死屍を抱いて獅子となる⑦

 その日、拠点アジトの中はざわついていた。

 あれだけ降り頻っていた雨が綺麗さっぱりと上がったのだ。街は久し振りに乾燥機ではなく天日で洗濯物が乾かせると喜んだが、【禁書】アポクリファに身を置く者は多少の警戒心を胸に宿した。


 きっと、神の軍勢が来る。

 そう予感せずにはいられない、雲間から指す光の帯――天使の梯子。


「シシ。予定を繰り上げて、今日は魔術の訓練を

「えっ?」


 剣術や格闘術の訓練の傍ら、エーデルはシシに魔術の手解きをも行っていた。しかしこれがまた難航しており、シシの脊髄に備わる霊基配列――神殺しヒトガタで言う“人造霊脊”スピナルコードだ――は固着せず、数々の魔術を行使する資格はあったが、如何せん才能があるかと問われるとそれは“否”ノーだ。


 魔術とは、生物に限らずあらゆる存在が有する“霊基配列”を組み替え、自身の体内を循環する霊銀ミスリルを通すことで霊銀ミスリルに意味を持たせ、そして霊銀ミスリル同士の共鳴作用で以て対象に効果を及ぼす、だ。

 ノヱルや天、山犬であっても、この作業を人造霊脊スピナルコードで代用し定められた魔術式を展開し魔術を行使している。


 この霊基配列は大人になるにつれ固着が進むが、幼い頃から魔術の訓練をし霊基配列の組み換えを繰り返すことでその固着を阻むことが出来る。

 シシは魔術など齧ったことは無かったが、辛うじて固着していない故に魔術を扱う資格は持ち合わせていた。


 だが才能が無く、また培う環境に無かった彼女は、修練の第一段階である“霊銀ミスリルを知覚する”というところから躓いていた。

 そのため魔術の修得については絶望的だと思われていたが――ノヱルが見せた夢がまさかの解決の鍵となった。どういうわけか、あれだけさっぱりと解らなかった霊銀ミスリルの流れが、今朝方から知覚できるようになっていたのである。


「……よし。なら、次の段階ステージだよ」

「はいっ!」


 これにはエーデルも驚いたが、それよりもそこからのシシの吸収力の方がさらに彼女を驚かせた。

 スポンジ、という言葉があるがシシの吸収力はそれよりもさらに並外れており、教えた傍から応用を利かせる気転すら心得ていた。


 相変わらず“強くなりたい”という執着はあった。しかし確実にその執着は、以前までのそれと色彩や質感が変わっていたことを、エーデルはすぐに察知した。


「細かいことは身体で覚えな。今からどんどん射撃魔術をぶつけるから――魔術でどうにかしてみな」

「……はい」


 エーデルの顔つきが変わった。教える側から、叩き込む側へと推移したのだ。

 そこから先に手心と言うものが無いことをシシは察知した。そして、非常に感覚的に、自らの霊基配列を組み替えて霊銀ミスリルを通した。


「――“魔弾”タスラムっ!」


 それは最も単純な、“魔力そのものを固めて射撃する”という魔術だった。例えるなら掻き集めた雪をぎゅっと握って小さく硬く、雪玉の形状に整形してぶん投げる、凡そそのような魔術と言い換えていい。無論、その速度と威力は段違いだが。


「はぁっ! ————でぇっ!」


 失敗――霊基配列を通った霊銀ミスリルは何の意味をも持たなかった。これでは魔術が発動する筈も無い。


「次、行くよっ!」

「……はいっ!」


 額に薄っすらと血を滲ませて立ち上がったシシは、再度自らの体内に巡る霊銀ミスリルの流れを意識した。


“魔弾”タスラムっ!」

「はぁっ! ————いだぁっ!」


 魔弾タスラムは今度、シシの鳩尾に直撃した。


 十回やっても、その配列に意味などは生まれなかった。

 一度ごとに、エーデルが障壁魔術を行使するために霊基配列を組み替えるところを見させてもらった。霊銀ミスリルがどう流れていくか、という動きから霊基配列の形を類推することは出来たが、霊基配列の形は存在ごとに大きく違う。それを、同じ形に組み替える作業はなかなか骨が折れた。折れるばかりで、身にならないという結末も大いに在り得た。魔術士は先天的に宿した霊基配列により、魔術の系統に向き不向きが現れるのだ。

 シシが障壁魔術を修得できないという未来は、ただまだ訪れていないだけ――それが訪れるかどうかを知るには、環境と人員がこの場に欠乏していた。


「……午前の訓練はここまでだ。午後、飯をかっ喰らったらまたやるよ」

「はいっ!」


 うまくいかない現実に涙ぐみながら、それでも果敢に立ち向かうことをシシは選択していた。誰かが憎いとか、そういう顔つきではもう無かった。

 だからこそ午後の訓練には、魔術に詳しい沈む人族フィーディアンの女魔術士や食べる人族ヴェントリアンの老いた魔術士、また七つ指族セプテミアンの小柄な錬金術士や爪と尾族ティグリシアンの魔戦士も集ってシシに手解きを加えた。皆、頼まれたのではなく、シシの頑張りを見て心を動かされた人達だった。


 そもそも“粛聖”ジハド以前には、彼ら“亜人”――こう呼ぶことでさえ、今では忌避される――は真なる人族ヴェルミアンに虐げられてきた。

 そうでなかった地域もあったにはあったが、大陸全土でその様相はほぼ変わらなかった。

 だから【禁書】アポクリファの中であっても、真なる人族ヴェルミアンに対して悪感情を抱く者も少なくはない。ただ、“神の軍勢を討つ”という大義名分の下に集っているに過ぎない。


 それでも、そんな彼らも心を動かされるほどだったのだ。動いたのは僅か一部に過ぎなかったが、もしもこの先もあったなら【禁書】アポクリファの大半がシシのために自由や時間、資材や資金を注ぎ込んでその成長を後押ししただろう。


 そう――“しただろう”としか、語れない。



 神の軍勢が、襲来したからだ。



   ◆



緊急事態メーデー! 緊急事態メーデー!」

「各戦闘要員は配置に急げ!」

「神の軍勢に遅れを取るなぁっ!」

「街の住民を守れぇっ!」


 通信魔術を最大限に展開し、情報伝達は速やかに為された。

 それでも手薄な場所は存在する。

 凧の天獣アネモプロイアを筆頭とする天獣たちは飛翔しながら炎撃を殺到させる。しかしここで生きてくるのが、沈む人族フィーディアンが得意とする水流を操る魔術――流術だ。


“噴泉障壁”スプリングカーテン!」


 呼び寄せられ集った湖水の噴流が防壁となり、悉く空から飛来する火炎を打ち消して行く。


“強襲する水礫”スプラシング・ショットバレット!」


 お返しにと繰り出された魔術は、高圧で凝縮した水弾をばら撒く広範囲のものだ。

 水弾ひとつひとつは小さいが、それも一度に束ねられて穿たれれば致命になり得る。

 間一髪避けられたとしても、距離をとるほどに広範囲を迎撃する飛沫が翼に小さな穴を幾つも穿ち、天獣たちは失速して地に墜ちた。


「だっしゃぁぁぁい!」


 そこを取り溢さず仕留めるのが地上部隊。

 彼らは空中の敵への迎撃手段を持たないが、敵が地に降り立てば果敢に戦い、その身を粉にする。

 時折炭となってしまう者もいたが、しかし地上戦では彼らに僅かに分があった。


“魔弾”タスラム!」


 地上部隊を務めながらも、遠隔攻撃の手段を持つ者もいる。例えばエーデルワイスやノヱルのように。

 彼らは担当エリアに敵がいない時にはそうやって空の迎撃を担いながら、また地上戦の戦線をも築く。

 また、後衛である迎撃部隊の守衛を務める場合もあった。


「エーデルさん!」


 戦場の後方を直走り、シシは【魔弾】タスラムを放ちに放つエーデルに合流した。

 先程まで共にいた亜人の魔術使い達はすでに戦場へと身を投じている。


「相変わらず戦士じゃ無いねぇ、シシ。こういう時は、未熟でも戦線を駆け巡るのが暗黙の了解だよぉ」


 魔力で凝り固めた霊銀ミスリルの弾丸を射出しながら、エーデルは不安そうなシシの頭にぽんと手を置いた。


「シシ。最期になるかも知れないからよく目に焼き付けておくんだよ? これが戦士の、傭兵の生き様ってもんさ!」


 そして雄叫びよりも怒号よりも獣じみた咆哮をひとつ上げると、エーデルは坂を駆け上ってやってくる豹の天獣レオパーダリの一団目掛けて疾走を見せた。

 狂戦士のような破顔で振り下ろされた両手剣は天獣を縦に等分し、穿った石畳のことなど全く気にしない様子でそのまま真横に大きく薙ぐ。


 血飛沫の代わりに火の粉が上がり、天獣は次々と霊銀ミスリル結晶を遺して消失していく。


「ハッハー! 全く――!」


 彼女が担当するエリアに彼女しかいないわけでは無い。ただ、誰もが分かっているのだ、あの輪の中に入れば自らも亡骸になる、と言うことを。

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