喰み出した野獣、刃乱した除者③

 一方、天が魔獣と思われる存在の確認と討伐に向かっている間、山犬はほんの少しだけ憂鬱な気持ちを溜息に表した。

 そもそも、大好きなノヱルがここにはいない。それだけで若干やる気が削がれているのにも関わらず、こうして夜営の際にあの天と共闘しなければならないのだ。


 山犬は、天が好きでは無かった。それはからそうだったが、その記憶が朧気となった今でもそれが変わらないのは、現在の彼女の根幹に生前の彼女の面影が強く出ているからだろう――それは、ノヱルのことを好んでいることからも明らかだ。


 狂人の手によって復活を遂げた三基の“神殺し”――その人格の根幹には、生前の彼らが今際いまわきわに抱いた感情がある。

 その感情に、狂人が召喚し出し千切れた、悪魔の残滓を紐づけて産まれたのが今の三基の主人格である。


 こんな筈じゃない、こんな結末はおかしい、こんなにも自分が、彼らを守れない筈が無い――という、生前の天が抱いた“逃避”。


 こんなことは赦せない、どうして私たちが奪われないといけないのか、赦すわけにはいかない――という、生前の山犬が抱いた“激昂”。


 こんなことが在り得るのか、自分はこんなにも、この子供たちを愛していたというのか――という、生前のノヱルが抱いた“再認”。


 逃避は、“傲慢”と“虚飾”と“強欲”とを象徴する“悪意”を司る悪魔の一端を与えられ、天となった。


 激昂は、“憤怒”と“暴食”と“邪淫”とを象徴する“獣性”を司る悪魔の一端を与えられ、山犬となった。


 再認は、“怠惰”と“憂鬱”と“嫉妬”とを象徴する“放縦”を司る悪魔の一端を与えられ、ノヱルとなった。


 生まれ変わった彼らは、かつての彼らのことを覚えてはいない。その筈だったが、しかし限界を超える度に、彼らは彼らの根幹と接触し、接続し、そしてかつてを取り戻しつつあった。


 山犬がノヱルに好意を寄せ、天を好ましく思わないのはこのためだ。また、天がそれを厭い、一番先に目覚めたのにも関わらず一人で命題から逃れようとしたことも。

 そして、ノヱルがことあるごとに自らの魂の座に刻まれた術式を紐解き、“銃の見做し児たち”となった“十の孤児たち”との記憶に浸るのも。


(もう少しで、思い出せそうなんだけどな……名前)


 そして山犬もまた、過去の記憶に浸ることをしとする。しかし彼女はノヱルのように、喪った者たちの魂を主材とする魔術を得ているわけでは無い。

 だからより深く自らの魂の根幹に潜るため、“夢”を見る。車中で彼女が眠りこけるのはエネルギーの消費を抑える意味もあるが、主な理由はこのためだ。深く夢に意識を埋没させることで、潜行させることで、彼女は朧気な過去の自分の思い出をより深く思い出そうとしていたのだ。


(はぁ……早く夜が明けないかなぁ)


 今はもちろんその時ではない。皆を守るため、起きていなくてはならない。

 早く夢に浸りたいと言う想いが彼女を焦燥させる。そして焦燥は視界を狭め、五感を鈍らせる。


 それでも彼女がその気配に気付けたのは単純に――彼女という機械人形ヒトガタの躯体が、遥かに高性能だったからに他ならない。


(いち、にぃ、さん……よん)


 気配は散開している。しかしその淀みない動きは、明らかに彼女を狙っている。

 押し殺されているが漏れ出ている殺気は、逆にの経験の浅さを物語っていた。


(……その外側に、ごぉ、ろく……しち……はち、かな)


 近寄って来ているのは四人。残りの四人は、遠くから見守っている。殺気の漏れ方が全然違うのは、おそらく狙撃ではなく本当に見守るつもりなのだろう。


 ぺろり――月の光を照り返す、濡れた舌が唇を這った。妖艶に嗤う山犬は、待ちきれずに低く屈むと、その凶悪なまでの脚力を発揮した。


 ダンッ!


「はぁ!?」


 これから襲おうとしていた矢先だ。まだ心積もりは襲撃まで行っていない。その眼前に降り立った山犬の表情は娼婦そのものだ。夜を、たのしもうとしている。


「ねぇねぇおじさん。山犬ちゃんね、お昼ご飯も晩ご飯もあまり美味しく無くて、ちょっとお腹空き気味なの。おじさんは、?」

「ひ、ひぃっ!」


 戦慄に、堪らず男は手に持った小銃型の魔器を乱射した。消音装置によりけたたましさを奪われ放たれた魔術弾は合計17発、その全てが山犬の小柄な身体に着弾し、愛らしい顔貌や魅力的な身体に17個の孔が空いた。

 とろりと、やけに赤赤しい液が零れ――山犬は、その粘性のようにとろけていた。


「ねぇ、きもちいいこと、もっとしよ?

 エロくてぇ、エモくてぇ、とぉっても――エグいやつ」


 パァンッ――――音が、そして首から上が、爆ぜた。


 まるで水風船が割れたように、しかし赤い飛沫が男の首の真上から左方向に激しく散った。

 山犬の右手が振り払われたのだ。それは所謂“ビンタ”であったが、威力は頭部を瞬間的に消失させるほどであり、男の頭蓋も眼球も脳も何もかもがその一瞬で潰されて液状になり、森の地面に赤い水溜まりとなった。


 月に照らされ、赤く濡れた右手を山犬はべろりと舐めた。美味しいと感じる。新鮮で凄惨な命の味がする。

 気配がする方を垣間見た。まだ、おかわりがある。その事実に山犬の顔が綻ばないわけは無かった。


 最低でも、あとひとつはいただこう――そう決めると、殺気に戦慄の混じった気配の方へ、鋭い跳躍を放った。


「化け物ォ!」


 魔器がスタタタタと魔術弾を放つ。普通の命にとっては致命でも、山犬の器にとってはご馳走だ。体組織を破壊して肉の内側に食い込んだ弾丸も、ほんの瞬きの間で吸収が完了する。そして傷は再生する。


「もっと、きもちよくなろ?」


 今度は五指を揃えた手刀を腹部に突き刺した。臓腑を穿ち背骨を砕いて突き抜けた赤く濡れた左手を、ただただ力任せに振り上げる――豚面の男の身体が宙に舞い、ごしゃりと舗装路に落ちて拉げた。


「あ、やばっ」


 その音に気付いたエディたちがぱちりと目を開き、それぞれが素早く車から降りて状況を認識する。


「ごめぇん、すぐ終わらせるから!」


 山犬は笑顔で手を振ってそう告げると、三人目へと跳躍する。今度は舞い降りず、頭上から踏み付けにして潰した。

 男の身長は山犬よりも30センチほど高かったが、その上背が一瞬にして180センチほど小さくなった。それと同時に、地面に赤い大輪の花が咲いた。ラフレシアよりも大きな花だった。


 逃げようと背を見せた四人目には、足元に落ちていた手ごろな大きさの石をぶん投げた。左肩に見事命中した石は、しかしその速度と衝突時に生まれたエネルギーに耐え切れずに粉砕し、またそれが命中した左肩はおよそ直径20センチほど消し飛んだ。ぐしゃりと倒れた男は、やはり息などしていなかった。


「ありゃ、やっぱり残りは逃げられたか」


 二人目がやられたところで、外周に位置していた四人は逃げていた。しかし防衛と言う点ではそれで別に構わない。きっとあの四人はもう二度と彼女らを襲うことは無いだろう、山犬はそんな考えとともに今しがた起きた出来事をエディに報告し、それから四人の死体を


「えっげつねぇ……」


 サリードの呟きは彼女には聞こえていなかった。六人のうち四人が抱いた同様の感情もまた、彼女に伝わることは無かった。



「そんなことがあったんですね」


 天が戻ってきたのと山犬が四つの死骸を平らげ終えたのはほぼ同時だった。山犬は天に仕留めた赤い虎の話を聞くと、一目散に駆けて行った。その後で、天はエディから襲撃者の件を聞いたのだった。


「その赤い虎、というのは……襲撃者の飼っていた魔獣でしょうか」

「いえ……恐らくは全く関係の無い、偶然でしょう。魔獣は調教テイムに向いていませんし、あれほどの個体を従えるのは並の人間には不可能だと思われます」


 エディはそれを聞いて幾許かの安堵を表情に灯した。襲撃者も恐らくは、近くに根城を持つ盗賊団だろうと予想された。一団の中に真なる人族ヴェルミアンも見受けられたからだ。


(しかし妙ですね……賎方こなた霊銀信号検知器ミスリルディテクタには反応はありませんでしたが……)


「たっだいま~!」


 意気揚々と快活に山犬が戻って来た。エディは再び「それではまた宜しくお願いします」と頭を下げ、他の五人とともに車の中へと戻っていった。しかし五人のうち三人の表情には、彼ら神殺しヒトガタへの懸念がほんの僅かに宿っていたことを、天の目は見逃さなかった。

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