夢・デマ・他愛・魔性⑫

 かつて天はカエリだった。

 かつてノヱルがレヲンだったように、或いはかつて山犬がルピだったように。

 天もまた、かつてはカエリだった経緯を持つ――それは彼ら“神殺し”がただの“ヒトガタ”だった共通の経緯だ。

 やがて“粛聖”ジハドと呼ばれるようになる、神の軍勢による人間社会への攻撃――それを受け、復讐のために彼らはヒトガタから“神殺し”へと創り変えられた。


 レヲンはもはや悪魔と呼んで差し支えない程に狂い果てたクルードの魂を取り込みノヱルとなった。

 ルピもまた、異世界から召喚された悪魔の魂の欠片を取り込み、憤怒と暴食と邪淫の化身たる山犬となった。


 だが天に限っては。彼ら二基と、ヒトガタから神殺しへと昇華された経緯は少しだけ違う。


 ノヱルや山犬はもう、かつてのレヲンやルピとは異なる。その存在の根底にある魂は彼ら固有のものと取り込んだ悪魔の魂とが混じり合い、全く異なる別の存在に変わってしまった。

 だが天は違う――――カエリの躯体は悪魔の魂を取り込んでなどいない。クルードによって召喚された、ひとつの世界を滅ぼした“牛×××”という悪魔の魂は、カエリの扱う刀に込められた。


 だから天は、カエリだ。

 神殺しとして新たに創り変えられたヒトガタとしての名は、正式には“天牛”――それは、刀に込められた“牛”と、それを扱う“天”カエリの総称としての意味を持つ。


 だから天は、カエリなのだ。

 カエリであるために、ノヱルや山犬とは大きく異なり、生前カエリの性質と記憶とを色濃く持つ。


 個体そのものから生まれる自由意志を何よりも尊重する、ある種も。


 美しいものを――取り分けを好む、男娼アスプロウ型としての意義に拘っていることも。


 大陸東方の、幻とすら噂される格好ファッションや流儀を好み、積極的に取り入れていることも。


 それら全ては、彼が

 彼だけは――一度滅ぼされ生まれ変わっても、自分であることを貫き続けていた。


 その理由――――それは、彼が、孤児院にいなかった理由に起因する。

 いや、もっと言えば――――彼の中にいつまでも存在し続ける、ある一人の女性が全てだ。


 その女性の名は語らずとももう判るだろう。

 そう、その名は“マリアベル”。彼が、カエリがこの世界の何よりも美しいと確信する――――




   ◆




 きっとそれは“恋”だった。

 でも他方から見ればそれはやはり、“呪い”なのだろう。



「私を動かす権限は創造主マスターと、そして私自身のものです。私の言動は私の意思、そして創造主マスターの意思に沿うもの。貴女方には強制されたくない」

「やめろっつってんだろ」


 制止の効かないカエリの胸倉をレヲンは掴み上げた。そこで漸くカエリは、不満を表情に灯した。物理的に身体の自由を奪われたからだ。

 その表情を見て、レヲンは直ぐにカエリを解放した。ルピはまだ泣いていた。先程よりもその嗚咽は強まっていた。


「……創造主マスターには無意味に不安を持ち込みたくありません。このことを耳に入れるようでしたら、私にも考えがあります」

「あくまでお前はお前を貫くんだな」

「……私にも自らの意思があります。私は私自身であるべきです。この身体は創られたものかもしれませんが、それを動かすこの心は、私の元に生まれたのですから。……約束がありますから、これにて失礼いたします」


 告げ、呼び止めようとするレヲンの声を振り切ってカエリは夜の森へと跳び出した。

 レヲンは乱暴に閉められた扉の向こうで現在時刻に辟易としていたが、この時間に約束があるのは本当だった――いや、無くともあの打ち切り方には違いなかっただろうが。


「……少し、急がなければ」


 躯体内に備わる時計機能を確認したカエリは、出力をほんの少しだけ強めて地を駆けた。

 寒空の下に漂う空気はいつもよりも落ち着いているはずなのに、それを吸気したカエリの躯体の内の霊銀ミスリルはほんのりと赤く揺らめいていた。




 どうして彼女を知ってしまったのか――カエリは殊更物事に執着しない、未練を然程抱かない性質だったが、マリアベルについてはその限りでは無かった。

 王都から少し外れた色街に駆け込む手前で、カエリは何度も息を整える――ヒトガタは疲れない。走り込んだからと言って人間のように息が切れることは無いのだが、しかしカエリはそこに向かう際は何度だってそうした。


 彼女の前に踊り出ればいつだって、そんな機能は無い筈なのに、不調めいた霊銀ミスリルの揺らぎを感覚してしまう。

 各種出力の調整に隙が出来、何かを誤ってしまいそうになる――それを抑えるために、いつだって万全の体制を整えなければならなかった。


 キィ――蝶番が僅かに鳴く扉を開け、建物の中へと入る。音を聞いて振り向いた受付の男が俄かに明るい表情をして、そしてカエリに気付くといつもの仏頂面に戻る。


「アンタか――ああ、確かに予約が入っていたな。いつもの部屋だよ」

「痛み入ります」


 その言い回しに手を振る男の前を擦り抜け、部屋の奥の階段を上る。

 そのの本来の流れなら、階段の手前にある個別の待合室にて合流した後に一緒にへと赴くのだが、カエリはいつだって一人で部屋に向かったし、彼女が降りて来ることも無かった。

 だがその理由もカエリは知っていた。知っていたからこそ、いつだって一人で部屋へと向かった。

 ノックの回数はいつだって三回――親愛や友好の証のつもりだが、そう言えばそれを確かめたことは無いなと、この夜はそんなことを考えて声が返って来ることを待った。


「開いてるよ」


 やがてか細い声が上がり、それを聴覚したカエリの錬成炉アルケミックリアクタは俄かに出力を高めた。

 それを抑えるように胸に手を当ててひとつ深呼吸をしたカエリは、「お邪魔します」と丁寧に告げて扉を開く。


 薄く煽情的に照らされた部屋の中。

 キングサイズのベッドにマリアベルは寝そべっていた。一糸も纏わぬ姿なのは、が帰った直ぐ後だったからだろう。


「遅かったじゃない」


 寝そべったまま、首を横にも向けず天井を見詰めたままマリアベルが微笑む。釣られてカエリは苦笑した。


「出来るだけ急いだのですが……すみません」

「別にいいけど」


 四肢を放り出した、と言えば確かにそうだが、マリアベルの四肢はしかし彼女が寝そべる同じベッドの上には無い。

 それらは木板の床の上に乱雑に放り出されていた。それもまた、きっとの仕業なのだろう。


「お風呂入りたい」

「でしょうね。少しだけ待っていてください、今四肢を着けますから」


 床に転がる義肢を拾い上げたカエリは、部屋の片隅に籠に積まれたタオルケットを取り上げてはそれで表面的な汚れを拭き上げた。

 年式としては決して新しいものでは無い――故に、落ちない黒ずみもあった。だが彼女が「早くして」と急かすので、カエリはそのまま彼女の肩と太腿の付け根に備わる接合部に義肢それぞれを押し付け接続させる。


「痛っ!」

「あ、ごめんなさい」

「もう……何度も言ってるよね? 取り付ける時は優しくしてくれないと、って」

「はい、失念していました」


 ゆっくりと上体を起こしたマリアベルは唇を尖らせカエリを睨んだと思うと、しかし次の瞬間には天使のような笑みを湛えた。


「カー君、ありがとう。お風呂、一緒してくれる?」

「勿論、喜んで」


 よろよろと立ち上がるマリアベル。接続したての義肢は出力が不安定なのだ――最新式のものだったならば、そのような面倒臭さも不要なのだが。

 だがマリアベルがまだこの義肢しか買えないのだからしょうがない――人間用の魔動義肢はべらぼうに高価なのだ。

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