Ⅷ;Saber Works

夢・デマ・他愛・魔性①

 この世界せかい 美し うつく くは


 この世界せかいは ただしくも


 それでも私は わたし  この世界せかい


 にくむことは いでしょう




   ◆


「ノヱル、

 神を否定しろ」


    Noel,

    Nie

    Dieu.


Ⅷ;夢・デマ・他愛・魔性

  -Saber Works-


   ◆




(はち切れそうだ……)


 セントゥワリオの港湾に停泊した潜水艦から久方ぶりの地上へと踏み出したエディの足取りは危うかった。

 ふらふら、という擬態語ですら生温いと言える。もはや支えが無ければ直ぐに倒れてしまう程であり、寄り添い支えるバネットも、反対側に隠すように立つサリードも、先導するミリアムも、後ろを追従するアスタシャとそしてレヲンも。

 誰もが口々に休むよう声を掛けた。しかしエディは自らの使命を強くそして深く理解している。


 陽動を務めるガークス達の隊が【闇の落胤】ネフィリムを引き付けているうちに、仲間と共に大聖堂へと辿り着き教団と神の軍勢との繋がりを露見させる――こちら側には万に匹敵する軍勢を擁するレヲンがいるのだ、万が一【禁書】アポクリファの到着前に戦争が生じても、決して負けにはならない筈だ。

 だからエディは傷と痛みを押して歩を進める。牛歩に満たない速度でも、歩き続けなければ辿り着かないのだから。


「エディ……やっぱり休もう」


 堪らず彼の目の前に躍り出たレヲンは、改めて彼の身に起きた異変を目の当たりにする。

 黒く濁った右目が意思に反してぎょろぎょろと周囲の雑踏を見渡しているのだ。左目は真っ直ぐ自分を見詰めているのにも関わらず、だ。

 蒼褪め土気色になった肌も、ところどころ細やかな罅割れが生まれている。これでは異骸アンデッドだ。特に、死の直後に異骸化アンデディングすることによって生まれる“レヴナント”と呼ばれる異骸アンデッドそのものだった。


「いや、進もう……」

「駄目だよ!」


 無理やり両肩を掴んで進もうとする身体を押し留める。聖剣は抜けたものの、それが突き刺さっていた胸の傷は塞がり消えてしまったが、段々と時間が経つにつれ傷痕と同じ痣となって顕現している。そしてその痣は徐々に枝を伸ばし、潜水艦を経つ頃には胸部全体に広がり切っていた。

 治癒魔術を施せば箇所が焼け焦げ、壮絶な痛みに苦しみの叫びを上げる――エディは呪われている。呪われ、その在り方が半ば“異骸”アンデッドになってしまっている。


(本当に……異骸アンデッドになってしまった?)


 アスタシャは狼狽したが、しかし霊銀ミスリルを宿して視た彼の身体は、レヴナントのそれでは無かった。

 言うなれば、生きているのに異骸アンデッドへと変貌してしまったかのようだ。そして現在までに、そのような存在は一切確認された記録が無い。だが治癒魔術が効果を上げないのも確かなのだ。アスタシャにはもうどうしようも無かった。


「エディ君」

「エディ坊」

「駄目だ。立ち止まったら、遅くなる……もしかしたら隊はもう着いているかも知れないし……」

「そんな通信入って無ぇよ」


 とうに日は暮れてしまった。昼下がりに港湾に着いたことを考えると、これだけの時間を掛けてこれっぽっちしか進めていないのは致命的とも言える。

 エディは終始大聖堂に辿り着く事を頑として押し通そうとしたが、最終的にはサリードの有無を言わさぬ雄々しい決断で担ぎ上げ、手近な宿泊施設ホテルに駆け込んだ。

 そして魔術が効かない彼に、比較的原始的な手法――軟膏と当て布と包帯――での応急処置がなされる。


「うう……」


 触れてみると遙かに高い温度の身体――アスタシャは顔を歪め、ミリアムは無言のまま険しい表情で胸部の赤黒く変色した当て布を取り替える。

 レヲンは処置を手伝わず、現状のエディが少しでも動けるようになるためのいくつかの道具を、クルードの遺体から創られた魔杖を用いて製作していた。


「サリード、手伝って」

「何すりゃいい?」

「包帯を巻くから、身体持ち上げて」

「わかった」


 両の肩甲骨に忍ばせるように両手を差し込んだサリードはぐいとその均整のとれた逞しい身体を持ち上げる。


「ごぶ――っ」


 しかしその際に内臓が圧迫されたことで咳き込んだエディが口から吐き出した液体は、その右目の粘膜同様に黒く濁っていた。ぬたりと嫌な粘り気を帯びており、酸性が強いのかベッドのシーツに付着したそれは布地をしゅううと焦がした。


 誰も、何も言えなかった。ただただ絶句するばかりで、どうすることも考えられなかった。

 こんな症状は見たことも聞いたことも無い。いや、治療専門の魔術士ならば心当たりや似た現象を知っているのかもしれない。そこからエディを快復へと向かわせることが出来たかもしれない。

 しかしミリアムもアスタシャもサリードもバネットも勿論レヲンも。彼らは皆、そうでは無い。戦場に立ち死線を潜り抜けて来た経験こそ豊富だが、誰かを癒したことなど数える程度――サリードとバネット、レヲンに至っては皆無だ。


 どうして。

 どうしてこうなった――もしもエディがあの聖剣を求めていなければ、もしも彼らがエディにそれを望まなければ、この現状は変わっていただろうか。

 そんな意味を持たないばかりが頭を衝いて浮かび上がる。


 意味など無い。何もかもが結果論でしか無いのだから。

 開けた蓋の中身がそれだっただけのこと。時を遡って過去に戻る術など、この世界には見つかっていない。




「ねぇ、エディ!? 何処行ったの!?」


 しかし今後のことも話し合いながら夕食を摂りに出掛け、レヲン独りが看病と監視のために客室に留まったその間。

 レヲンがお手洗いに立った一瞬の隙を衝いてエディの姿は消えていた。

 夕食に立った四人は時間的にまだ戻って来ないだろう――歯噛みしたレヲンは【千尋の兵団】プライドを一部だけ解放し、金色の戦闘人形十体にエディの捜索を指示した。その中には様々な魔術を修得しているクルードの人形もいる。彼を中心に、情報を共有・同期しながら捜索すれば遙かに短い時間で見つかるだろうと思われた。


 だが四人が戻って来ても、エディの姿は一向に見当たらなかった。捜索する人形の数を増やしても。また、四人と共に宵闇の帳降りた街中を訊き回っても。

 半ば変異してしまっているために見つけやすい筈の少年兵の姿を、誰も捉えることが出来ないままだ。


「エディ……」


 時間が過ぎるに連れ、五人の顔色すら悪くなっていく。体調の問題じゃない、精神こころだ。

 彼の身に起きた異変と、彼の身に降りかかった変異。そして失踪した影。

 それらの立て続けの事象が、五人の心に重い暗雲を立ち込めさせているのだ。

 その雲は胸の内で膨れ上がり肺を圧迫する。だから息苦しく、また気管を通って頭蓋の中にも溢れている為、眩暈や耳鳴り、頭痛すら覚え出す始末だ。




 そして当の本人は大聖堂の礼拝堂に並んだ長椅子ベンチに座り、ただぼぅっと神像を仰ぎ見ていた。

 どうして自分がここにいるのか、どうやってここまで来たのかは覚えていないし、エディ自身そもそも気にして等いない。

 ただ、来るべき場所なのだから彼は来たのだ。いや、運ばれて来た、と言った方が正しいのかもしれない。


 腿の上に載った、両手で握る鞘には黒く変色したあの聖剣が納まっている。

 夕食時も過ぎたと言うのに、礼拝堂には祈りを捧げる信者が数多く集まっている。


“解き放て――”


 不意に、エディの頭の内側であの聖女の声が鳴り響いた。


“――命の祈りを!”


 その声に応えるように――ゆらりと立ち上がった少年は、手にした鞘から聖剣を抜き放つ。


「おい、」

「え、何?」

「ちょっと、ここは大聖堂だぞ!?」

「あの人……何かおかしい!?」


 途端に生まれる喧騒と、距離を取り出す人々。

 黒く濁り切った右目が、疼くままにぎょろぎょろと彼らを見回す。


“解き放て、異ノ血いのち異ノ理いのりを解き放て!”


 警鐘の如く響き続ける怨嗟の呪詛は、やがて抜き放った聖剣の柄を握るエディの右手を振り上げさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る