろうと思われる。


「あの、これ……?」

「天ちゃんがさ。どうせなら、って」

「え?」

「じゃーね。ちゃんと、渡したよ」

「ちょっ! あのっ、待っ!! ……天、さん?」


 言われてみれば――見覚えは無いが、何処か懐かしいような匂いがその両脚から漂っている気がした。

 無数の細やかな傷でざらついた地肌を撫でてみれば、どうしてだか涙が溢れて仕方が無かった。だが殊理は、すんと一つ鼻を啜っては、それを自分の荷物の傍らに置き、次の怪我人の症状を透視スキャンする。


「――――大丈夫です、腫れは酷いですが、折れてはいません。痛みは多少残りますが、自力で歩ける程度にはすぐ回復します。かかり始めはちょっと痛いですけど……行きます」

「い、いでぇっ!」

「大丈夫です! 痛いのは、生きてる証拠ですっ!」


 何も出来ず『死にたい』と嘯いていた彼女は今、逆に『生きて下さい』と励まし続けた。

 多くの中の一人に過ぎない彼女ではあるが、しかし彼女が癒したために死を免れた者も多くいたことは、ちゃんと生きることが出来た人がいたことは。

 それは、紛れも無い事実に他ならない。

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