無窮の熕型③

 暗く闇の広がった空に瞬く星々の灯りが、そしてオーロラの揺らめく光の帯が、シャッターを開け放ったカメラが写し取るように闇に混じっては空の形を歪めていく。

 それでいて光と闇とは融合せず、食みながら食まれながらぐねぐねと互いの輪郭を変じさせ、滾々こんこんとした昏迷が煌々と混濁し渾然一体となり――空間を跳躍することで得られる極彩色の渦巻く風景とは、表現すればそのような言葉となる。


 時間にして一瞬に過ぎない筈なのだが、しかしそれは光を超えた概念的な速度故に引き延ばされた感覚が永遠として錯覚し、終わってみれば「あっと言う間だった」と言うことも出来るが終わらない最中では「まだ続くのか」と嘆息せずにはいられない――しかしやはり、一瞬の出来事には変わらない。


 コーニィドの行使した【座標転移】シフトの魔術により隔絶を跳び越えてノヱルが降り立った場所は、先程までと変わらぬ石造りの床の感触があり、そして見渡せば床も天井も石造りの――どこか懐かしい牢獄だった。目の前に棒状の鉄が並んで格子となっているのだ、間違いは無いだろう。

 腹立たしかったのは、その鉄格子の向こう側にコーニィドがいたことだ。何だ、蓋を開けてみれば拘束されるのではないか――ノヱルはがしがしと右の側頭部を掻きながら、【猟銃】シャッセでも取り出してみようかと本気で思い、どうせなら【葬銃】カノニアの方が確実だな、と思い返した。


「悪いな、ノヱル。俺一人の判断じゃまだお前をここにしか置いておけない」

「いやまぁそうだろうな。それこそあんたがこの地の王様か何かじゃ無い限りは」


 そう告げて嘆息したノヱルだったが、直後コーニィドの挙動不審さを見て眉根を寄せた。


「あー、うん、一応……いや、悪い。やっぱ駄目だわ」

「……まさか本当に王だとでも言うのか?」

「あー、な」


 愕然と目を見開くノヱル。気恥ずかしそうにぼりぼりと頭を掻くコーニィド。


「元、とは?」


 彼の言葉はまさしくノヱルの知的欲求心に火を点けた。そうなれば当然、ノヱルは二人を隔てる境界として存在する鉄格子をがしりと両の手で掴み、ずずいと格子に埋もれんばかりに顔を近付ける。

 その奇怪な様子に面食らったコーニィドは一歩後退あとずさりながら苦く笑み、「それはまた後でな」とだけを告げ捨てて石造りの廊下をノヱルの死角遠くへと消えて行く。


「――あんなちゃらんぽらんそうな男が元王だと? どういうことだ、この国の機構システムはどうなってるんだ?」


 別段、ノヱルはこの国を馬鹿にしたつもりは無い。寧ろ、愚帝や暴君が君臨してなお存続する国の在り方には興味があっただけだ。

 加えて、あのような男がどうやって王位を継承したのか、そしてその王位が今なぜ彼の下に無いのか――疑問は尽きず、うずうずと彼の知的欲求心は膨れ上がって行く。


(本当に、この檻をぶち壊してしまおうか)


 本気で逡巡するノヱル。だが心を通わせられる――と勝手に思い込んでいる――相手と出遭い、こうして機能不全に陥ることなく無事に行動の自由のみを制限されたに留まった現在を鑑みれば、そうしてしまうことの愚かしさは選ぶこと等出来る筈が無い。

 だからノヱルは振り返り、さらに細かく優雅な意匠そのものである窓の鉄格子越しに、自らの祖国に似た機械仕掛けの街並みをただただ眺めるに留めた。


(……確かに似ている。細やかな違いはあるが、女王国クィーンダムそっくりだ)


 機械仕掛けの街並み――或いは、車輪仕掛けの街並み。

 川に渡る跳ね橋は外側に噛み合う歯車が露出され、水門や壁門もまた機構そのものを構成する歯車が丸見えだ。

 遠くには風車や水車も見え、道路を走る車や空を飛ぶ飛空艇も、よく目を凝らせば車輪、或いは歯車の意匠が施されているのが判る。

 自ら手を触れずとも独りでに開く自動扉――それもまた歯車仕掛けの機構だ。

 それらは全て、動力に霊銀ミスリルの変質によるエネルギーの発生を利用していた。歯車を利用しているのは、フリュドリィス女王国クィーンダムのように魔術そのもので機構を組み上げているのとは違う。

 この国――確か彼は、“車輪の公国”レヴォルテリオと言っていたか、とノヱルは思い返した――では、魔術そのものを用いる機構はどうやら無いらしい。


霊銀ミスリル機関が無いのか、それとも魔術式の焼き付けにまで至っていないのか……)


 組んだ腕から伸びた五指が顎を触る――ただただ見知らぬ街並みを眺め思案に耽る。その時間は自覚こそ無いものの、彼にとっては至福の時間と言えた。




   ◆




「コーニィドだ、入るぞ」


 通路の石壁の、窪んだ面の中央に備わった金属の円盤に掌を当てる。触れた瞬間に仄かな光がその面に拡がり、無かった筈の途切れ目が現れて両側に分断され開いた。


「あ、お疲れ様ですっ!」

「あ? お前今日非番じゃないのか?」


 コーニィドが騎士団の駐屯所の一室に入った早々に掛かった声は二つ――部屋の入って右側の座談スペースに設けられた対面のソファに座る二人。

 一人は快活そうな若い女性だ。着こなしたこの国の防衛機関である【車輪の騎士団】レヴォルトリオンズの正装はまだくたびれてはおらず、彼女が真っ新な新人であることを示している。

 もう一人は対して着慣れた上に着崩した、大柄な男性だ。快活と言えばそうだが、どちらかと言えば精悍と言える四角い顔をしており、太い指で摘まみ上げた駒をぐりぐりと弄りながら二人の間にある盤面をじっくりと見下ろしている。


「仕事サボって“ヴァルファー”か? いい度胸してるじゃねぇか」


 コーニィドが“ヴァルファー”と呼んだ盤上遊戯ボードゲーム――それはチェスに似て非なるものだ。

 十×十の百マスの盤上に様々な移動方法を持つ駒を置き、それを互いに一手ずつ進めることで敵の駒を落としながら、最終的には“敵の駒の数を自陣の駒の半数以下にする”ことで勝利を目指す。

 ここ【車輪の公国】レヴォルテリオに古くから伝わり、かつ今も広く遊ばれている娯楽だ。


「サボってるわけじゃねぇよ。ヴァルファーを通じて戦術をだな」

「ヴァルファー自体がサボりだっつってんだろ、アイロ」


 アイロと呼ばれた大柄な男は肩を竦めたが、しかし二人は一向に遊戯ゲームを止める気配に無い。

 それどころかコーニィドも外套を衣文掛けハンガーに掛けると、ソファに腰を下ろして盤上の戦局を見極め出した。


「んじゃ、こう、だな」


 かつん、と駒と盤とがぶつかり合って乾いた音が部屋の中に響く。

 アイロが指した一手は、前方の三方向と後方の三方向にそれぞれ1マスずつ動ける――つまり左右以外の六方向に1マスずつ動ける――“炎術士”パイロマンサーを真っ直ぐ前方に1マス進めたものだ。

 すでにアイロ側の炎術士パイロマンサーは敵陣前衛に差し掛かっており、どうしたものかと対面するニッキーは腕を組んでうんうんと唸っている。


(……成程ね、と来ると……こうなって、こう……)


 観戦に入ったコーニィドは互いの次の指し手を予測しながら戦局の変化を脳裏に巡らせる。彼の見立てではアイロに分があるが、指し方ひとつでまだどうとでも転がる局面だ。

 そして数手分、両者の戦略が交差して盤面の駒が動いた。最終的にはコーニィドの予想通り、アイロが炎術士が一試合セットに一度だけ使用できる、自らの周囲1マス内に存在する全ての敵陣営の駒を、自らの命と引き換えに葬り去る特殊能力を使用し、ニッキー側の駒の数がアイロ側の駒の数の半分を下回った。つまりアイロの勝利だ。


「うん、いい勝負だったんじゃ無いか? ただアイロは特殊能力頼みなところがあるな。ニッキーは定石をいくつか覚えるといい。ま、二人ともまだまだってことだな」


 途中から観戦に入ったにも関わらず勝手な物言いだが、アイロもニッキーも二人ともがコーニィドの言葉をしかと受け止めた。そしてコーニィドは、「んじゃ勝ったアイロが俺の相手な」と、次の勝負すらも易々と決めてしまったのだ。

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