消えない肉沁み⑦

「ふむ……これならば計画プランβベータだな」


 改めて食堂の隅々まで首を回して見渡した神の息吹アナプノイエルはシシにその顔を向けると、キラキラと輝く金色の長髪を右手で掻き上げながら強い口調で告げる。


「038M44番、君は私が売り出そう」

「えっ?」

「その呆けた顔の似合う醜肉しゅうじくを、この私自ら直々に、高値で売り捌いて見せようと言っているのだ。しかし君に理解を求める気は無い、君は肉だからね。だから話は直接、シュヴァインに聞かせる。君はその後で私たちが伝えるまるで福音のような指示にただ考えずに従っていればいい」

「は、はい……分かりました」

「よろしい。以上だ」


 入って来た時同様に、威厳ありげに堂々と廊下を渡るその背中は神々しく、しかし何処か腹立たしい。

 だがそんなことを思う隙のないほど、シシは困惑していた。


 天使の話を鵜呑みにするのなら。

 自分は、食肉として漸く売り出されるのだから――それを思うと目の前が滲んで、鼻先に汁気が溢れて来る。


 でも、どうしてだろうか――シシは念願のその状況を、真に心の底から十全に喜べなかった自分を不思議に思った。



   ◆



「――吊るしてから首を刎ねて血抜きだ」


 天井のレールから伸びる鎖の先端には鞣革なめしがわのベルトがあった。それが四本、垂れ下がっている。

 シュヴァインは慣れた手つきでそのベルトを取り上げると緩めて左の足首に通し、ベルトを締める。右の足首にも同じことをしたら、今度は両手首にも。


 そうして四肢それぞれの首にベルトを締めたシュヴァインは屠殺台の上に横たわる少女の首に手を当て、その感触を確かめた。


「頃合いだ」


 そして屠殺台の真下に大きな桶を置くと、壁にかかった一振りの長大な鉈のような得物を手に取る。

 革製の鞘からすらりと引き抜いた肉厚な刃――柄を両手で握り、一度その刃を首筋に当てると、大きく振り上げて一息に振り下ろした。


 ダンッ――刎ねた首は転がって屠殺台から桶に落ちる。断面から溢れる赤い血潮は屠殺台に広がり、直ぐにシュヴァインは壁のボタンをぼちりと押した。

 ウィンチが巻き上がり、頭部を失った肢体が逆様に吊り上がる。

 ぼたぼたと落ちる血流を受け止める、安らかな寝顔を受け止めた桶。そこからその寝顔を抱き上げたシュヴァインは、顔を見合わせると深く瞼を閉じて白髭を蓄えた口元を蠢かせた。


 きっとそれは、祈りだっただろう――天は非常に穏やかな双眸でそれを見詰めていた。


 血抜きが終わると、吊るされた食肉の皮を剥ぎ、洗い、背を割って大雑把な部位に切り分ける作業が続く。作業に用いられる刃物は段階ごとに変わり、また吊るされたまま行う作業と、再び横たえて行われる作業が難しそうだ。

 洗練された無駄の無い技術を間近で眺めていた天は「おお」や「ほう」などの感嘆の声を何度も漏らし、その切れ長な目を何度も大きく見開いた。


「……分かったか?」

「ええ、とても丁寧に見せていただけたので」

「やれそうか?」

「そうですね……案ずるより、先ずはやってみましょう」


 こくりと頷いたシュヴァインににこやかな笑みを見せた天は、袖をまくって予備のエプロンを着付けると、腰に差していた白鞘の刀を屠殺台の上に置いた。

 そして両開きのスイングドアの向こうの部屋に渡り、麻袋に詰め込まれたふくよかな男子の亡骸を引っ張り出してストレッチャーに載せ、ガラガラと屠殺台まで運ぶ。


「因みに、道具は自前のものを使っても?」

「ああ、構わんが……侍にとって刀とは命なんじゃないか?」


 屠殺台の上に寝転がった白鞘の刀に、不平不満は無さそうに見える。視線を投げ落としてふふと笑った天は、白く艶やかな左手で鞘を撫ぜた。


「命を頂くのですから。命で以て、当たらなければ」

「なるほど」


 四肢にベルトを通した天は、「それでは」と小さく呟いて左手に持った鞘を腰に据える。

 膝を屈ませ腰を深く落とし、右手は柄の真上に添えて指をたわませた。


「……変わった賤方こなたなど、見ても何も面白くありませんが――いざ」


 キンッ――シュヴァインにはその太刀筋は見えなかった。ただ抜刀する際の甲高くも重深い金属音が響いたと思ったら、ふくよかな男子の首が宙を踊っていた。

 驚いたのは見えなかったことだけではなく――断面から溢れる筈の血が一切無かったこと。頭部が桶に落ちたその衝撃で漸く、二つの断面は血潮を迸らせたのだ。


 気が付くと刀は再び白鞘に納まっていた。しかし納刀音は聞こえなかった。

 逡巡する思考の中でシュヴァインは気付く――抜刀時の音と納刀時の音は、重なってひとつに聞こえたんじゃないか、と。


 それに気付いた瞬間、ぶわりと総毛立ち、玉のような冷たい汗が噴き出した。


如何いかがですか?」

「……ぅあ?」

です。思った以上に身体が錆び付いているようなので。思ったように振れませんでしたし」

「……か?」

、です。賤方こなたのような者の身体が錆び付いているのはいいことですが、これでは余りにも」


 ふるふると首を横に振ることも出来ず、ただシュヴァインは「続きを」と促した。

 首肯した天は先程見た流れを再現し、しかし道具は変えずに作業を完遂した。


 その間、シュヴァインはやはり一度たりともその刀身を見ることは出来なかった。



   ◆



「首尾はどうだ」

「つ、つつがなく、ですぅ……」


 豚面の亭主は忙しなく短いその手足を動かし、山犬が背中に回した両手の手首に縄を巻きつけている。


「山犬、どうだ?」

「うーんとね、これは多分大丈夫っ!」

「まぁ、お前はいざとなったら変身シェイプシフトで抜けられるだろうからな」

「わんわんモード?」

「そんなクソみたいな名前じゃ無ぇだろ」


 山犬の手に縄をかけ終えた亭主は、続いてノヱルの手に縄をかける。

 その理由とは、この後食肉の楽園ミートピアに、二人を真なる人族ヴェルミアンの残党として突き出すためだ。


「ちゃんと縛っているように見せろよ。だが、いざって時に抜けなければ意味が無い、分かるな?」

「は、はいっ、仰る通りにっ! ――こんなもんで、どうでしょう?」


 縛られた両手をぐい、と捻り、縄の具合を確かめるノヱル。鼻で笑うと、亭主ににやりと怖い笑みを向けた。


「上々だ」


 一見固く縛られているように錯覚する、実際には力の加減で直ぐに緩む絶妙な縛り――流石運送者、ロープの扱いに慣れていると踏んだノヱルの読みは正確だった。


 あの輸送車カーゴトラックほろに張られていた縄捌きロープワークを下車時に少し見ただけだったが、ヒトガタの眼というのは物事をより繊細に捉える傾向がある。

 特にノヱㇽに関して言えば、その旺盛な知的好奇心が瞬時に視覚を増強して記憶野への焼き付けを多少強めるのだ。

 ゆえに、こう言った場面でそれは有効活用される。


「よし、山犬。乗り込むぞ」

「らじゃーだよー!」

「旦那、車を出してくれ。向かう先は言わないでも判るよな?」

「へ、へい……食肉工場ミートピアですよねぇ? 俺もちょうど、積み荷の配送がありますし」

「なら一石二鳥だろ? お前は荷物を運びがてら、行き倒れていたところを偶々たまたま捕まえた真なる人族ヴェルミアンの残党を突き出して追加給金ボーナスが貰える。嬉しい尽くめじゃないか、もしかしたらその功績で仕事が増えるかもしれないぞ?」

「いやぁ……その前にあんたら、工場に何かするんでしょ? するんですよね?」

「それは……相手の出方次第だ」

「するつもり満々じゃないですかぁ!」


 ノヱルの表情は――惨たらしくにやける、悪魔の様相そのものだった。

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