消えない肉沁み⑰

「はっはーっ!」


 嗤いながら繰り出される赤黒い棘。原理は不明だが、迸る霊銀ミスリルの揺らぎから魔術の類――天使に赦された秘術【聖蹟】スティグマだろう。

 ゆえに索敵機能を大幅に縮小稼働させることで得た深化を用いれば、ノヱルには朧げだがその棘の攻撃は躱すに容易かった。


 しかしここに来て、攻撃のパターンが変化する。


「――っ!?」


 足元から繰り出されてきた棘が、今度は中空から突出した。

 白い画布カンバスに落とされた絵の具の雫のように空間に滲んだ緋色が瞬時に大きく拡がり、先鋭さを宿された棘が牙を剥く。


 一本などと生半可なものでは無い――角度をつけて繰り出されるは数十本。


「ちぃっ!」


 盛大に舌打ちして跳び退くノヱルだが、躱せないと見るや即座に猟銃シャッセから散弾を撒く。

 ある程度距離を稼いでいなくとも、刺に触れた瞬間に爆ぜて弾幕を張り、その勢いを殺すことが出来たのだ。


「へぇ、それもまた対応するねぇ!」

「ニヤけ面が気持ち悪いんだよっ!」


 減らず口とともに再装填を施したノヱルは新たに繰り出された棘の殺到を前方に倒れこむように転身して掻い潜ると、感嘆で目を丸くして悦ぶ神の嗜虐カタクリシエル散弾を放つ。


 横っ飛びに避けようとした天使の眼前で爆ぜた実包カートリッジは弾幕となって襲来し、見開いた目も含めて再び蜂の巣状の孔の数々を形成する――が、やはり効果は無いも同然だ。


 血の代わりに炎が噴出して即座に傷を塞いだ神の嗜虐カタクリシエルは爆ぜたように嗤いながら突出すると、振りかぶった右手を突き出すと同時にその掌から棘を伸ばしてノヱルを強襲する。


「させるかっ!」


 それを横から、しかも培養管の天辺てっぺんから飛び降りながら唐竹に斬り込んだ剣閃で阻んだエディ。着地と同時に屈めた膝を伸ばしながら斬り上げる二の太刀が白銀の髪を断ちながら天使の首筋に吸い込まれていき、喉仏をちょうど真横に両断する形で振り抜かれた。


 しかしやはり、噴き出す炎が傷を塞ぐ。

 損傷ダメージは無く、意味も無い。


「おいおい、髪、伸ばしてんだよ!」


 上半身の急激な捻りで浮かび上がった右足の先端が棘を生やしながらエディの横っ面めがけて振り抜かれた。

 直前、剣を振り抜いたエディは体勢を戻して回避行動に移れず、堪らず咄嗟に柄から離した左手を翳すようにして防御しようとする。


「ぐぅ――っ!」


 ジュ、と言う嫌な音が仄かに立ち、エディの左の人差し指と中指とが第二関節から焼失した。

 それでも彼の顔が無事だったのは、双銃ピストレロ換装コンバートしたノヱルが蹴り上げた右足が神の嗜虐カタクリシエルの右足を真下から蹴り上げたためで。


 左手の人差し指に嵌めていた“偽装の指輪”カモフラージュリングを失ったことで、天使の姿に隠されていたエディの真実が明るみに晒される。


無料タダで切って貰ったんだからありがとうございますだろっ!」

「誰も頼んじゃいねぇよっ!」


 次いで繰り出される蹴りと蹴りと蹴り――銃口を突き出して狙いを定めるには速すぎる、そして近すぎる攻防。

 その真横で倒れ込みながら側転を繰り返し距離を取った、金髪碧眼の青年。


 目にかかるほど長い前髪は汗で額に張り付いている。

 天使の扱う炎に耐性を持つ“火蜥蜴”サラマンダーの獣皮で拵えた革鎧を身に纏い。

 両手でも扱えるよう柄を少し長くした両刃の直剣はその剣身に霊銀ミスリルを含んでいる。


「何だよ、素顔の方が素敵じゃねぇか」


 鳩尾に強烈な横蹴りを叩き込みノヱルを吹き飛ばした神の嗜虐カタクリシエルは顕になったエディの真実を見遣ってやはり嗤った。

 エディは失った左手の二指の痛みに奥歯を噛むも、そうなったことで漸く垣間見えた敵の攻撃手段の全貌に、脳内で激しく算盤を弾く。


「――炎の棘か」


 そう――焼失した指の断面からは血が噴出せず、肉は爛れ、焼けた異臭を放っている。

 先ほど受けた脇腹の傷もそうだ。鋭く切り裂かれたようで、その実その浅い切創面は黒く焦げていた。


 つまり、切断ではなく、溶断。

 収束した熱が形作る炎が棘を象っているだけなのだ。


「で? それがどうした?」


 その問いは当然だ。敵の攻撃手段が解ったとて、それを防御し封じ込める手立てがあるわけでも無い。

 しかしエディは痛みに悲鳴を上げる本能の警鐘に耳を塞ぎ、目の端に映るノヱルが再び戦闘態勢を取る様子に己を鼓舞する。


「――はっ、だんまりとは熟熟つくづく無礼極まりぇ。いいぜ、その顔が無様に歪んで泣き叫んで“殺してくれ”って懇願するまで、徹底的に可愛がいたぶってやるよ!」


 べろりと舌で黒い唇を舐めた神の嗜虐カタクリシエル――ノヱルが格闘距離に詰め寄ろうとするのを足元から突き上げる棘で阻みながら、同時にエディに対しても中空から幾本もの棘を突出させる。


「はっはーっ!」

「がぁっ!」


 左手はもう剣を握れない。片手で振るう剣は鈍く、恐ろしい程に心許ない。

 突き出される棘に刃を合わせ、時に身を捻り或いは反らし、掻い潜って距離を取ったエディ。


 違う、逆だ。

 自分こそが肉迫し剣戟を交わす中で、ノヱルこそが外からの銃撃で隙を穿つ――これでは全く逆だと再び前がかりに重心を移動させた時。


「何だっ!?」


 鋼鉄の拉げる音、混凝土コンクリートを破砕する音、硝子を割り砕く音――様々な破壊の轟きと共に飛び込んできたのは、身の丈5メートルほどの紅に染まった巨獣だった。



   ◆



「ねぇ」


 幾つもの霊銀ミスリル結晶が転がる、舗装された地面の上。

 致死の一閃を免れた食べる人族ヴェントリアンの兵たちがおののくその中心。


 降り立った、“ふわふわ”という擬態語が似合い過ぎるほどの天使。


「研究、はかどらないんですけど?」


 白くフリフリヒラヒラなゴシック調のドレスを着込んだ四枚の翼持つ天使は可憐な相貌をにこやかに歪めている。

 その光輪は王冠のように仰々しく、背中の翼の数と言い明らかに高位の天使であるとすぐに判別できた。


「――神の被虐マソキスモセル様っ!」


 “神の被虐”マソキスモセルと呼ばれた少女型の天使は慌てふためく豚面の兵たちを見渡し、それから白鞘に手をかけ抜刀の構えを見せる天に向き直る。


「……たったこれだけの相手にどれだけの兵力を消費してるんですかぁ? 神の嗜虐カタクリシエルに怒られちゃうじゃないですかぁ」

「も、申し訳ございませんっ!」

「どうか、どうかお許しをっ!」


 相変わらず微笑む天の双眸はしかし鋭さを増す。

 ほんわりとしているのにも関わらず、差し向けられる圧はこれまでのどの敵よりも強大であり、そして凶悪だ。


「困ったなぁ――ねぇキミ」

「……何でしょうか?」

「私はね、早く研究を進めて、もっとみんなのお肉を世に知らしめたいの」

「そうですか。賤方こなたはあの駐車場に辿り着きたいだけなのですが」

「そうなんだ。じゃあ、さっさとそうしてくれる?」

「見逃していただけるのですか?」

「うん――後ろの二人を引き渡してくれたらね」


 肩越しに気配を伺う天――彼の肌が察知したのは、びくりとした二人分の身動ぎ。

 ひとつは大きく、そしてひとつは小さく――小さい方は、僅かに輪郭を跳ねさせた後で背に守る少女を庇うように緊張した。


「……それは出来かねます」

「どうして? そこの二人は、片方は食肉の楽園うちの職員だし、もう片方は商品なんだけど?」

「職員の方はまだ理解が出来ます。しかしその、商品というのが気に食わない」


 剣閃のように発せられた言葉に大きく溜息を吐いた神の被虐マソキスモセルは、落とした両肩を持ち直した後で真っ直ぐに天を見据え、そして告げた。


「――じゃあ、見逃せないなぁ」

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