異ノ血の異ノ理⑦

「――勝敗は、」


 ごくり、と喉が鳴る。四人の誰もが、エディの次の言葉を待っていた。


「悪い、決められない。だから、どっちも勝ち、なんだと思う。ただ」

「「ただ!?」」

「元気は出たよ。ありがとう――そしてレヲン、悪かった」

「え、あたし!?」


 急に振られ、あわあわとするレヲンの前に進み出たエディが頭を下げる。


「大人げない素振りを見せて申し訳なかった。今後は控えるようにする」

「う、うん……」

「よしっ、腹ごしらえも済んだことだし――レヲン、一緒に訓練所に行こう。手合わせを頼みたいんだけど」

「――うんっ!」


 調理場を出て行く二人の背中を見守る視線の主は閉じたドアから視線を逸らすと嘆息を吐き散らかした。


「何だかなぁ……シシ、じゃなかった。レヲンちゃんのに使われた感満載だなぁ……」


 毒づくミリアムには、青春の真っ只中にいる二人が羨ましく見えて仕方が無い。何故なら彼女にはそんな関係にあるいい人がいないからだ。

 しかしそんな彼女の溜息虚しく、話を振って共感を得ようとした先にいる二人――いや、二基――はもはやそんなことなど気に留めていない。


「うっわ、これ!」

「……あ、ミリアムさんも食べますよね? 今お皿出しますね」


 片や山犬はミリアムたち白チームの作った煮込みハンバーグの味に目を丸くしており、そして冥は皿を洗う手を止めて新しい皿に料理をよそう。


(駄目だ、共感してくれるまともながいない……)


 新しい溜息で感情を塗り潰したミリアムはしかし、黒チームの作ったビフテキ丼を摘まむ。確かに男子向けの大味さ加減だが美味い。


「冥ちゃんは? 食べないの?」

「あー……あたしたちヒトガタは、食べなくても大丈夫ですから」

「ふぅん、そっか……」


 相変わらず食べ続ける山犬を横目に、自らも女性用に小さく盛られたビフテキ丼をさらにつつきながら、ミリアムは閉じたドアの向こう側へと意識を向けた。



   ◆



 昼時の訓練場は閑散としている。だが誰もいないわけでは無い。

 すり鉢状に並んだ座席、その中央の円形の広場は闘技場コロシアムそのままだ。

 かつてホテルであった時代、この場所で駆け試合が行われ、声援と怒号が鳴り響き盛況を極めていたらしい。

 今現在はそれをそのまま訓練場として機能させている。無論、闘技場コロシアムに繋がる通路には本当の訓練場も設けられている。


「手合わせ、どうしようか」


 備品庫から木剣を二振り、取り上げる。片方を手渡し、二人は闘技場コロシアムの中心へと進んだ。


「取り敢えず、参ったって言った方が負け?」

「そうだな……そうしよう」


 互いの距離は2メートル。構えた木剣の切っ先を合わせ、それが開戦の合図となった。


「はぁっ!」


 先んじたのはエディ。合わせた木剣を弾き、同時に軸足を大きく蹴って跳躍するように前進する。

 切っ先はレヲンの目線の中心を捕らえ――しかし、身を捩るような奇怪な動きで躱したレヲンは回転する身体の勢いで以て木剣を薙ぎ払う。


「たぁっ!」

「くっ!」


 ガキン、と剣同士が哭き合う。互いに後方へと跳び退き、再び距離が生まれた。


(――っ!?)


 エディの目に、かつての剣の師、エーデルワイスの姿がレヲンと重なって見える。

 緊張と弛緩の落差の激しい動きに翻弄されて生まれた隙を衝かれ、木剣の先端が脇腹を掠めた。


(やり、づらいっ!)


 そう――エーデルワイスの剣技とは自己流に見えて基本は押さえており、どんな体勢からでもあらゆる斬撃を繰り出せることを本懐とする、無限の可能性に満ちたものだ。

 故にレヲンもまた、その体勢からは放てないであろう斬撃を執拗に繰り出してくる。


 エーデルワイスには過去、散々煮え湯を飲まされたものだ――その記憶が邪魔をして、エディの剣戟はなかなかレヲンの身に届かない。いや、届かせてもらえない。

 しかしその斬撃をエディは。かつて嫌と言うほど叩き込まれたその動きは、確かに面食らったが慣れてしまえば予測も付く。


(こう来るよなぁっ!)


「――っ!?」


 逆を衝かれたレヲンが今度は防勢に回る。しかしエディは袈裟に斬り付けようとした手を止めて後方へと跳び退いた。

 その影の首筋に当たる部分を、鋭く切っ先が薙ぐ――それはエーデルワイスの斬撃では無かった。


 知らない剣戟――しかし、当たりは付く。


(父さんの、剣……)


 人体を斬って解体してきた者だからこその、急所を知り尽くした剣技だ。

 構えも、雰囲気も変わったレヲンを前に、エディは小刻みにステップを踏む。静かに中段に構えるレヲンとは対照的にならなければ飲み込まれると考えたのだ。


「行くぞっ!」

「はいっ!」


 ジグザグの跳躍から一閃――それを受け止め弾いたレヲンが唐竹に剣を振るう。

 それを受けずに横っ跳びで躱したエディは、立ち戻りながらの強撃を繰り出す。振り上げた木剣を力任せに振り下ろしただけの一撃は、しかし膂力の差で僅かにレヲンの身体を撥ね飛ばす。


「うああああああっ!」

「っ!」


 乱撃。

 唐竹も袈裟も横薙ぎも逆袈裟も突きも切り上げも――その全てを弾き切ったレヲンの剣は、エーデルワイスのものへと既に転じていた。

 それは乱雑に見え、基本を押さえた技。


「やぁっ!」

「が――ぁっ」


 剣では無く横蹴りが鳩尾に突き刺さり、くの字に折れた顎を振り抜く剣が打ち据える。

 エディの反り上がった身体はそのまま背中から石畳に倒れ、大の字になって呆ける。


「あ……だ、大丈夫?」

「ああ……大丈夫だ」


 しかし寝転がったまま立ち上がらないエディを見下ろし、わたわたと慌て出すレヲン。

 そんな彼女を余所に、エディは考えていた。


(ここだ……ここが始まりだ。不甲斐なくて、格好悪くて、ダサくて……弱くて頼りない、そんな俺の始まりがここだ)


 ゆっくりと身体を起こし、立ち上がるエディ。その表情にもう陰りは無い。


「だい、じょうぶ?」

「大丈夫だって言ったろ、身体は頑丈なんだ。それより、もっと、もっとしよう。

「……うん」


 少年はきっと、自分では無い誰かになりたかったのだ。

 だが今の彼はもう、なりたい自分自身になる道を漸く歩き出した。



   ◆



 ゴンゴンと響くドアノッカーの音を聞いて、その邸宅の使用人であるハリスは急いで玄関へと足を向ける。


「はい、どちら様でいらっしゃいましょう」


 ドアを開き迎え入れた先には三つの人影。その先頭に立つ精悍な顔つきの少年がにこやかに声を放つ。


「エディ・ブルミッツです。ウィリアム様にお会いしたく参じました」

「お聞きしております。それでは、こちらへどうぞ」


 恭しく下げられた頭に、エディ達もまた頭を下げて邸宅へと入る。

 磨き上げられた大理石の上に敷かれた絨毯を踏み、通された部屋で暫く待つと、やがて対面のドアが開いて一人の男が現れた。


 エディから幼さを抜いたような美丈夫。銀に近しい金髪プラチナブロンドを後ろで一つに束ねた彼こそ、ウィリアム・マイヤーその人だ。

 彼の入室と同時に、長椅子ソファに座っていた一同は立ち上がる。


「ウィリアム様。ご多忙の中お会いいただき、有難う御座います」

「ベルモット卿には会ったのか?」

「いえ……まだ、です」

「そうか」


 腰を下ろすと同時に、先程のハリスとは異なる使用人がソーサーに載ったティーカップをウィリアムの眼前のローテーブルに置いた。硝子の天板にカチリと陶器の軋みが鳴る。


「俺はてっきり、卿が先だとばかり思っていた。使


 突然の言葉に目を見開いた一同。しかしエディは落ち着き払っている。


「どうした? その話じゃ無いのか?」


 そのエディの様子に眉根を寄せたウィリアムだったが、エディは伸ばした背筋で紡ぐ。


「いえ――そもそも、使


 隣に座るレヲンもミリアムも、危うく声を出すほどに驚いた。そして驚いたのはウィリアムも一緒だった。しかし彼だけは、そうした後で声を上げて笑う。


「エディとやら――お前の力がどれ程のものか見たい。構わんな?」

「ええ、望むところです」


 約束を取り付けた一週間前から、エディはレヲンと手合わせをし続けて来た。時には山犬や冥とも。【禁書】アポクリファのイェセロ支部から逃れてきた戦士とも、タルクェス支部の古強者とも。

 戦績は良いとは言えないが、しかし自身ならば手にした。迷いを振り払い、甘えを断ち切る程度には。


 そして立ち上がった二人は先導する使用人に付き従い、中庭へと踊り出る。

 刃の落とされた模造の剣を渡されたエディは、同様に剣を構えるウィリアムと対峙する。


「勝敗は?」

「知らないな。負けだと思った方が負けだ」


 噴き出すエディ――その提案が、これまでと全く一緒だったからだ。


「分かりました――いざ」

「おう、来い――!」

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