喰み出した野獣、刃乱した除者②
「ここから先、走路が悪くなる。酔ってくれるなよ?」
運転手を務めるサリードが告げた。助手席に座るバネットがドアの上部にあるアシストグリップを渋々握る。
「天、吐いたらごめんね」
後部座席のミリアムが唐突に車窓を全開にした。
「お気になさらず。美人の粗相は、粗相ではありませんよ」
「ふふっ、ありがとう」
やはり美人だ、と天は思う。
この
顔貌はやや勝気で冷たい印象を受けるが、実際に話してみるとそれは間違いだと気付く。ユーモアも理解でき、会話に関しても聞きもすれば話しもする、実に社交的な人物なのだ。
だからこそ天は彼女が
屈強な戦士であるサリードも、斥候を務めることの出来るバネットも、この車に乗る三人の構成員全員が原理主義者だったのは、エディがそういう風に選り分けたからだろう。
だから天は自分が合わせればこの車内で角が立つことは無いと考え――そして勿論、その考えに従わないだろうと自らを分析した。
天にとって最も優先すべき事柄は“自由意思”である。他の何ものでも無い、自らのみを
他の者がこうだから、とそれに迎合することは彼にとって直ぐに棄却するべき愚劣だった。
しかし何も、全てに於いて反発するわけではない。
楽しいと感じたなら笑うし、面白いと感じたなら頷くし、美しいと感じたなら称賛するし、違うと感じたなら言及するのみだ。
幸い――と言うべきか――車中は彼にとって何ら不自由の無いものだった。サリードもバネットもミリアムも、もしかすると原理主義者の中でもそうでない新興派に近しい・歩み寄れる者たちだったのかも知れないと天は感じていた。
それもそうか――天は会話と談笑の中、心の中で独り言ちる。
元よりこの旅は、スティヴァリに潜む
その一団の中に、亜人種をあからさまに蔑む者がいれば失敗することは明白、寧ろ敵を作りかねない。
「おお、どうやら一旦休憩みたいだぜ」
前方の車両の動きを見てサリードが安堵の溜息を吐く。
荒野に段々と草が生え始め、木々が立ち、それが林となったところで二台の車両は停まった。
次々と車から降りて外に出ては、深呼吸と伸びとを繰り返す一同。
唯一山犬だけが、一台目の後部座席ですやすやぐっすりと眠っていた――しかしそれも、エディの「昼食にしましょう」の一言で跳び起き、車体の天井に頭をぶつけ喚き散らした無様さを見せつけて一団に笑いを齎した。
空も幸い曇っている――天使や天獣の飛ぶ姿は見当たらない。
一団は車体後部の収納からいくつかの缶詰を取り出すと全員に配る。
同時に、純粋な熱で食材を温め煙を出さない簡易コンロを設置し、一部の缶詰は蓋を開けて中身を携帯用のフライパンにひっくり返した。空になった缶詰はそのまま皿になる。
こういう時、山犬の存在と言うのはとても助かるものだった。
何しろ彼女は口に入るものならば何でも飲み込む。金属製品であっても関係なく咀嚼できる歯牙の強靭さと咬合力を持っているのだ。そしてその質量に応じたエネルギーを蓄積する。
つまり、彼女がいればゴミが発生しないのだ。そのためサリードは山犬のことを彼女がいないところで「エコガール」と呼んでいた。その呼び方に天は多少の引っ掛かりを覚えたが、特段何かを言及することは無かった。
「ちゃんと仲良くやってる?」
二度目の休憩の折り、山犬は天に話しかけた。天は短く「大丈夫ですよ」とだけ返し、山犬はそれに対し「そっか」と微笑んだ。
すっかり日も暮れ、走る森の道は染まる橙の奥に不気味な闇を潜めている。
天獣は出ないかもしれないが、魔獣は違う――故にここからは、山犬と天の出番だった。
休眠を必要としない彼らが寝ずの番をすることにより、調査団の六人は安定した休眠を摂ることが出来る。
高性能な山犬の目は夜でも昼間と大差ない視界を確保でき、そして天には霊銀の動きを感知する機能が備わっている。
やがて三回目の休憩――休眠のための長い休憩だ――を取る時間になり、より進んだ森の中で二台の車が停まった。
「よろしくお願いします」
「うん、任せてよ!」
エディに快活な返事をした山犬はぴょんぴょんと飛び跳ねるように表に出ては、車の周囲を見渡した。対照的に静かに表に出た天もまた、彼女同様に周囲に意識を張り巡らせる。
まだ、眠るには早い。しかし明日のことも考え、車内に残った三人と三人とは早々に目を閉じて意識を断った。一応、何かあれば飛び起きられる程の気概は持ち合わせているが、山犬と天――特に天は、何かあったとしてもゆっくりと眠っていてもらう心づもりでいる。
「何も無いといいね」
「そうですね。何も無いに越したことはありませんし」
顔を見合わせて微笑み合う二人。
しかしそこから二時間後、森の奥で何かが蠢く気配を天は察知した。いや、蠢くのは
「……山犬」
「なぁに?」
「奥の方で反応が。少しずつこちらへと近付いています。
「うん、分かったよ!」
そして均された道から草木の生い茂る森の中へと足を踏み入れた天は、真っ直線にその反応のもとへと歩み進む。
「フルルルル……」
「これは何と……」
遭遇したのは、個体としては大きい部類に入る虎だった。配色もよく見るような黄色と黒では無く、赤地に白の縞模様。それが、涎を垂らし、血走った目で天を睨み付けている。
「喰う気満々じゃないですか。でも
「フルル……フガァッ!」
口を開き、鋭く尖った太い牙を見せて威嚇する赤虎。
虎というのは、通常このように狩る対象の正面に現れることは無い。彼らは
だから天は、この赤虎が正面から来たのはこの森に住まう王としての余裕からだと感じた。隠れる必要など無い、喰いたければ正面から堂々と現れ、宣言し、そして噛み殺すのだという気位の高さ――そしてそれを実行できるほどの力を持っているのだと。
「まるで立ち合いのようですね。いいでしょう、受けて立ちます」
零し、天もまたいつもの構えを見せた。
両足を前後に大きく開き、腰を低く落として、左手は白鞘の鯉口を軽く握り、右手はだらりと、地面につきそうなくらいに垂らす――緊張と脱力とが絶妙なバランスで同居する、天の構え。
赤虎もまた、四肢を踏ん張って体勢を低く、初速から最高速度を出せる突進の構えを見せた。
口から涎は垂れ続け、逆に力は蓄積されていく。
両者が共に、必滅の構えとなった。
口火を切ったのは虎――――残像を残し飛び出したその身体は、天の両側を擦り抜けて地面に倒れた。
だらりと垂らした右手はすでに柄を握っており、切羽が鯉口に擦れ、鍔がカチンと鳴った。
どくどくと流れる血潮が天の足元にまで広がると、漸く天は構えを解き、後ろを振り返った。
「……少し、右側が重いようですね。綺麗に真っ二つ、は難しいですね」
ザクザクと草を踏んで歩む天は、戻ったら山犬を寄越して斬り捨てた魔獣の死骸を処理してもらうことを考えていた。
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