消えない肉沁み③

「……おい、眠ったか?」

「ええ、大丈夫よ」


 豚面の夫婦がテーブルに突っ伏した山犬と、背凭れにぐったりと身体を預けて目を閉じているノヱルの姿を見て二人が目論見通り眠ったことを確認した。


「ふぅ……いやしかしビビったぜ」


 安堵の溜息を吐いたランゼルは、陶器のコップに入った水をぐび、と飲み干した。


「何でまた“真なる人族”ヴェルミアンだなんて危険な奴らを拾ったのさ」

「傍目じゃ判らなかったんだよ。“真なる人族”ヴェルミアンだって知っていたら無視したさ――それにしても、処方された薬がこんなところで役に立つなんてな」


 ランゼルの妻は最近、不眠症で睡眠導入剤を処方されていたのだ。ランゼルはそれを融かし、二人が利用したフォークとナイフにべったりと付けていたのだ。

 薬は水溶性、しかも水に溶けると透明になることもまた、ランゼルの機転に寄与していた。


 しかし誤算があるとすれば――相手が、ただのことだ。


「成程――食事にではなく食器に毒を塗ることで己れたちだけにそれを及ばせたのか」


 むくり――明らかに意図的に毒を盛られたことを確認したノヱルは何事も無かったように瞼を開き、佇まいを整える。


「ひぃっ!」

「な、何でぇっ!?」


 持ち上げた銀食器には刺した肉の汁が付着しているが、ノヱルの目は汁と混じり合った薬物を確かに検知する。


「山犬、もういいぞ」

「ひぇっ!」


 霊銀ミスリル通信により『寝た振りをしろ』と伝えられていた山犬もまた、むくりと起き上がった。そして伏した時に顔面についた様々なソースを掌で拭き取り、その手に舌を這わせる。


「ねぇ、もう食べていい?」

「ああ、悪かったな」

「うんっ。だってこの料理、本っ当に美味しいんだもんっ!」


 許可を得ると山犬は食器を使わず手掴みで肉や野菜を口に運んでは頬張り、咀嚼の度に表情を変えた。

 目をぱちくりと見開いたかと思えば顔の中心に皺を寄せて幸せに悶絶し、惜しみない賛辞が嚥下した食べ物と入れ違いで溢れ出る。


「ノヱル君も食べなよ、美味しいよ!」

「馬鹿か。己れには消化機能は無い」

「ああ、そうだったそうだった」


 山犬の様子に呆れた溜息を吐いたノヱルは、椅子に腰を落ち着けたまま首だけを動かして夫婦を見た。

 テーブルの対岸で夫婦は身を寄せ合い、固唾を呑んで彼らの一挙手一投足を注視している。

 その様子がひどく怯えて見える理由は、ノヱルには勿論解っていた。


「悪いがあなた方の使ったような服用する類の毒は効かない――己れには消化機能は無いし、御覧の通り山犬は悪食だ。致命毒で有名なテトロドトキシンすら消化して動力エネルギーにする」


 冷淡な顔からすらすらと出て来る解説は、やはり二人に戦慄を与えるだけだった。


「……そこまで怯えないでくれ。そもそもは、己れが身分を偽ったことが悪いんだからな。己れたちは問われて“真なる人族”ヴェルミアンだと肯定したが、そこが嘘だ。己れたちはヒトガタ――フリュドリィス女王国クィーンダムにて造られた戦闘人形だ」

「むが、もごぐ、んぐっ――戦闘人形なのだぁ!」

「黙って食ってろ」


 再び溜息を吐いたノヱルは視線を二人に戻すと、柔らかい微笑み――そう思っているのはノヱルだけで、当の二人から見ればそれは嗜虐者の悪魔のような破顔だったが――を湛えると、落ち着き払って告げる。


「安心しろ、運んでくれたお礼に今の一件のことは不問にする。己れたちはまだ稼働し始めてから日が浅い、色々と現在のことについて知らなければならないし、やらなければいけないこともある。だから訊ねたいんだが――答えてくれるか?」



   ◆



 開け放たれた窓は部屋の薄いカーテンを外へとはためかせている。

 宿舎の外周を見回っていた天は、その様子を察知すると屋上を見上げた。


 いくつもちりばめられた星の下、煉瓦の三角屋根の斜面に座ってシシが一人膝を抱えている。


 シシがこんな風に窓から外壁の配管を伝って屋根の上へと上がることはよくあった。

 特に三か月に一回の検査の日の夜は眠れずに、こんな風に夜風を浴びて星を見上げた。


 シシのような食肉にとって、睡眠は必須だった。それはシシとて解っている。

 だが不合格だと知らされる度に頭の中を黒い靄が多い、それが喉を詰まらせ息苦しくさせる。まるで肺や心臓が小さくなったようにきゅぅと悲鳴を上げるのだ。


「眠れないんですか?」

「はぇっ!?」


 はしっ――思わぬ来訪者の声に驚き、屋根から転げ落ちそうになったシシの手を取ったのは天だった。


「あ、て、天さん……」

「今晩は――驚かせてしまい申し訳ない。それにしても、ずっと眺めていたくなるような星空ですね」

「え、あ、はい……」


 座り直したシシの隣に腰を落ち着けた天は夜空の深い藍色を見上げている。

 シシもまたそれに倣い星空を見上げた。そんな風に見上げたことはこれまでに無かった。いつだってシシは、自分の駄目さ加減を罵り、呪い、どうすればいいのか悩み果て、そうして感情が落ち着くまで夜風に当たっているだけだった。


「ど、どうしたんですか……?」

「いえ、夜間は宿舎の巡回をしているんですよ。賤方こなたらヒトガタは不眠不休で働き続けることが出来ますし、夜間の巡回は用心棒バウンサー時代の習慣でしたから」

「そ、そうなんですか……でも、どうやってここに?」


 ぼんやりと答えの定まらない問答に集中していたとは言え、壁の配管を上るために窓を開けたのであれば窓枠の軋む音が聞こえた筈だし、そもそも窓の開いている自室は鍵をかけている。

 それに屋根の煉瓦は踏むとカタカタと鳴った筈だ――しかしシシは天というヒトガタがどのような存在かを全く知らない。


「どうやって――ひとえに、跳んだのですよ」

「とんっ、え?」

「見せた方が早いですね」


 告げるや否や、天は前のめりに倒れ込むように立ち上がると、そのままふらりと屋根の淵から跳び下りた。

 慌てたシシは自らも滑り落ちないように確りと両手を煉瓦につけて下を覗き込む――両の足で芝生の上に立ち、ぶんぶんと大きくこちらに手を振る天の姿があった。


「それでは」


 そして天は大きくしゃがみ込むと、人の大きさをした発条バネのように溜めた力で地を蹴って跳び上がった。

 ふわりとした軌道を描き再び屋根の上に降り立った天――シシは驚愕する。その跳躍力もそうだが、一切音らしき音など無かった――着地の際も、衣擦れでさえも。


「こんなところです」


 にこやかに笑む天とは対照的に、シシの口は開いたままだ。二階程度の高さしか無いとは言え、それを一足で跳ぶ有り得なさ、そして音と気配を殺す技術スキルに絶句以外の音を漏らせなかった。


「あら――また、驚かせてしまいましたか? ふふ、その顔も素敵で可愛らしいですが……しかし女の子はやはり笑顔に限りますよ」


 またも煉瓦の屋根に腰を落ち着けながら天は中性的な声音と抑揚とで言葉を連ねる。


 驚きはした。だが、不思議と怖くはなかった。

 だからシシは口腔内に溜まった唾を嚥下すると、ふりふりと首を横に振る。そしてはにかむような、ぎこちない笑みを浮かべた。

 その表情を見て、天こそが柔らかく、誰しもを安心させるような笑顔を見せる。


「シシ――貴方に訊きたいことがあります。貴方の時間を奪うことをお許し下さい、答えていただけますか?」

「う、うん……ボクに訊きたいことって……何?」


 静寂を裂いて夜風が木々の葉を散らす。

 なびく碧の髪を掻き上げ、天は蠱惑的とも思える唇を蠢かせた。


「有難う――――貴方はどうして、食用とされているのですか?」

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