喰み出した野獣、刃乱した除者㉑
「……罠と判っていて来ると言うのは、些か頭が優れなさ過ぎやしませんか?」
不在の敵のためにホールの階段に腰を落ち着けていた天は、雁首を揃えて現れた三人――正確には一基と二人――を見て嘆息混じりに苦笑した。
「だって山犬ちゃんは天ちゃんを連れて帰らなきゃいけないしさ」
「誰もそのようなことを頼んでは」
「いやいや天ちゃんじゃなくてあの
あっけらかんと言い放った山犬の清々しいまでの表情に、天は改めて深く溜息を吐いた。
そして抱えた頭を持ち上げて見やる、奥の少女に問い掛ける。
「……そして何故貴女はそんな風になってしまったんですかね」
彼の
しかし髪色と目の光は違うとは言え、その顔貌はシシそのものだ。
だから天は軽薄な表情の奥に驚嘆と懐疑とを隠した。
それは成長と呼ぶにはあまりにも範疇外だった。そしてそれは、恐らく変貌と呼ぶ方が相応しかった。
「……荒れ狂った
その予想だにしなかった単語に、思わず天は腰を浮かせて立ち上がってしまう。
「……シシ、貴女は」
「もうシシじゃ無い。今のあたしは、シシとは違うの」
言葉を食って吐き出された想いに、天は全てを聴かずとも少女の胸の内を察した。
きっと彼女は、この結末が天の気に障るものだろうということを知っていた。
シュヴァインの『生きろ』という末期の願いに反し、その身を戦場に投じ暴虐に委ねる愚行だからだ。
しかし彼女は何も生きることを放棄したわけでは無い。
命を懸けて彼らの想いを引き継ぎ、戦えぬ者の代わりに戦い、抗えぬ者の代わりに抗い、生きられぬ者の代わりに生きることを決めたのだ。
そしてその成就の過程に、“神殺し”という
だが天からして見れば、シシが単にシュヴァインを喪った悲しみと憎しみからその復讐を望み、
とてもその行為・決断が、シシ自らのみを由とする唯一無二の意思とは考えられなかった。
だからこそレヲンは謝らない。頭を下げない。
多少成り行きに後押しされた結果ではあるが、『生きる』と『戦う』は彼女の中で同義となった。
ここで軽はずみに頭を下げてしまえば、自分の気持ちや覚悟、引いては受け継いだはずの遺志にすら嘘を吐いてしまったことになる。
それだけは出来ない。
それだけは出来ないのだ。
「それで、今の貴女を
「……レヲン」
告げられた名を聴いた天は目を細めた。眉間には微かに皺が寄っており、その表情からは笑みも消えた。
「……どうしてその名を?」
レヲンは口を噤む。
その理由をそのまま言葉にして伝えていいものか、逡巡してしまったからだ。
そしてそれはより一層、天の自尊心を
天はノヱルや山犬よりも先にシシと出逢っている。
彼はシュヴァインの意思を汲んで彼女を助け、逆にノヱルはシュヴァインを見捨てた。
それ故彼女はノヱルを憎み、その手で殺し復讐の皮切りとするために強くなることを決意した。
その構図は変わらない筈だ。だから、彼女がもしも憧れを抱くのなら――それはノヱルではなく自分でなければおかしい。
そんな愚かしい思考がぐるぐると
「……いい名前だと、思います」
身体から力が抜けていくのを感じた。そうなった天の表情はとても穏やかで、そしてどこか影の差すものだった。
きっと彼女はまた、自分を頼るに違いないという確信が天の中にはあった。
乞われても彼女に剣戟を教えなかったのは、刀と剣との違いもあるにはあったが最も大きい要因はシュヴァインの遺志だった。ただ『生きろ』と願った彼の遺した想いに反して、彼女を短命に繋げることはしたくなかった。
だが、それでも彼女は頼ってくるだろうと思い込んでいた。頼るべきは自分であり――しかしすぐに、それは違うと思い知らされた。
――そうだ、それでいい。
天はふと、白鞘に納まった刀の柄に触れた。その途端に、牛の意思が天の中へと飛び込んでくる。
――天よ。
――受け入れろ。
――そして愛せ。
――不自由を愛せ。
――不条理を愛せ。
――届かなかった望みを、行き着けぬ果てを、絶たれし一縷を、望まぬ結末を。
――自分自身のように、愛し尽くせ。
「――本当に、煩い奴ですね」
すらりと半ば抜いた刀身の煌めきを見詰めながらの唐突な独り言に、レヲンだけではなく山犬もエディも、何をどう反応していいかわからず思わず顔を見合わせる。
しかし再び切羽と鯉口を擦り合わせて刃を納めた天は、今度は口に出さず躯体の内側でのみ呟いた。
(……いいでしょう、牛。貴様のこともまた、ありのままに受け入れてみることにしましょう)
剣士の弱点とは、その精神性だった。
その形は水の如き“柔”――だと言うのに、その身を凍らせる主義志向や拘り、執着をこじらせてしまう性質にあった。
自由で無ければいけないという思想は、却ってその選択肢から不自由を選ぶという考えを奪う。
そもそも、自由と言う言葉を使っている時点で、彼は自由という名の鎖に縛られている。
誰よりも自由を愛する者が、その実誰よりも不自由だというのは何と滑稽か。
しかし二つの敗北を受け入れたことで、天はその心に根付く
いっそ清々しいとさえ思える心地だった。
よりにもよって天が“貴様”と呼ぶ牛とノヱルに喫したというのが癪だが、受け入れてしまえば逆に憑き物が落ちた様な真っ新さを覚える。
夕立が晴れて夜空に星の瞬くような穏やかさだ。
そんな気分を得た天は、今一度レヲンを、山犬を、エディを見据えた。
「皆さんに、……どうかお願いがあります」
なぁに、と
「相手は一体一体が
うんうんと何故か得意げに頷く山犬とは正反対に、レヲンとエディは真摯な眼差しを穏やかな表情に向けている。
「……力を、貸して下さい」
その二人分の双眸が見開かれたのは、そう告げながら深々と天が頭を下げたからだ。
別段天が頭を下げるだなんて行為は珍しいものでは無い。しかし明らかに、その質はこれまでのどのお辞儀とも違っていた。特に純度が。
「あったりまえじゃんねー?」
山犬はやはり得意げな表情で、満面の笑みを湛えながら下げた頭の横にある肩をぽんぽんと叩く。
そして振り返り、未だ一驚を喫している二人にさらに深まった笑みを向けた。
しかしその笑みは、二人のさらに奥に現れた人物を目にして異なる綻びを見せる。
「ノヱル君っ!」
レヲンとエディも振り向き、天もゆっくりと頭を上げた。
「……何やら面白いことになってんじゃねぇか」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら歩み寄ってきたノヱル。その視線は真っ直ぐに天を突き刺している。
「お前が心の底から頼み倒すなんて、さては天使が化けてんじゃないのか?」
「はっ――心境の変化、というやつですよ」
「へぇ、そいつは面白いな。何がどう変わったんだ? 聞かせてくれよ」
「
感嘆をわざとらしい口笛で表現したノヱルだったが、しかし目に宿る光からお道化を抜き取ると、ひとつ息を吐いて右側頭部をぼりぼりと掻いた。
「本当に心の底から癪だが――確かに戦力を集結させないと勝てないだろうな」
思わず鼻で笑ってしまった天だったが、ひとつ頷くと真摯な眼差しをノヱルへと向ける。
「ノヱル」
「何だ?」
「……今一度、共に戦ってくれますか?」
それはとても穏やかでしかし張り詰めた、強要とも懇願とも取れる、不思議な眼力だった。
鼻で息を短く吐き出したノヱルはそれに対し、つまらなさそうな顔を向ける。
「己れ達はいがみ合っていようが共に“神殺し”の同胞だ。その命題を全うするためなら手段を選んではいけない。お前がそれが必要だって思うんなら、己れは諸手挙げて賛同するぜ?」
「……まだるっこしいヒトガタですね。いちいち全てを言わなければならないのですか?」
今度は天が短い嘆息を吐く。しかし眼差しの純度は高まり、堅く誓うような鋭利な視線同士が交差して互いに突き刺さる。
「ノヱル――貴様の銃撃が必要です」
「ああ、奇遇だな――天、己れにもお前の斬撃が必要だ」
そして同時に差し伸ばした手は――握られず、互いに握り締めた拳がごつりとぶつかり合う。
山犬は向き合った二基にうっとりとした表情を点し、レヲンはドキドキと高鳴り出した心臓の痛みに顔を赤らめた。
そしてエディは、その雄々しいにも程がある格好良さに惚れ込み、膨らんでは爆ぜそうな憧憬を胸に抱いて高揚した。
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