異ノ血の異ノ理⑪
玄湖方面へと北上する最中、山犬と冥は何度も天獣たちと交戦を繰り返した。
遊撃あるいは迎撃の起点となるのは常に冥の放つ
山犬は消耗を避けるために初めの移動以外では
しかし天獣相手ならば余程の数でない限り、山犬はその身体性能だけで圧倒することが出来る。
振るう腕は胴を突き抜けるし、払う蹴り脚は頭部を簡単に吹き飛ばすのだ。
彼女たちにとって問題があるとするならば、冥が
最も、冥の躯体内で増殖するそれは、山犬の固有座標域に紐づけられている。そこに蓄えられた動力を消費して冥の躯体を再生させているのだ。
だからなるべく山犬は天獣たちを喰らいたかったが、そこに時間をかけ過ぎると漏らした敵が冥に向かいかねない。
冥は殺されることで相手を殺して自らは蘇生するというトンデモな固有魔術を有してはいるが、山犬はそれを視認していないものの、それを使わせるような事態は避けたいと思っていたし、その気遣いは冥にも筒抜けていた。
だから、彼女たちの共闘に生じた問題とは結局のところ、山犬と冥とが、真に互いを信頼しきれないという心の在り方だった。
「やめよう、お姉ちゃん。これ以上やっても無駄だよ」
その声音は、山犬にはとても辛辣に聞こえてしまう。
しかし冥が抱く憤りの矛先は任せてもらえるほど強くない自分自身だ。
「でも課題は見つかった。あたし、レヲンにお願いしてみるよ」
「えっ? 何を?」
「何って……改造」
眉根を寄せて首を傾げる山犬に、冥は彼女の中に取り込まれたクルードの話をする。
それを聞いて山犬は漸くその事実を思い出し、柏手を打って納得の感嘆を漏らした。
「あたしがもっと強くなれば、お姉ちゃんもあたしのことなんか気にしないでもっと自由に、お姉ちゃんらしく動くことが出来るでしょ?」
「うん……そうかも」
「じゃあ今日はもうお
「……うん」
冥は勿論気付いていた。山犬の顔が晴れないのは、心の何処かでやはり自分が傷つきながらで無いと戦えないという機能に思うところがあるからだ、と。
冥は自分から進言するように、自分のことを戦士だとは思っていない。彼女は戦闘用に調整を施されたヒトガタなどでは無く、ただただ本来持ち得た
その身体性能は本来の彼女が有しているもののままであり、自らを傷付けるためのナイフ以外の
だが戦わなければ、守れないことは知っている。
すでにレヲンも山犬も、彼女にとっては守りたい、失いたくない存在だ。
出逢ってからの時間など関係ない。彼女たちの在り方は冥にとって眩しく、きっと冥が手に入れることの出来ないものだ。
走る山犬の背に乗ってそんなことを考えていた冥は、そこで漸く気付いた。
何故出逢って間もない彼女たちに惹かれたのか。何故ここまで、自分を犠牲にしても守りたいと強く思うのか。
彼女たちは似ているのだ。冥が、その生涯で最も愛した筈の人達に。
レヲンは、森瀬芽衣に。
山犬は、その森瀬芽衣の親友である四月朔日咲に。
(ああ……そうだな、きっとそうだ。お姉ちゃんなんて、顔から身長からそっくりだし)
腑に落ちた。だから冥は、強く想う。
この二人のためなら、自分を犠牲に戦うことも辞さない。
ただ当の二人は、それを心の底からは許してくれないだろう。
なら、そうしなくても守れるだけの、肩を並べて戦えるだけの強さはやはり必要だ。
「お姉ちゃん……ごめんね」
「ワンッ?」
「……何でもない」
そして二基のヒトガタは
そこには、また晴れない顔をしたエディとレヲン、そしてミリアムがちょうど帰り着いていた。
◆
「サントゥワリオ、ですか……」
「ああ、そうだ」
すでにエディの次の目的地は決まっていた。
サントゥワリオ神聖国――聖天教団の本拠地であるサントゥワリオ大聖堂を擁し、それがそのまま国の名となっている大陸最大の宗教国家である。
しかしそこに向かうには隣国パールスを経由しなければならない。それこそがエディの懸念材料であり、それはガークスとて百も承知だった。
パールスには、
ライモンドの言葉に従うなら、此度の旅の最中に
だからガークスは陸路を行く囮を立てる算段を進めていた。その囮の中に、ヒトガタ二基を編成している。
「……山犬や冥は何て言っているのですか?」
「構わないと、儂はそう聞いておる」
陸路を行く囮は大隊でサントゥワリオへと向かい、そしてエディたち調査団は潜水艦で湾岸沿いに移動して大聖堂を目指す――そんな
少しだけ逡巡するエディだったが、しかし最終的には頷いた。彼の頭では、それを超える確実性を持った作戦は立案できそうになかったからだ。
山犬と冥がいるのであれば、どのような襲撃であっても生き延びて到達できるのでは無いか――結局頼らざるを得ないとは、何とも頭の上がらないことだと嘆息する。
「分かりました。出立は明日の朝ですね」
「ああ。此度は儂も向かう――流石に囮の中に要人が紛れておらぬのでは勘付かれるからな」
ガークスだけでは無い。ここタルクェス支部の長であるステファノ・ゴランドーも同行すると言うのだ。
ステファノは戦線に出ることこそ久しく無いが、指揮能力は群を抜いていると聞いている。ヒトガタだけでは無く、タルクェス支部の猛者たちも多く同行する大隊だ。だがエディの胸には掴みどころの無い不安が渦巻いている。
「了解です。宜しくお願いします」
一礼し、ガークスの部屋を後にするエディ。
その夜、何度試そうとも聖剣は鞘から引き抜けなかった。
(何が足りない……俺には、何が……)
天使の力など要らない、とは言ったものの。
だがエディは、英雄たる者が持つべき力への執着があった。
彼の剣の師であるエーデルワイスは“執着を捨てろ”と言った。それが強さの源だと。
しかしエディにとって、その聖剣を引き抜くという行為は執着を超えて使命に似た概念として捉えられている。
引き抜きたい、では無く、引き抜かなければならない、だ。
かつてこの聖剣の使い手であったフラマーズ・マイヤーに想いを寄せるエディ。
ウィリアムからは去り際、彼に関する歴史書や手記など、借りられる分を全部借りて持ち帰った。
彼がどのような想いでこの聖剣を抜き放ち、そして盟友だった筈の
フラマーズ・マイヤーは
死の間際の彼の手記には、壮絶な想いが犇々と綴られていた。
“彼は決して悪などでは無かった”
“彼を蔑んだ我々こそが悪であり”
“彼を蔑むような意識を齎した教団こそ悪であり”
“彼を討った私もまた悪そのものでしか無い”
最期の手記は、頁が進むにつれてどんどんと筆跡が弱弱しく、また蚯蚓が這うような悲惨なものになっていく。
“呪われろ 人間など呪われて仕方が無い”
その言葉こそ、フラマーズ・マイヤーの最期の言葉。
救国の英雄と謳われたその人が、こんな想いを抱えて息を引き取ったのだ――成程、聖剣が抜けないわけだ。
(……彼らの呪い、怨念が、この聖剣に宿ってしまっているんだ)
きっと
だがエディは知らない。彼らの遭遇を、交流を、交友を、そして交戦を知らない。
(聖剣……お前は、どうしたいんだ?)
(主の無念を抱え続けて、ただただ朽ちてしまう時を待ちたいのか?)
(俺は……それでも、お前を引き抜きたい)
(お前にどんな力があるのかは知らないし、その力を十全に引き出して使えるとも思っていない。俺とお前の力を合わせても、多分きっと、神とやらには届かないってことも十分に分かってる)
(でも……)
「……それでも、お前を抜くのは俺だよ」
ぐっと鞘を握る手に力が入り、ほんの僅かにみしりと言う金属の軋みが静かな部屋にこだまする。
「俺じゃ無ければいけない。レヲンでも、ガークス支部長でも、他の誰でも無い、俺じゃなきゃ……じゃないと、この先一緒に戦って行けない。ノヱルさんや天さんや、山犬や冥、……レヲンと、一緒に戦えない」
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