夢・デマ・他愛・魔性⑩
「――――すみません……考えてみたのですが、
「ええっ?」
謝罪を告げる表情はやはり、殊理にとっては張り付いた笑顔だ――ただこの時ばかりは目が違うと彼女は思った。
そこに胡散臭さは無い。持ち上がった口角にはあっても、仄かに伏せるような目元には。
「先程もお伝えしたように、
「えっと……
「
大丈夫です、と頷く殊理。この世界では天たちヒトガタに代わる存在として
「二元論を持ち出しては見ましたが……結局のところ
「ごめんなさい、ちょっと難しいかも……」
「ああ、こちらこそごめんなさい――はて、どう説明したものか……」
「……えっと、いいですか?」
「どうぞ」
「つまり……心が無い、ってことですか? あの、私たちの世界の
「そう考えていいと、
「……はい」
顎先に触れていた手を解き、改めてにこやかな笑みで以て殊理に正対する天。
その佇まいは美しく、背景が背景なら、そして状況が状況なら絵画のようでさえあると言えた。
「そうでないのだからこそ、それに憧れる、という気持ちを持っています」
殊理は頭上に疑問符を浮かべたままだったが、しかしそれは目の前の絵画然とした風体を見詰めるうちに消えて行った。
彼女にとって、それは何とも不思議な存在だった。
先程までの人形らしい張り付いた胡散臭い笑顔は一体何処へ行ったのだろうか。得られないものを、そうだからこそ得たいと願う目の前の人形は、何とも人間らしいことを言うのだなと感嘆しながらも、自らが抱いたそんな感想すら今の彼女には何処か他人事だった。
「少々顔が赤らんでいますが……具合を悪くされましたか? 熱があるのではと」
「えっ!? だ、大丈夫ですっ!」
その熱情を少女は知っている――まさかこんな状況で、しかもこんな存在にそれを覚えたというのは些か気が動転し過ぎだろうと自らを窘め、何かの間違いに違いないと決めつけた後で、二つほど呼吸を重ねて落ち着き払った彼女は、しかし天の美貌を目の当たりにして心音の高鳴りに動揺した。
そして――――ぐぅ、きゅるるぅる。
「ぅわっ!」
鳴るや否や、殊理は打ち付けるほどの強さと速さで自らの腹部に両手を当てた。覆い被さって隠し切るほどの大袈裟な素振りは彼女の華奢な身体を大きく揺らし、そして彼女の動かない両脚は重心の歪みを力で以て支えられない。
すると当然、彼女は座らされた平らな瓦礫から崩れ落ちそうになってしまい――――
「――大丈夫ですか?」
「――――は、……はい」
同じく華奢に見えるも確りと力強い天の細腕に抱き留められるのだ。
もはや心臓が奏でるその
再度同じ場所に優しく下ろされた殊理は何だかぽわんとしてしまっている自分に気付くとあわあわとし出す。
彼女の輪郭の内側がどのような状況になってしまっているかを天は理解できないが、だが何となくは予想できた――かつてカエリだった頃、自分に対して同じような挙動を見せた女性は何人も、それこそ何十人もいたのだから。
だが、彼女だけは違った――――どうしてそこで彼女のことが想起されたのか、天はやはりよく判らない。
よく目を凝らして見てみても、眼前の殊理という少女はやはり彼女とは似ても似つかない。それなのに、彼女を見ていると彼女のことを思い出してしまう。
何もかもが違う筈なのに、どうして――――
「――――あの!」
はっと我に返される。
ぱちぱちと目を瞬かせた天は、落ち着き払った顔で「すみません」と告げ、殊理がうわの空の自分を心配していることを聞き、ふふふと笑った。
「
「状況の打破って……あの黒髪の人?」
こくりと頷く天。今一度
俄かには信じがたいが、牛も天同様に、どうやら自分たちの居場所を正確に掴んでいるらしい。
「正直に言えば、
「手段って……
きょとんとしながらも問い質す殊理の表情に呆気に取られる天――――確かに、その可能性が最も高かったことを失念していた。
だが牛が語った彼の追憶に、魔術については一切現れていない。それどころか、恐らく彼は生前、魔術が育たなかった・開発されなかった世界に生まれ育ったと思う方がきっと正しかった。
そしてその代わりに機械文明こそが栄え、
ならば、牛は魔術を使えない筈だ。無論、クルードが天の刀に彼を込める際に魔術を齎した可能性は否めない。だがそうならば、この地において具象化を果たした際に、どうして彼はそれを行使しなかったのか――――
「――――いえ、その可能性は低いか、
「どうしてですか?」
「
その言葉を聞いた瞬間に、殊理の顔は蒼褪めた。そしてそれを、天が見逃すわけは無かった。
「……もしかして」
「何か?」
「……その、……彼の住む世界って……
聞き覚えなど、ある筈が無い。そもそも天は、自らが生まれ育った世界の名すら知らない――それもそうだ。その世界は自らの外に同じような世界があることを知らない。だから自らの名前さえ知らない世界だ。そうであったとしても、同じ“世界”という概念が一つしか無いのだ。だから自らのことはその概念の名である“世界”と呼べば事足りる。
そうなのだから、異なる世界に付いた名など知るわけが無い。今まで、あるとすら思っていなかったのだから。
「……そっか」
「いえ。折角心当たりを見つけて下さったのに、お役に立てず申し訳ない」
「そ、そんなこと無いです無いですっ!」
胸の前でぶんぶんと大袈裟に手を振る殊理――やはりその仕草は、どうしてだか天に彼女のことを想起させた。
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