夢・デマ・他愛・魔性⑥

 気配、そして霊銀ミスリル反応の座標へと近付くにつれ、二人の耳にはある音が聞こえるようになる。

 音――いや、それは声だった。確かに、慟哭を顕わにすすり泣くか細い声だった。


「……見つけた」


 倒壊した壁や天井の瓦礫が作る地面に座り、ただただすすり泣く少女。

 彼女は眼前に現れた二人に気付くや、恐怖に蒼褪めて身動ぎをした――しかし直ぐに、不安と安堵とを綯い交ぜに宿した絶妙な表情を浮かべたのだ。


 だが絶妙と言えば、彼女を目にした天もまた、困惑を基軸とした神妙な面持ちだった。


「――マリアベル?」

「マリアベル?」


 徐に発せられた名を反復する牛は天を向いたが、天は固まったまま動けないでいる。

 困惑はこの時、天だけのものでは無くなった。牛も、そしてマリアベルと呼ばれた少女もまた、同様に困惑していた。


「あの……マリアベルさん、ですか?」


 しかし最もその深度が浅かったのは牛。だから牛は少女にそう訊ねた。

 慟哭から解放された少女はしかし未だ嗚咽に僅かに囚われており、しゃくり上げる呼吸とともに首を横に振る――牛はさらに困惑し、再び天を向いた。


 天は、固まったままだった。


「……」


 牛は困った。

 前を見れば啜り泣いてばかりの少女。

 後ろを振り返ればまるで石になったヒトガタ。

 生前より愚痴など全く溢さない牛だったが、彼の精神性も今や本来の四分の一だ。ならば頭を抱えないまでも小首を傾げる程度の芸当は造作も無い。

 だが危難に対してはそもそも前向きポジティブな牛だ。立ち止まったとしてもそれは前進の、この状況を好転させる糸口を探すため。

 だが牛がそれを見出すより早く、天は忘我の淵より立ち返る。


「……大変、失礼を致しました。貴女の可憐さについつい目と心とを奪われておりました」


 牛は唾を吐き捨てたい衝動に駆られた。だがその衝動は本来の彼にはありはしないものだった。故に牛は胸に沸き起こったその衝動を理解出来ずにそれに従うことが出来なかった。

 そんな牛の胸中など露知らず、天は彼の得意とする誰しもに安心感を抱かせる誠実笑顔を表情に纏い、未だ慟哭の端を握る少女をにこにこと見つめている。


 だが少女は天の思惑通りには動かず、またもぷいと顔を背けると、込み上げる慟哭の限りを叫びと涙とに託し続けた。

 天の顔が落胆の色に染まった時、すでに牛は冷淡な表情を点していた。だがその脳裏には先程天が零した『マリアベル』という言葉がこびりついている。


 マリアベルとは誰なのか。

 マリアベルではないこの少女は誰なのか。

 この世界がどうしてこうも荒廃してしまったのか。

 この少女が哭いているのは何故なのか。


 横をぷいと見遣れば天は涼し気な表情だが、腕を組んで片方の手を口許に当てていることからすればこの少女にどう接すればいいのか考えあぐねているのだろうと見受けられた。

 牛とて同じ気持ちだ――現状、彼女以外にこの地に何かが見つかるという確証も無い。ならば、この巡り合わせこそ解と信じてつまびらかにする他無い。


「……あの」


 しかし少女は、天と牛とがそれぞれに腰に得物を差していることに気付くと僅かに瞳孔を拡げてそれを見詰めた。

 その瞬間、しゃくり上がっていた彼女の呼吸はぴたりと止まり――その目が、真上に持ち上がる。


「……さい」

「え?」

「何でしょう?」


 再び、俄かに零れる涙とともに。

 彼女の涸れた喉から絞り出された言葉は、天と牛との二人の胸を穿つ。


「私を、殺してください」


 瓦礫の地面に尻と脚の大部分を着け力無く座り込む彼女を見下ろす二つの視線がそれぞれに異なる色を宿し始める。

 真水を墨が蹂躙するように、それよりも遥かに高速で染まり上がった思考がぶつかり合う――牛が抜き放とうと柄に触れた右腕を、天の右腕がそうはさせじと掴み抑えたのだ。


「……どういうおつもりですか?」

「それは僕の台詞ですが?」


 睨み合う二人――目鼻の先に目鼻のある、隔絶とは言い難い距離で散る静かすぎる火花。

 顔を上げて少女がその応酬に気付いた瞬間ときには――鋭い横蹴りを繰り出した牛の足刀を、下から掬い上げるように払った天が同時に跳び退いていた。


「っ」

「!」


 軍刀を抜き放とうとする牛に対し、それを阻もうと突進し腕を伸ばす天。

 柔術、という徒手空拳での戦闘法をインストールしている天に分があると思われたが、しかし純粋な戦闘経験の差で言えば牛の圧勝だった。何しろ世界をひとつ破壊しているのだ。無論、その世界において幾度と死線をも潜り抜けてきた。そもそも、その地を作っているのは軍刀術という武道の鍛錬だ。

 身に沁みついていない机上の空論と、習慣を超えて人格を形成するほど繰り返され洗練された技巧の冴え。

 そのどちらに軍配が上がるかなど論じるべきですら無い。


「――ぐ、ぅっ」


 そして軍刀を抜き放ちながら牛の放った柄尻での打撃が人体急所で言うところの“水月”――鳩尾みぞおちに食い込み、堪らずたたらを踏んで後退する天。

 歯噛みしながら睨み上げた双眸に映るのは、直刀型の白刃の切っ先をこちらに向けて構える牛の涼やかな姿だ。


「……殺すのですか?」

「殺してくださいと乞われましたので」

「それが本心かどうか、確かめもせずに?」

「自分自身の心ですら不鮮明なのに、外に吐き漏れた言葉以外に何を以て真意と出来ますか?」

「……貴様はやはり、度し難い」

「こちらの台詞ですよ、天」


 そして天もまた、腰と膝とを落として前後に大きく両脚を拡げると、上体を低く屈め、そして右腕をだらりと地に着くほどに垂らした――彼特有の、必殺の居合の構えだ。

 前進することで慣性により前に垂れた右腕は自然と鞘に収まった刀の柄へと向かい、極限の脱力から零時間をかけての極限の緊張へと移ろわせることによる、究極の速度を持つ居合の一閃。それこそが天の斬撃の全てであり、それこそが天の剣閃の全てだった。


 対する牛は、切っ先を真っ直ぐに標的へと向けたままにその柄を両手で把持し、腰も膝も力を抜いて落としたが、天ほどでは無い――後手に回ったとて即応でき、かつ踵で強く地面を押し退けるような歩法で以て瞬時の前進を可能とする彼の軍刀術の基本の姿勢だ。

 そしてその力強くも鋭い前進は、同時に無拍子ノーモーションの“突き”となる。


 刀を鞘に納めた状態からの居合による一撃必殺の剣閃と。

 抜き放ち構えた刀をそのまま前進により相手に突き刺す無拍子の刺突。


 何故か眼前で始まった二人の衝突に少女は息を呑み、哭くことも呼吸すらも一時忘れてしまった。

 風も雲も、何もかもが静止してしまったようだ。対峙する二つの闘志ですらも。


 静寂――いや、静かに佇んでいるのではない。その逆で、逃げ出したい身体が繋ぎ止められているのだ。二人の剣幕に、影を射止められ身が竦み何もかもが動けないでいるのだ。

 最早そんな錯覚さえ抱いてしまうほどの必殺の気迫が――高まり、そして突如弾けた。


 両者ともに同時に動いたように見えたが、流石はヒトガタだ。機械の構造が生み出す人体を超越した力は凄まじい速度で肉薄し、右手は確かに白刃を抜き放って横薙ぎの一閃を繰り出す――今彼の刀に牛は込められていないためにその全てを解放できないが、その一撃は幾多の天使や天獣の命を奪ってきた天の斬術に他ならない。


 だが哀しいかな、その一撃が届くよりも速く真っ直ぐな切っ先は開こうとした右脇と胸の間にすうっと入り込み、途轍もない衝撃が天の身体を跳ねさせた。

 剣閃は力を失い空を流れ、ただ“前に進む”という行為だけを造作なく為した牛の一撃は天を貫いた。


 そう――それがもしも円運動ではなく、直線運動であったなら。

 速度に勝っていた牛の突きよりも速く、その身を断っていたのだろう。

 なまじ速かった故に、カウンターとして突き刺さった牛の突きの重さは天の剣閃のそれをすら孕んでいた。


 跳びかかったのより長い距離を浮遊し、そして背中から墜ちた天。

 上体を僅かに起こし、それが限界である今の天の目には――しかし、牛が少女を殺す場面は映らなかった。


「……まさか、……そんな……」


 牛が握る柄と鍔の先――真っ直ぐな刀身は、半ばから断たれてしまっていたのだ。

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