異ノ血の異ノ理⑩
「よっしゃぁー行っくぞぉー!」
「……おー」
小柄だが快活な少女が勢い良く右拳を天に突き上げ、同時に放った威勢のいい声に倣い、黒い少女もまた小さく静かではあるが拳を掲げて声を放った。
エディとレヲン、ミリアムがマイヤー家を訪ねている間、ガークス支部長の指示により周辺の神の軍勢の調査およびその討伐に出かけていた。
だが本来、彼女たちはガークスの指揮命令系統の下にはいない。それでも彼女たちがそれを引き受けたのは、単に山犬と冥とが互いの戦闘能力、そして連携を確かめるためだ。
狂人、クルード・ソルニフォラスが創り上げた至高のヒトガタ、それは山犬で間違いない。
しかし冥という新たなる囮役が現れたことで、山犬の戦闘能力を攻撃方面に振り切ることが本当に出来るのか――ここにノヱルがいたなら「実戦検証の時間だ」等と宣っていたに違いない。
「さぁーて……問題は、軍勢が何処にいるか、ってことだけどー」
タルクェスの住民から寄せられた目撃情報を元に割り出した大まかな座標は広い範囲を示している。
だがイェセロを襲撃した残党なのか、その多くはタルクェスの真北――つまりは玄湖方面に多く寄せられている。
「取り敢えず、湖の方に向かって行けばいつかぶち当たるんじゃないかな」
「おっけぃ、それで行きまっしょい!」
そして山犬は
「……お姉ちゃん、かっこいい」
「ヴォゥッ!」
「……え、喋れないの?」
「ヴァオゥッ!」
「マジか……」
落胆しながらも、伏した背に跨る冥。そして山犬は一つ吼え、身を起こして駆け出す。
踏み出した一歩目から
郊外とは言え街中で変じたために多少住民とすれ違ってしまい、よくは聞き取れなかったが何やら驚いた拍子の上擦った声を耳にし、心の中で申し訳ない気持ちになったが、しかしまさしく風を切って進むことの気持ちよさがその感情を上書きする。
十五分ほど走っただろうか――すでに街道からも外れ、玄湖を望む山の麓へと駆ける脚は踏み入った。
そこで急
まだ日の昇る余地のある空に飛翔する、三体の影――天獣だ。あの形状からして恐らくは
「見つけたぁっ!」
声に振り返れば、山犬は既に変身を解いて愛らしい少女の姿を取り戻している。
その姿で戦うのだろうか――冥は眉を顰めるが、山犬は腕をぶんぶんと振り回して非常にやる気だ。
「それではぁ! 作戦を発表します!」
「あ、はい……」
「冥ちゃん! よろ!」
「あ、え? あたし?」
「そーだよ! 山犬ちゃんに何かを考える力があると、冥ちゃんは思っているのかなぁ?」
「あー……分かりました。じゃあ、取り敢えずあたしが敵を引き付けますから、山犬お姉ちゃんは死角から敵を衝いてください」
言いながら冥は自らに内蔵された唯一の攻撃機能である“短剣”を展開した。
空に向けた右の掌に現れたナイフ――刃渡りは僅か10センチメートルほど。刀身はやや厚みを持つが、それで天獣や天使を迎撃できるとは到底思えない代物だ。特に魔術が内包されているわけでも無い。
だが彼女にとってそれはそれでいいのだ。何故ならその刃は他者を傷つけるためのものでは無く、自らを傷つけるためのものなのだから。
「あとは合わせで――――行きます」
そして逆手に握ったナイフの切っ先を、差し出した左の前腕目掛けて思い切り振り下ろす。
「おわぁ……」
「
号令のように吐き出された言葉に合わせ、赤い蜉蝣の軍勢は宙を翻って天獣へと飛翔する。
次第にその表皮に取り付いた蜉蝣たちが溶け込み、その内面を蹂躙する。
攻撃を行った冥を窪んだ眼窩に灯る眼球代わりの炎で睨み付け、生まれた傍から肥大していく憎悪に駆られるままに急降下を始めた。
三体の視界に映るのは討つべき対象としての冥だけであり――だから、真正面から跳び上がり拳を振り上げる山犬の姿等、映っていたとしても気に留められない。
「山犬ちゃーん、パンチッ!!」
顔面の中心に繰り出された拳を受け、その衝撃が脊髄を砕き肉を爆散させ赤黒い嫌な花火となる。
それでも尚、残る二体は冥を標的として降下を続ける。
「させないよっ!」
だから山犬は空中であるにも関わらず、身体を捻って反転させては、拉げたての骨肉の塊を両手で掴むとそれを思い切り投げつけた。
降下する天獣よりも速く、流星のように飛来した塊は炎へと還るその直前で天獣たちの背を穿ち、残る二体もそれで炎へと還った。
「いやっふー!」
猫のように翻って柔らかく着地した山犬は小躍りしながら冥へと駆け寄る。
だがその目に映るのは左前腕から激しく組織液を垂らした姿だ。途端に山犬はうみゅうと痛々しい顔になり、「大丈夫?」と小さく訊ねる。
「うん。この身体になる前から、殆ど痛みは感じないから」
「うぇ……大丈夫じゃないぢゃん」
本来、冥に期待された機能とは自らを殺すことで暴発する
だから冥の躯体には再生機能などという高尚なものは備わっておらず、その身は傷ついたなら修復が必要なのである。
「……これ、」
「え?」
そんな冥に山犬が差し出した手の上に載っていたのは、うぞうぞと動く粘菌のような――山犬の
顔を顰めた冥だったが、そんなことはおかまいなしに山犬は空いた手で冥の左腕を取り、無理矢理その蠢く塊を押し付ける。
「ちょっ、」
「これで大丈夫だよ」
調査団としてスティヴァリへと向かう最中、
山犬の
「……すごい」
「えへへ、でしょでしょ!?」
感嘆する冥を見て自慢げに胸を張る山犬。だが直ぐに、その顔に仄かに影が差す。
「ねぇ、やっぱりやめよう?」
「え?」
「……冥ちゃんは、囮になっちゃ駄目だよ。だって、そのために自分で自分を傷つけるのは、痛いよ?」
ああ――納得が胸に落ち、堪らず冥は山犬の小柄な身体を抱き締める。
本来の冥は実際には山犬とそう背丈は変わらない。150センチ台前半だ。だがこの世界に用意された彼女の躯体は、それよりも一回り大きな背格好をしている。相変わらずの細身ではあるが。
引き寄せた山犬の頭を自らの胸に埋めさせ、そして冥はゆっくりと首を横に振った。
「やめないよ。さっきも言ったけど、もう随分と前から、痛いってことがよく分からないんだ」
「でも……」
「あたしは、もう何度も自分を傷つけて殺してきた。そうしなきゃ強くなれないって思って。それは間違いかも知れなかったけど、今強く思うよ。間違いじゃなかった、って」
「……うん」
「あたしにはそれは必要なことだった。そしてこれからも必要なら、何度だって死んで、そして強くなって生まれ変わって見せる、生き返って見せる。だからお姉ちゃん、あたしのことは気にしないで。あたしは戦士じゃないけれど、一緒に戦う以上、これ以上の同情は侮辱だよ」
「ん~……うん」
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