死屍を抱いて獅子となる⑬

(あいつ……やりやがった……)


 今にも倒れそうな身体をどうにか杖代わりにした鳥銃マスケティアで支え、ノヱルは目を見開いてシシの変貌を目の当たりにした。

 無論、他の戦士たちもそれは同じだ。

 誰もが傷つき、苦悶に呻く中で目にしたその奮戦は、正しくエーデルワイスのような英雄の所業。


 ここに来て絶望は、希望へと挿げ変わった。

 ともすれば望みを絶たれかねない安くて淡い希望は消え失せ、勝利を確約せんと奮い立つ戦士たちの矜持が湧き起こった。


 続け。

 奇跡の下に現れたあの幼い英雄に続け。

 ここで足を止めて何が戦士か。何が復讐者か。

 神を、天使を討て。その軍勢を薙ぎ払え――――


「うおおおおっ!」

「らああああっ!」


 未だ増援の止まぬ水獣の群れに、立ち上がった戦士たち、奮い立った戦士たちは各々の武器を振り上げた。

 号砲は止まず、咆哮が上がり、雄叫びが空間を支配した。


「くっ――この、死に損ないどもっ!」


 神の沈鬱カタスリプシエルの放った荒れ狂う霊銀ミスリルの奔流が光の柱となって天を衝き、地響きを呼び起こして湖水を高波として持ち上げた。


「退けぇっ!」


 吼えたのは神殺しノヱル。支える鳥銃マスケティアを棄却し新たに呼び出した雷銃フュジリエを両手で構える。

 しかしやはり、片脚で射撃姿勢を維持するのは厳しいものがある。

 途端にぐらりと傾く視界――それを支えたのは、エーデルから受け継いだ跳躍魔術で駆けつけたシシの献身だった。


「……悪ぃ」


 少しだけ見つめ合い、小さくそれだけを呟いた。

 シシもまた、小さくふるふると首を振った。


“神亡き世界の呱呱の聲”ティル・ディアボリーク!」


 開けた空間に押し寄せる幾つもの雷条、そしてそれらが連結し形作られる巨大にも程がある放電膜。


「消え去れえええええ!」

「煩ええええええええ!」


 ぶつかり合う津波と雷球――湖水が蒸発して生まれた白い蒸気、そして放電膜の生む清廉な光が戦場に満ち。


「……シシ、あの三日月の斬撃、飛ばせるか?」

「うん、分かった」


 駄目押しの一発――それを撃ったからこそ、ノヱルの身体は強制的に休眠モードへと推移シフトする。

 しかしそれまでには多少の時間的猶予がある。食肉の楽園ミートピアから逃げ出す際も、撃った直後に眠りこけるなんてことは無かった。


 ガチン。


 今も、怨嗟の撃鉄は落ち続ける。


 ガチン。


 今も、呪詛の響きは鳴り続ける。


 “ノヱル、Noel,神をNie否定しろDieu.


(煩い、何度言えば気が済む――己れは、言われなくても神を――)


 白んだ景色が晴れていく。未だ敵影は見えないが、その位置は索敵機能を持つノヱルには筒抜けだ。


「行くよ」

「ああ」


 異獣化アダプタイズしたことで【銃の見做し児】ガンパーツ・チルドレンを失ったシシは魔術によるノヱルとの繋がりをも失った。

 しかし、彼女には彼が何をしようとしているのかが何となく分かっている。


 換装コンバートし握り締めた三日月バルディッシュを構え、そして弾倉に込められた実包カートリッジを炸裂させながら放った一閃は、その前に立つノヱルの背に食い込みながら激しく前方へと飛翔した。

 左手を添え、断たれることを拒みながら飛来するノヱルは、右手に創成した騎銃カラビニアを構え、薄れゆく意識を保ちながら呪詛を纏う。


「――っ!?」


 その光景は愚かしく映ったことだろう――それでも、飛翔する斬痕に乗って撃つが、最もこの場で高い威力を誇っているのだ。


「じゃあな――“神亡き世界の呱呱の聲”ティル・ディアボリーク!」


 射出された弾丸は翻り、に撃ち込まれると、斬痕は呪詛を帯びて黒く変色し、そして巨大化した。

 その最中でノヱルは遂に弾き飛ばされ、限界をも超越したことによる負債でその躯体にいくつもの黒い罅割れを生みながら地面に激突した。


 黒い三日月は直進し、干上がりつつある湖水を固めた障壁で身を守る神の沈鬱カタスリプシエルに激突すると――


「――――っ!」


 ――呆気ないほどにその障壁ごと貫き、一瞬のうちに消し飛ばした。

 もはや焦げた霊銀ミスリル結晶すら残らず、主天使キリアヒアとの交戦は漸く終結を迎えたのだ。


 多大な犠牲を払った。この戦場だけで、すでに十人以上が湖の藻屑となって消えたのだ。

 また、エーデルワイスという英雄をも喪った。

 ゆえに、勝鬨を上げる者は誰一人いなかった。


 それでも。


「まだ、は終わっていません」


 きっと、一番辛い筈だろう少女が、声を放った。


「ここ以外にも天使の舞い降りた戦場はあります。たちは生きている、あたしたちは戦士だ、なら、戦わなきゃ――もう戦えない人の代わりに、戦わなきゃ」


 僅かに震えるシシの声に、戦士たちは静かに目を閉じ、そして開いた。

 黙祷ですら忌避される状況――それでも捧げずにはいられず、そして再び奮い立つ。


「シシ。ありがとう」


 真なる人族ヴェルミアンの戦士が告げ、そして戦士たちは次なる戦場を目指して街を駆けて行く。

 シシはと言うと、吹き飛ばされ倒れ込んだノヱルへと駆け寄り、ぐっと奥歯に力を込めてその躯体を担ぎ上げた。

 休眠モードに移行し、うんともすんとも言わない躯体は重く、それでもシシは確かな足取りで拠点アジトへと急ぐ。湖畔の戦場だ、拠点アジトは目鼻の先である。


 歩きながらシシは、一度だけ振り返った。


 新たに刻まれた【死屍を抱いて、獅子となる】デイドリーム・デッドエンドにより接収したエーデルの遺骸はそこにはもう無い。何一つ、残ってなどいない。

 それでも、最期を見届けたその場所を、振り返らずにはいられなかった。

 もしかしたら、嘘みたいに、そこにまだいてくれているような気がして――そんな幻想を涙とともに振り払って、ノヱルを担いだシシは再び歩き出す。


 戦士として、強く生きていく道を。






   ◆



Ⅲ;死屍を抱いて獅子となる

  -Apokryfa-


――――――――――fin.



   ◆






 結論から言うと、【禁書】アポクリファはイェセロの拠点アジトを放棄せざるを得なかった。

 神の軍勢は此度、東から襲来を仕掛けてきた。西――フリュドリィス女王国クィーンダムに今も開き続ける“神の門”バビリムからでは無い。

 つまり、今後も襲撃を受ける可能性があるということだ。

 今回は何とか撃退に成功したが、犠牲を多く支払い過ぎた。それを繰り返すのが善策とは全く言えないことを、【禁書】アポクリファは重々承知していた。


 イェセロを守り続けてきた長い雨季は終わった。数週待てばまた雨季に突入するが、天使達の情報網でこの地の【禁書】アポクリファの居場所は特定され、また戦力も大幅に削がれてしまった。

 他の地に潜む仲間と合流し、傷を癒して力を蓄えなければならなかった。


「シシはどうするんだ?」


 戦士たちに問われ、シシは答える。


「山犬達と合流するよ」

「つまり、エディたちを追って西へと向かうのか?」

移動手段あしはどうするんだ?」

移動手段あしなら俺がいるだろ」


 声に振り向くと、豚面の大柄な男が歩み寄って来た――ランゼルだ。


「旦那がこんな状況だ。さっさと山犬や天、エディ坊と合流したいところだ。なら、そっち方面の道に詳しい運転手ドライバー案内人ナビゲーターがいる――俺なら輸送業で西の地は走り倒してきたからな」

「ランゼルさん……いいの?」

「なぁに言ってんのよ!」


 ランゼルの後ろから現れたのは、その妻ゾーイだ。


「ちょっとだけど、苦楽を共にしたじゃない!」

「そうだぜ。加えてプラス俺は、ノヱルの旦那に恩があるからな。旦那がいなけりゃ……きっと……」

「……ありがとう、ランゼルさん」

「シシちゃん……いい女になったな」

「本当……見違えたよ」

「そうかな……? 自分じゃ、ちょっとよく分からないんだけど……」

「姿もすこぉーし変わったけど、」

「何より笑顔がとっても素敵になったわよ!」


 笑顔――その言葉に、自然とまなじりが熱く濡れだして来る。

 それを拭いながら笑顔を見せたシシは、ランゼルの輸送車カーゴトラックの荷台にノヱルを運び込む。彼が目覚めた時に自力で失った片脚を修復できるよう、素材になりそうなものも幾つか荷台に載せた。


「……つい、ひと月前も。こんな風に、向かい合ってたよね」


 走り出した車の荷台の上で、縁に持たれて座る二人。


「早く起きてよ……今なら寝首、掻けちゃうんだよ……」


 休眠モードのノヱルはやはり動かない。躯体に入っていた罅は霊銀ミスリル汚染によるもので、内蔵された機能が浄化しているのだろう、時間が経つにつれてどんどん薄まってきている。


「……あたしね。シシって名前、やめようと思うんだ。シシは、シュヴァインさんが付けてくれた素敵な名前だけど」


 吹き荒ぶ風が金色に変貌した長い髪を靡かせ、シシの可愛らしい声を掻き消している。

 そうでなくても、彼女の独り言はノヱルには聞こえていない。


「……あたし、もう食肉じゃないから。エーデルさんみたいな、強い戦士になるから」


 風が強く吹き抜けていて良かったと、シシはそう思った。この風の強さなら、拭わなくても目から溢れる涙を連れ去ってくれるのだから。また、強くなろうとしているのにも関わらずこんなにも弱弱しく震える声をも、消し去ってくれるのだから。


「……“レヲン”って名前にしようと思うんだ。変かな? レヲンって、普通男の人の名前だもんね。女の人なら、レヲナ、ってするのが普通だと思うんだけど……でも、レヲナじゃなくて、レヲンLeon、がいいんだ……」


 鼻先に熱が籠り出し、憔悴した双眸はもはや渇くことを知らなかった。


「……ノヱル、……ありがとう。ノヱルがあの時、あたしにあの魔術をくれたから……あたしね、シュヴァインさんお父さんのことも、エーデルさんお母さんのことも……ずっと……」


 それでも。

 いないのは寂しくて、どうしようも無いほど辛く、悲しい。


 誰にも聴かれることなく全てを吐き出した少女は、ついに堰を切ったように泣き出した。

 そして疲れから眠りこける。その直前、動かないノヱルの躯体へと這い寄り、その身で抱きつくようにして。


 二人のその寝姿はまるで、兄妹のようだった。

 渇いた大気の真上、照りつける太陽の陽射しが、そんな二人に光を注いでいた。

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