消えない肉沁み④
「ひとつ――
ノヱルの問いに、ランゼルが豚鼻を鳴らして答える。
「……
「それは誰がそう指示したんだ?」
「……天使様だ」
「天使――」
ノヱルの目が強く見開かれた。深い紫色に縁どられた金色の瞳が放つ熱を孕んだ視線にランゼルはたじろぎ、身を寄せる妻の衣服を思い切り引っ張ってしまう。
「そうか――この国には天使がいるのか。何処にいる?」
「ミ、」
「ミ?」
「――
ほう、と小さく吐息を漏らしたノヱル。山犬は相変わらず皿の上の調理された肉や野菜をがつがつと食べ散らかしている。
「その、
「
「……この肉も?」
山犬が今しがた持ち上げた肉を指差すノヱル。夫婦とノヱルの三人の視線が注がれたことで山犬の食指は止まり、目だけをぎょろりんこと巡らせて三人の顔を眺め回す。
「……食べる? 美味しいよ?」
「要らねぇよ」
頭を抱えるようなノヱルの素振りに、眉根を寄せた豚面の夫人が口を開く。
「美味しいのは本当だよ」
「それは今訊いて無い」
「そうかい……」
「はぁ――
「……そうだよ。この国で食われている肉の大半が
「つまり、
ごくり――山犬の喉の蠢きが一際大きく響く。彼女とてその話題には興味があるらしく、咀嚼を続けながら目を向け耳を欹てている。
「いや、違う違う」
「何だ、違うのか」
「捕らえた
ずず、とスープを啜っていた山犬の食事音が止まる。耳をピクピクと蠢かせた彼女は皿から口を離して顔を亭主へと向けた。
対照的にノヱルは殆ど動かないまま、ひどく冷淡な表情で亭主の語りに聴き入っている。
その内情は計り知れない。顎に当てた手から伸びる指が彼の唇を弄る姿は、多少なりとも怒りが含まれているようにも見える。
「60年前、神様の軍勢が天使様と天獣様を引き連れて
「いや、悪いがつい最近稼働したばかりなんだ。製造年代もちょうどその頃で――だから己れたちにはその
「そうなのか」
「いい。それより続けてくれ」
「あ、ああ……」
フリュドリィス
次いで狙われた隣国ヴェストーフェンもまた天使と天獣により破壊され尽くされた。しかし
そして2年が過ぎ、このアリメンテの街に天使が舞い戻った。
遣わされた天使は僅かばかり生き残った
『ただし――貴様らの命は他種族の糧とする』
そうして造られたのが
ヴェストーフェンで
国家における程度の差はあれ、世界的に
しかし段々と食用人肉の需要は高まり――というのも、度重なる飼育法の改革や希少食材への興味、そして
稼働から53年が経過した今では、幼少期から買い付けを行う
◆
「どうして、って……」
シシは戸惑った。これまでにそんな質問をされたことは一度として無い。
自分は生まれたその瞬間から食肉として、美味しく食べられることが本望であり至高の喜びだ。
シュヴァインら
それをそのまま伝えると、天はどうしてだか儚げな表情をした。シシにはその理由は判らなかった。
「貴方は――“自由”を知らないのですね」
「ジユウ?」
「ええ――自由。自らを由とし、自身以外の誰からも強制されず、また束縛されず。自分自身の思考と感情、本能と戒律によってのみ従う、自己実存の
シシにはそれらの言葉の意味は解らなかった。だから天を真似して、遠くの夜空に視線を投げてみた。星以外に見えるものは無く、だからシシは天が何を見つめているのかも判らなかった。
「食べられるということは、即ち死ぬということです。それは分かっていますか?」
「うん、知ってるよ。でも皆、ブロックに解体される時には笑顔で行くんだ。だからボクもきっと、そこに行く時はきっとこれ以上ない幸せなんだと思う」
「そうですか」
無論、シシが見たことのあるのは検査に合格し担当飼育員との別れを済ませ解体場へと赴く際の笑顔だ。解体現場をその目にしたことは無い――しかし天はそれについては何も言わなかった。
「ねえ、天」
「何でしょう?」
「ボク、美味しくないのかなぁ……他の皆は大体10歳から12歳くらいには出荷されたり、もっと凄い子は8歳くらいに買い手が決まって宿舎から出て行くんだ。ボクはもう15歳になるのに、検査で不合格ばっかり……シュヴァインさんの作ってくれるご飯だってちゃんと残さず食べてるし、ボクに合わせて調整されたプログラム通りの運動や勉強だってこなしてる。でも、体重は一向に増えないし、テストの点だって……」
「勉強もするのですか?」
「そうだよ。賢い子の方が、脳みそが美味しいんだって」
「なるほど」
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