消えない肉沁み⑨
「迷える仔羊――いや、君らは仔豚だな。まぁいい」
6日間に渡る蹂躙が終わり、焼野原となった街に再び天使が舞い降りたのは2年後のことで、8歳になったシュヴァインは孤児だった。
「しかしその仔豚の中に、仔羊が交ざり込んでいるな」
美目麗しい金色の天使は、しかし冷徹を眼差しに宿していた。
その双眸に見据えられた
シュヴァイン・ベハイテンも例に漏れず、“ああ、自分はこれから殺されるんだ”と覚悟した。生き残り、
「――だが、赦そう」
その後には困惑が生まれ、そして希望が追従した。それを助長するように、
「我らが偉大にして尊大にして寛大なる
ぴたりと喧騒が止む。誰しもが続く言葉を賜ろうとしていた。
「しかし、仔羊には肉となってもらう。仔豚よ、仔羊を育てよ。さすれば君らの頭に天より永遠たる繁栄、永劫たる福音は授けられよう」
強制的に
老年者や年端のいかない子供たちは労働力に割り当てられた。
急造の畜舎を管理し、熱に浮かされた
天使たちに管理された街はみるみるうちに復興していった。そうでなくても人が住める程度には元に戻っていたが、天使たちは以前よりもさらに住みやすくなるよう区画の整理を指示し、また街の配色にも
街路には花や木を植え、
また路面は細かい石のタイルを敷き詰め、雨水の
生まれ変わった街は、
「君」
「……はい、何でしょう」
4年が過ぎ、12歳となったシュヴァイン・ベハイテンは傷だらけだった。
老齢な生き残りはいつの間にかいなくなっていた。その穴を補充するように工場へとやってきた
いや。それは逆かもしれない――配属された
事実はどうあれ、少なくともシュヴァインはそう考えていた。
だからこそ豚面の言うこと為すことに反さず、誠実が骨子になるほどシュヴァインは勤勉に働いた。
子供ながらに鍛えられていった身体に
だからだろうか――天使が彼に、声をかけたのは。
「君、名前は何と言う?」
「え……シュヴァインです、シュヴァイン・ベハイテンです」
それは
「歳はいくつになるんだい?」
「おかげさまで、今年で12歳になりました。
「
「はい。僕はまだ8歳の頃からここで働かせてもらっています、今年で5年目になります」
「仕事には慣れたかい?」
「おかげさまで、畜舎を綺麗に、清潔に保つことが天命と教えていただきました」
「その痣はどうしたんだい?」
「はい。僕はどうしようも無い
言葉に詰まったのは、その天使が彼の顔に指先で触れたからだ。
その撫ぜりも、その表情も、彼にとって全てが天使めいていた。
「……痛むかい?」
「……平気です。僕たちがしてきたことに比べれば、この程度の痛みは痛みではありません」
「そうか」
腰を屈めて目線を合わせていた天使はすらりとした身体を真っ直ぐに起き上がらせると、腰元からひとつの指輪を取り出して差し出した。
「これを指に嵌めるといい」
「これは?」
「君の姿は
「え?」
「……その傷は、“報い”だろう?――君にいなくなられては困るんだ」
ごくり、と喉が鳴った。
少年の目は、彼と同じ指輪を嵌める天使の左の人差し指に留まった。
「私は
天使の姿を纏った彼の言葉に、力強く頷いた。
シュヴァイン・ベハイテンの心は大きく揺れた。しかし今一度舞い降りた“希望”に、抗える術を彼は持ち得ていなかった。
「私のことは、そうだね――
「……はいっ!」
彼はより一層、勤勉に働いた。
畜舎の清掃は彼の得意分野だったし、天使からも賛辞を何度もいただいた。
そのうちに、違う仕事を任されるようになった。食肉の解体だ。何度も嗚咽と吐瀉感が込み上げてきたが必死で押し殺し必死で飲み込んだ。
生き延びるためには心を殺さなければならなかった。それ以上に、同じ命を殺すことが辛かった。厳しかった。
しかし人というのは慣れる生き物である。それは別に
そうなると今度は食肉の飼育も任されるようになる。
その頃には畜舎は“宿舎”と呼ばれ出し、食肉人種にありつく人々は次第に肉の質に声を荒げるようになった。
より脂の載った、とろけるような食感を。
より芳醇な薫りを孕んだ、舌の唸る味を。
取り上げた赤子を、調整されたプログラム通りに育て、出荷の日を待つ。
愛情は食肉の表情や筋肉を軟化させ、また出荷の際もトラブルが少ないとされ評価された。
「シュヴァインさん、お世話になりました」
「ああ――美味しく食べられろよ」
ぺこりと頭を下げて彼らが薬殺場へと旅立って行く日に流す涙を操れるようになったのは25歳の時だった。でもシュヴァインは心の中で血の涙を流すことを忘れなかった。
「やぁ――久し振り」
「お久しぶりです、
天使は毎月現れた。時折来ない月もあったが、色々と難しいこともあるらしい。
「今日は、買い付けに来たよ」
「そうですか――でしたら、一等品がございます」
一年に一度、
食肉人種が広く食べられる世の中では
しかし
天使の主材料は“炎”だ。彼らはヒトガタ同様に、休眠も補給も必要ない。ただし、人間同様に何かを食べたり、飲んだりすることは出来るし、味を感じることも出来る。
毎年買い付けに来る
しかしシュヴァインは知っている――
彼の、唯一の協力者であるシュヴァインだけが知っているのだ。
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