消えない肉沁み②

   ◆



「ただいま……」


 少女の顔は憂鬱だ。今度こそと意気込んだ検査に望むも、今度もまたこれまで同様に不合格。

 食用人肉である彼女にとって生きる意味とは“美味しく食べられること”だ。それ以外になく、そして規格・品質検査における不合格とは“食べる価値無し”つまりは“生きる価値無し”と言われるのと同義だ。


(……合わせる顔が無い)


 そう思いながらも彼女が宿舎に戻ってきたのは、彼女がそこ以外に居場所を持たないからであり。

 食用人肉に、“美味しく食べられること”以外の生きる道が与えられていないからだ。


「おかえり、シシ」


 彼女を“シシ”と呼んだ老いた男は蓄えた白い髭の奥にある口角を持ち上げて迎える。

 しかしシシの表情は暗く、そして視線の高さを調節して目を合わせてはくれない――いつだってそうだった。彼女が季節に一度の検査に落ちて帰ってる時には、いつだってそんな顔をしていた。だから男はゆっくりと歩み寄ると、その小さく震える肩にぽんと手を置くのだ。


「――残念だったな。でもまた来季がある」

「……ごめんなさい、シュヴァインさん」

「謝ることは無いよ、シシ。また二人で頑張ろう」


 一拍の間を置いて、シシはこくりと頷いた。それを見届けたシュヴァインは老いた目を細めて微笑み、シシを食卓へと導く。

 卓上には深皿に入ったスープが白く湯気を立てており、仄かに鼻腔をくすぐる香りがシシの腹の音を奏でさせた。


「お腹が空いているだろう? さぁ、夕飯にしよう」

「うん、いつもありがとう、シュヴァインさん」

「礼は要らんよ――お前を立派な食肉として送り出すのがわしの務め。そう、これは儂の仕事じゃからな」


 その言葉にシシは再び沈鬱を心に灯す。

 彼の仕事を邪魔しているのは自分だという自負があるからだ。自分が検査に合格しないせいで、数々の食肉を送り出してきたシュヴァイン・ベハイテンという優れた飼育員の名誉に泥を塗っているのだ。

 おかげでシュヴァインが現在抱える食肉人の数は2年前からシシただ一人。それを思うと、腹の音に関わらずスプーンを握る手が止まってしまう。


「食べないのか?」

「あ、うん……食べる、食べるよ」


 食べなければ栄養を享受できない。栄養を享受できなければ、周りの合格していった若い食肉たちのようにふくよかにはなれない。

 折角シュヴァインさんが自分のために作ってくれた栄養満点のご飯だ、食べないなんてことがあるものかと――意識を切り替えたシシは身を前に乗り出してスープにありついた。


「ああ、そうだ、シシ」

「ふんぐ?」

「食べながらでいい――今日から一人、客人を招き入れた。しばらくの間、儂の仕事を手伝ってもらおうと思っている」


 告げて席を立ったシュヴァインは奥の扉を開け、その部屋にて待機していた人物に声をかけた。

 呼ばれ隣室から現れたのは、青空の下に広がる大海のような紺碧の色彩を冠す人物だ。

 顔立ちさえも美麗という修辞が似合い、その表情も穏和で、しかしどこか人間離れしたようなの形。


「――賤方こなたは天。滅びた国、フリュドリィスより亡命したヒトガタ。一宿一飯の恩に報いるため、しばらくの間お世話させていただきます」


 とても綺麗な所作で丁寧に下げられた頭に、慌ててシシは立ち上がり自らも頭を下げた。


「シシです、よ、よろしくお願いします……」

「シシ――とても可愛らしい、素敵だ。それに、いい名です」

「そうですか?」

「はい――賤方こなたが敬愛する東国において、“肉”を表す古い言葉です。食されるために生まれ育まれてきた貴方あなたに相応しい名だと思いますよ」

「は、はぁ……」


 自分の名の響きにそのような意味があるとは知らなかったシシ。何しろその名は愛称のようなもので、正式には彼女の名――というか、彼女が彼女であることを識別するのは“038M44”という番号だ。


「本来賤方こなたたちヒトガタには消化機能はありませんが、賤方こなた用心棒バウンサー。主君の毒見を仰せつかることもあるため食事に舌鼓を打つことも出来ます。折角こういった場を用意していただいたのですから、賤方こなたもご相伴しょうばんに預からせていただきます」


 椅子に腰を落ち着けた天は、シュヴァインが運んでくれたスープを前にして目を瞑り合掌する。

 そうして食卓を囲む三人はスープを共に口に運ぶ。


「シュヴァインさん、野菜の出汁がよく出たいいお味です。賤方こなたの敬愛する東国のように薄味なのがまた。これは食指が止まりませんね」

「はは、味が薄くて申し訳ない」

「いえいえ、そこが好みだと申しているのですよ! ちなみにこれは何の野菜ですか? 祖国では見たことがありません」

「それはね――――」


 目の前に現れた異人は一人称といい実にヘンテコだ――それが天に対するシシの第一印象だった。



   ◆



「着いたぜ」


 輸送車カーゴトラックから降りたノヱルと山犬はランゼルに続く。

 すでに日は暮れ始め、街並みは紫がかった橙色に染められている。


 出来るならば真昼の、何色にも染められていない本来の色を楽しみたいと、ノヱルは密かに思った。


 鈍色に塗れ整然とし過ぎた祖国とは異なる、色とりどりの風景。

 建物は思い思いの暖色に塗られ、窓枠から地面・天井へと伸びた木枠や煉瓦の三角屋根が特徴的だ。

 街路は細かい石のタイルが張り巡らされ、色彩の無いモザイクアートのよう。車道と歩道とを分かつ花壇にはつい散歩をしたくなるような様々な花が色を添えている。


「素敵な街だな」

「そうかい? そう言ってくれると俺も嬉しいよ」


 がはがはと笑う豚顔の運転手は集合住宅の正面玄関へと入る。ノヱルもまたその背に続き、しかし再度街並みに振り返ったところで山犬に追突された。


「ああ、悪い」

「どうしたの?」

「いや、本当に――素敵な街並みだな、と思って」


 山犬もその声に振り返り、夕焼け色に染められても尚その色彩を誇る景観に目を凝らした。


「うん、女王国クイーンダムは本当に白か黒か灰色、って感じだったもんね」

「ああ。れがよく入っていた森も基本の配色は鉛色――色の着いた衣服も特別な時に着るものだった」


 すでに知識へと変化したかつての記憶を呼び起こした二人はしばしその風景を目に焼き付けた後で運転手に呼ばれ、彼の部屋へと足を速めた。


(羨ましいとは思わない――フリュドリィスのモノクロームの景色は、だからこそ色を纏うことの華やかさを際立たせていた)


 階段を上り、廊下を進む間もまだノヱルはこのアリメンテの街並みが帯びる色彩について繰り返し思考を巡らせていた。



「さぁ、たんと食べてくれ。うちの家内の自慢の料理だ!」

「わぁ――っ!」


 食卓に並んだ数々の料理の豪華さに、山犬は顔いっぱいに喜びを灯して口元から涎を溢れさせた――それを呆れた顔でノヱルが言及したが、二人の遣り取りにランゼルとその妻は腹を抱える。


「これ、全部食べていいの!?」

「馬鹿か、己れたちの取り分はこの全体の四分の一ずつだ」

「えー、よんぶんのいちぃ? 足りないよぉ」

「足るを知れ、足るを」


 そしてフォークとナイフを手に、ノヱルと山犬は差し出された食事を口に運ぶ。

 その直前、ノヱルは山犬に霊銀ミスリル通信を送っていた。

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