夢・デマ・他愛・魔性②
振り上げた剣の様相を禍々しいという修辞で飾るのは適正と言えた。
諸刃の直剣は打ち捨てられた臓腑のように赤黒く染まっており、それを握る少年の悍ましい姿にもまた、それを見る誰しもの心を恐怖で竦めさせる。
「が、ァ――――っ」
先程までただぼんやりとしていたエディだったが、今の彼は自らの内を蝕む夥しいほどの狂気に塗れた衝動をどうにか抑えようと必死だった。
だが、彼の身体と握る聖剣は一本の霊脈でもう繋がってしまっている。
循環する
“解き放て、
「逃ゲ、――――」
もうどうにもならないと覚悟した。振り絞って吐いた言葉に、大聖堂に集まっていた信徒たちは近しい人と寄り添いながら踵を返す。
だがエディに対して背を向けた瞬間――聖剣に、黒い炎が灯った。
「うアあああアアああ!!」
誰に対してでも無く剣を振るうエディ。空を斬った剣閃は灯る炎を撒き散らし、振り抜いたことで中空に舞った火の粉は自らを増大させながら逃げ惑う人々へと襲い掛かる。
「きゃあああ!」
「うわあああ!」
降りかかる炎に絡め取られた者は燃え上がる黒い炎に呑まれてしまう――大聖堂は
腰を抜かしてしまう者。
ひれ伏して祈りを捧げる者。
分け隔てなく、黒い炎は信徒たちを飲み込んでいく――やがて大聖堂そのものにも炎は移り、本来燃えぬはずの石の建材を舐める炎はその身を拡げ、火勢を強めて行く。
「どウ、シて――」
聖剣に黒い炎が灯ったように、少年の心には絶望が宿っていた。
こんな筈では無かった、決してこんな筈では無かった。
こんな未来など、何一つ思い描いたことは無かった。
ただ、聖剣の失われた光を取り戻し、力を取り戻し、神の軍勢を討つ英雄の一人になりたかった。
ただ、それだけだった。
「こいつだ!」
「捕らえろ!」
「いや、殺せ!」
嘆きに駆られて床に両膝を着いて茫然と自失するエディの元に、聖天教団が抱える大陸最強の騎士団である聖天騎士たちが現れた。
荘厳美麗な白銀の鎧に身を包み、清廉な
「……ダメだ、こコにいチャ、ダメだ……」
ゆらりと立ち上がったエディは、のろのろとした足取りで黒く燃え上がる大聖堂を出ると、表通りを人気の無い何処かを探して彷徨った。
白く靄がかった思考はただただ一人きりになれる場所を探すことで精一杯であり、道すがらでもう何十人も黒い炎で焼き尽くしたことなど意識に上ってすらいない。
どうにかしようと襲い掛かる騎士は全て焼いた。
途中目に入った信徒も全て焼いた。
彼らを焼く黒い炎は、近くにいた別の騎士や信徒にも一人でに跳びかかり、次々と犠牲者を増やしていく。
もはや、エディは聖剣を振るうことは無かった。ただただ剣から発せられた黒い炎が、どんどん聖都を飲み込んでいくだけだった。
やがてエディは小高い丘へと辿り着いた。
もう彼を追って来る騎士はそこにはいなかったし、彼の姿を見て逃げようとする信徒もいなかった。
ただそこには――――ひどく涼しい顔で彼と対峙する、一人の浪人がいた。
細く薄い金属板を重ねて作った三度笠を被り。
透き通った海の浅瀬を思わせるような
青銅色の籠手と草刷りを身に着け。
そして腰には一振りの刀を帯びる。
「あ……ア……」
エディの目に涙が生まれた。
ぱちりぱちりと浪人は三度笠を留めていた
「お久し振りです……随分と、お変わりになられたようで」
にこりと柔らかく微笑む表情は、何一つ変わっていないように思えた。
だからこそ少年は、変わり果ててしまった自分を恥じ、ぼろぼろと涙を零す。
こんな筈では無かった、決してこんな筈では無かった。
こんな未来など、何一つ思い描いたことは無かった。
ただ、聖剣の失われた光を取り戻し、力を取り戻し、“神殺し”と肩を並べて戦う、神の軍勢を討つ英雄の一人になりたかった。
彼のような“神殺し”に、なりたかった筈だったのだ。
「――天、さン……」
涼やかで、穏やかで。
だけれども天は、左手を腰の鞘に添えている。
エディにはそれが何を意味しているのか判り切っていた。彼は、鞘に納まった彼の刀を抜く気なのだ。
きっと――――自分を、斬り殺すのだ。
「ああ、やっぱりエディ殿で良かったのですね。結構な変わり様でしたから、違う人だったらどうしようとか考えておりました。……ところで、
薄らいではいるが、確かに彼の後ろには空間の歪んだ残滓が見えている。どういう手段かは判らないが、空間を跳躍して来たのだろう。
「……成程。その剣が発生源ですね」
言い当てられると、聖剣は繋がったエディの身体に
自らの意思とは関係なく立ち上がった身体に、エディの驚愕する表情はそれを察すると哀願する眼差しを天に向ける。
「天さン……僕を、こロ」
「貴方がそう願うなら」
最後まで聞かず、天は足を前後に大きく開き、上体を低く屈めるいつもの戦型を取った。
地に触れるほどだらりと垂らした右手の脱力こそ、目に映りもしない抜刀の速度の根幹である。
「それでも、
「えッ?」
困惑とは裏腹に、再び黒い炎を迸らせた聖剣が一人でに動く。
ガギィッ――知覚すら出来なかったが、どうやら聖剣は宿主であるエディを守る気でいるらしい。
握る右手にじんわりと痺れを感じながら、しかし目にした天の恰好は一切が変わっていない――瞬きよりも速い一瞬のうちに、抜刀し、斬り付け、再び納刀したのだ。
ああ、本当に僕を――――エディは堪らなかった。
憧れた一人は、本当に自分を殺しに来ている。
次々と放たれる閃撃を、聖剣は幾度も幾度もエディを守るために駆け巡る。
斬り付ける天の顔は涼やかだ。それもまた、エディにとっては堪らなかった。
ああ、聖剣を得てしても自分は、この人に本気を出させることは出来ないんだ――――
「うアああアあああア!!」
「っ!!」
突如、エディの身を聖剣が纏う黒い炎が覆った――しかしそれは焦がすためのものじゃない。
炎は形成され、鎧の形状となり、黒騎士の様相を得たエディはまたも吼える。
「殺さレてたマルか!」
「ええ、そうでしょう、そうでしょう――だから
先程とは違い、右手をだらりと垂らすのではなく
途端に白い肌は
虹彩に現れた金色の逆錘模様は妖しく輝き、それは使い手である天と刀である牛がひとつとなった、天牛という本気の形態である。
神殺し達が神を殺すためにその身に備わる、神殺したる力である。
その姿を見てエディは嬉しくなった。
自分を殺すために、あの天が本気を出してくれることが、堪らなく嬉しかった。
きっと自分はどう足掻いても殺されるだろう、それを予感しながら、それでもエディは一秒でも長く彼と剣を交えたかった。一度でも多く彼と剣を交えたかった。
もう、聖剣を得て彼と並ぶ英雄になるんだという理想は焼け落ちてしまった。
今のエディには、ただただ強くなった自分を長く見てもらうんだという歪んだ承認欲求しか無かった。
そしてそこに、空間を切り開いて現れた影が三つ――反転させた
大聖堂へと辿り着いた彼らは聖都を覆う死と黒い炎の様子に絶句し、そして改良により天使の気配を察知できるノヱルは単身再び空間を跳躍してこの丘へと駆け付けたのだ。
しかし遅かった。
抜き放ったメタリックブルーの刀は真横に一閃され、それを防ごうとした聖剣を割り断ち、止まらない刃はエディの右上腕から肉へと入り込んでそのまま反対側へと通過した。
ぱきん、と乾いた音を立てて舞い上がった折れた剣身はくるくると回転しながら炎を撒き散らす――しかしもうその炎は熱を帯びていない。
エディが身に纏った黒い炎の鎧もまた、折れた聖剣に込められた異ノ血の異ノ理が消えて行くと同時に、ぶわりと解けて風に消えて行った。
「エディ!!」
「ノヱ、る、さン……」
ゆっくりと倒れて行く少年の身体。
それを一瞥した天牛は、刀を鞘に納めると、
墜ちた剣が、ざくりと土に突き立った。
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