異ノ血の異ノ理⑥

 微睡みが去っていく間際、エディは自らの身体の異変に気付きつつあった。

 しかし昨晩様々なことを悩んだために重みを増した瞼はなかなか開ききってくれず、また醒めたての脳も低速回転でしか思考を進めてくれない。


 そして気付いたら――エディは椅子に縛られていた。


「何で……こんな、ことに……?」


 それでも絶句するにはまだ余裕があるエディ。その脳裏に様々な経緯の可能性を浮かび上がらせるも、しかし目の前で繰り広げられている状況の何故を理解することは出来ない。


 眼前のキッチンでは、四人の女性がエプロンをつけて忙しなく動き回っている。

 レヲンと山犬、冥とそしてミリアムだ。

 しかし山犬と冥が黒いエプロンを着けているのに対し、レヲンとミリアムが着けているエプロンの色は白である。


 イェセロの拠点アジトは造船場跡を改装したものだったが、タルクェスの拠点アジトはホテルを改装したものだ。

 かつては開かれていた宴会等にも対応するためにその調理場は広く、また複数のチームが同時に異なる調理が出来るよう、シンク・作業台・コンロがセットになっているが複数設けられている。


 彼女たちはその中の二つの島を使ってチーム戦を行っているように思えた。

 そしてそうだと考えてみても尚、ならば何故そんなことになっているかの答えは察せられない。

 そうなのだから、勿論何故自分が縛られているのかの解など思いつく筈も無い。


 困惑するエディを他所に、白チームの二人と黒チームの二人はそれぞれが声を掛け合いながら慌ただしく作業を続けている。

 既に香ばしい匂いも漂って来ている――その鼻腔を衝く香りにエディの起き抜けの腹もぐぅと鳴る。


「レヲン! 野菜は!?」

「は、はいっ! あと少しで切れますっ!」


「冥ちゃん! もうすぐお肉そっち行くよぉっ!」

「……了解。切るだけなら、大丈夫」


 作業の指揮を取っているのは白チームがミリアム、黒チームがまさかの山犬だ。そしてレヲンと冥がそれぞれそのアシスタントを務めている。

 ただし、メインとサブとで技術の差に大きな開きがある――ミリアムと山犬の動きは洗練されていて、レヲンと冥の手つきは危なっかしくて見てられない。その様子に歯噛みしているのはミリアムも同じだ。ただ、山犬だけはその様子すらも楽しんでいる節がある。


 エディは知らない。山犬がかつてルピと言う存在だった頃、こんな風に調理場で孤児たちに楽しく料理を教えていたことを。

 千切りの幅が太いことも、微塵切りのキメが荒いことも、時折指を切った血が混じっていることも。山犬はそれらの経験を全て持ち合わせている。だから冥の調理技術が壊滅的であったとしても動じない、折り込み済みだ。


 しかしミリアムは違う。自身は高い女子力に裏付けられた繊細な調理技術を持っていても、レヲンという足手纏いハンデを抱えてまでそれを維持することは出来ない。

 だがレヲンも必死に追い縋る。足手纏いだと言うことは解っているからだ。

 ゆえにこの短い時間の中で、レヲンの調理技術は上昇傾向にあった。理由の大きな一つは彼女がミリアムの動きを見てそれを倣い、また何をどうすれば彼女の役に立てるかを考えながら臨んでいるからだ。

 そしてもう一つの大きな理由は、その両腕に纏う輝きだ。

 彼女が有する【死屍を抱いて獅子となる】デイドリーム・デッドエンドにより吸収した者の魂が持つ、調理に対する知識と経験。それを自らのものとして吸い上げ、落とし込む。

 戦闘経験と戦闘技術ならばすでにエーデルワイスのものをそうしてきた。

 調理技術に転用する試みは初めてだが、慣れてくれば造作も無い。ある種、ここは女の戦場。戦いならば、自分は万の軍に匹敵するのだという自負が、レヲンをみるみる上達させていく。

 その様子にエディもまた感嘆して呆けてしまう――見入る余り、呼吸すら忘れてしまいそうになる程だ。


 そして――


「レヲン、仕上げるよっ!」

「はいっ! お皿の準備は出来ていますっ!」


「冥ちゃんっ! 行っくよぉ~!」

「お姉ちゃん、任せて」


 何故かは知らないがいつの間にか始まっていたクッキングバトルは、その勝敗を委ねる審査ジャッジの段へと及ぶ。

 バチバチと火花を上げて対峙していた四つの視線が、一斉にエディへと向いた。突き刺さるような眼差しだ、どれもが真摯そのもので、エディは身動ぎしたかったが縛られていたことを思い出す。

 どう考えを巡らせても、審査役は自分なのだと――エディは、察せずにはいられなかった。


「あの……その前に、教えてくれ……どうして俺は、縛られてるんだ?」

「「「「えっ?」」」」


 エディの当然の問いに四つの視線が再び向き合った。誰もが顔を合わせては首を傾げる。

 どうやらその理由は、熱き戦いの果てに葬り去られたようだ。エディは落胆した。それもまた当然だった。


「えっと……何でだっけ?」

「あ、ほら、レヲンちゃんがさ、エディ君が最近何か元気ないって言ってたでしょ?」

「ああ!」


 ミリアムの閃きに山犬が柏手を打つ。


「そうだそうだ」

「うんうん、そしたら山犬ちゃんが元気ない時にはご飯が一番だって言い始めて」

「そこで私が腕の見せ所ねって言って」

「で、お姉ちゃんがそこに噛み付いた」


 うんうんと頷いているのは山犬だ。しかしあっけらかんとした表情で経緯は紡がれる。


「それから私と山犬ちゃんとでバトルしようって話になって、」

「そこにあたしとレヲンが巻き込まれた」

「どうせだからエディを審査員にしようって流れで、」

「でも逃げるんじゃないかってレヲンが心配して」


 そして再び注がれる四つの強い眼差し――エディは何だか頭痛がして来た。


「だってエディ……」


 だってじゃ無ぇよ、と心の中で毒づいたものの、確かに考えてみれば逃げただろうと言う気はする。だからエディはある種の自業自得だと諦め、項垂れた。


「取り敢えず、経緯は解りました。それで、この縛っている縄を解いてくれませんか? これじゃ食べようが無い」

「えっ? そこはあ~ん、で……」

「自分で食べますっ!」


 山犬の口から放り出された悍ましい案を一蹴したエディ。その剣幕に四人は縄を解いた。


「さぁ、どっちから食べる?」

「……じゃあ、」


 椅子から立ち上がり、前へと出でたエディの眼下にはテーブルに並んだ二つの料理が並んでいる。

 白チームが作ったのは煮込みハンバーグ。デミグラスソースの芳醇な香りが食欲をそそり、ゴロゴロと大振りな根菜もまた食指が疼く。

 無論、主役たるハンバーグは言うまでも無い。起き抜けの身だがエディはまだ若い。すでに日は高く時計は正午を指していたが、それらを平らげるのはだ。


「……美味い」


 フォークでハンバーグを割り口に運んだ瞬間に思わず漏れた感嘆に、白チームの二人の顔が明らむ。

 顔を見合わせて両手を合わせ、片や拳を握って黒チームを見遣り、片や安堵に胸を撫で下ろした。


「次はこっちの番だよぉ!」


 ずずい、と山犬に差し出された皿を受け取るエディ。

 先程のミリアム・レヲンの白チームが作った煮込みハンバーグに対し、山犬・冥の黒チームが作った皿は深い――それはだった。


「山犬ちゃん特性、ビフテキ丼だよっ!」


 ぺろりと舌を出してポーズを決める山犬に対し、その傍らに佇む冥は静かだ。

 厚みのある肉の上にかかっているのは玉ねぎをおろした醤油ベースの和風のソース。焦がした大蒜にんにくの香りと相俟ってこれもまた食指をそそられる。


「掻き込むといいよ」

「……では」


 冥からのアドバイスに従い、丼の端に口をつけて一気に肉ごとライスを頬張る。


「……美味いっ!」


 これもまた舌が勝手に鼓を打った。

 山犬の顔がぱぁっと明るくなり、そして冥が小さく拍手をする。


「じゃあエディきゅん」

「どっちがより美味しかったか、判定を!」


 更に一口ずつ食べ比べるエディだったが、彼は別にグルメというわけでは無い。

 単純な美味しさではビフテキ丼に旗が上がる。厚切りの牛肉は表面に僅かな焦げ目が付き、しかし中は旨味の凝縮された赤身が噛めば噛むほど芳醇な肉汁が口内に舞い広がる。

 極め付けは肉を載せたライスだ。練り梅の混ぜ込まれたライスがこってりとした肉の旨味をさっぱりと引き締め、何杯でも食べたいと思わせてくれる。

 だが総合力で言うなら煮込みハンバーグに軍配が上がる。何しろビフテキ丼は野菜に欠けている。煮込みハンバーグは肉の底力と野菜の旨味が合わさり、身体に染み渡る安らぎを演出しているのだ。


 そう、例えるなら――これから戦に赴く活力をくれるのがビフテキ丼であり、煮込みハンバーグは戦士の休息と言えた。


「「さぁ、どっち!?」」


 ぐいぐいと詰め寄るミリアムそして山犬。その後ろで冥は勝負そのものには興味が無いらしく後片付けを始めている。

 そしてレヲンは――昨日の件があったからか、エディとは目を合わせようとしない。顔はこちらを向いてはいるが、不安げに視線を地面に落としているのだ。


 事の発端を想起する――何もかも、自分の不甲斐なさ・幼稚さが原因だ。

 エディは皿の上に載った全てを掻き込み、噛み砕いて飲み込んだ。そして口の端を拭うと一言、「ごちそうさま」と告げる。そして息を吐き、四人の顔を見渡した。


「――勝敗は、」


 ごくり、と喉が鳴る。四人の誰もが、エディの次の言葉を待っていた。

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