神亡き世界の呱呱の聲⑯

 少女が解体の作業を好む理由は、その作業に没頭していると何時の間にか胸の内に言いようのない多幸感じみた郷愁が溢れるから、だけでは無い。

 手解きした彼女の何処か遠くに想いを馳せるような表情もまた、少女の心をほんわりとさせる要因のひとつだった。


 かつて彼女は、食肉工場にいたことがあったらしい。

 創造主かみさまである筈の彼女の経歴としてはそこはかとなく嘘めいたその昔話は、しかしその細部ディテールに真実味を帯びるものだった。

 それほど詳細なことを彼女は話さなかったのだが、何でも彼女を育ててくれた父親代わりの者は食肉の解体がとても巧かったのだとか。


 彼女はその現場に居合わせることはついぞ無かったのだが、だがその事実は寧ろ彼女がこの世界の創造主かみさまを引き継いだ後で赤い命達が世界にまた溢れてから食肉の解体を覚えるという作業に精を出させた。

 そしてそんな彼女から手解きを受けた少女もまた、その時の彼女の表情を受けて誰よりもそれが好きになった。


 そうして好きになった技術で、好きな相手に、その相手が最も好む料理を拵える――それこそが、少女が最も好きなことだ。


「出来たっ」


 さじで少し掬い、その小さな口に運んでは味を確かめる――上出来だ。この味も、いつもと同じく彼女が好み、顔を綻ばせてくれる味に仕上がっている。

 それを確認した少女は慣れた手つきで皿に料理を盛り付ける。煮込みハンバーグの出来上がりだ。籠にパンを入れ、皿と籠とを跳ねるような足取りで彼女の元に運ぶ姿は、それを見た城勤めの赤い人族ヤマイニアンを笑ませるものだった。


「いただきます」

「はいっ」


 ベッドの上で上体を起こした彼女は、それまでのように変わらず絶やさぬ笑みで少女の料理を頬張り、そして舌鼓を打つ。

 その様子に少女は舞い上がりそうになり、二人の遣り取りを見守る赤い人族ヤマイニアンたちは仲睦まじさと微笑ましさから目を細め、そして口角を上げるのだ。


 そんな日々は、きっとずっと続いていくのだと、どうして誰もが思っていたのだろう――――永遠は存在しても、結局は瓦解をちゃんと内包すると、知っていた筈なのに。




   ◆




 それは空の蒼い日のことだった。


「失礼します」


 いつものようにバルコニーから中庭や王都の様子を眺めている彼女とそれに付き添う少女の元に、一人の役人が報告に来た。

 何でも、郊外に近しい街の一画で、魔獣の襲撃があった、というものだ。


 それ自体は珍しいものでは無い。赤い命達が芽吹いて少し経った頃から、黒い魔獣達がちらほらと現れるようになったのだ。

 赤い命達は種を超えて互いに寛容で、彼女や少女に非常に懐く性質を持っていたが、黒い魔獣たちはそうじゃなかった。

 彼女や少女だけに留まらず、赤い人族ヤマイニアンや赤い命達、そして赤い自然に対しても憎しみを抱いているのか、喰らい、傷つけ、命を奪う行為を繰り返した。


 ただやはり、それ自体は何の珍しい報告でも無い。

 それは度々現れ、人里へと下り、街道で行商を襲い、或いは小さな村の田畑を荒らし、赤い野原を黒い荒野へと変え――――そのうちの幾つかの個体は赤い兵士達に討たれるのだ。


 此度の報告がいつもと違っていたのは、黒い魔獣が出現した郊外の街の外縁で、何処からともなく現れた蒼い人影がその黒い魔獣を討った、というものだった。


「蒼い……?」


 今や世界の殆どの命は赤い色をしている。鮮烈で陰惨な血のような赤色だ。

 あとは夜の闇のような、色濃い影のような黒い魔獣たち。

 唯一、彼女を色で言えば金色であり、少女を色で言えば純白。

 青と言えば空か海か。だから彼女と少女とは顔を見合わせた。しかしその時の彼女の表情は、少女のそれとは異なっていた。

 訝しむ少女に対し、彼女の表情は何かを知っているかのような、そして何かを期待するかのようなものだったのだ。無論、それ自体に不思議を抱いた少女だった。


「その、蒼い人影っていうのは」

「はい、報告によれば、」

「もしかして、刀を持っていた?」

「は、はい……でもどうしてそれを?」


 人影は人間では無く、そして刀を持っていた。

 街に現れ人々を襲った魔獣を討ったのも、その刀による斬閃だった。しかも、人影は距離をまるっきり無視してその黒い魔獣を斬ったのだ。斬った時、魔獣の傍に人影はいなかった。

 一の太刀で胴体に深い切創を刻んだ人影は、何時の間にか魔獣の目の前に現れては、その頭部をこれまた強烈な一閃で以て両断した。だがその後、刀を振り抜いたその格好のままで静止してしまったと言うのだ。


「その人は今?」

「はい、馬車の荷台に乗せ、ここ王城へと向かっています。明日の夕刻には到着する見込みとのことです」


 ぐっと固めた拳は、どんな感情を握り込んだのか――それを知る術は少女には無い。

 ただ何となく。

 ただ何となく、不明瞭で不鮮明な、だけれども確かな不穏を、少女は胸に抱いた。




   ◆




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 ――――ずっと、彼の内側ではそんな音が響いていた。

 それはまるで、刀匠が鋼を鍛える際の鎚の音のように断続的で、だが壊れてしまった彼にはその響きが意味する言葉がずっと判らずに、また解らずに、そして分からずににいた。


 だが暗闇に火花が灯るように、夜の空に花火の上がるように、突如その響きは明確な意味を持った。



 ――天牛、神を斬り殺せ。



 そして目を開いた彼は、灰色の砂嵐でしか無かった視界が色彩のひとつひとつを明瞭に、そして幾つもの弧線で象られた輪郭のひとつひとつを鮮明に捉えている事実に瞬きを繰り返した。


「……おはよう」


 上体を起こし、声のした方へと振り向いた。

 そこには、わきゃわきゃと機械的メカニカルな触手を幾つも伸ばす鈍色の杖を握り佇む――――レヲンがいた。


「……おはよう、ございます」


 それを天が告げ終える前に、彼女は彼に飛び付くように抱き着いた。驚き慌てた天だったが、しかし直ぐにその細い身体を抱き締め、幼子を落ち着かせるように金色の頭を撫でる。


「本当に、本当に――――良かった。あなたが、生きていてくれて」

「それは賤方こなたの言葉です。賤方こなたも、貴方が生きていてくれて、本当に良かった。感謝します、こうしてめぐえた“運命”さだめに」


 その二人の抱擁を、少女は扉の外で覗き見、それを後悔した。

 不安で不安で仕方が無かった。

 一見、仲睦まじい二人の運命的な再開でしか無いその光景が、そんなことなどゆうに超越する禍々しい気配を醸し出していることを幻覚するからだ。


 あの、蒼いヒトガタは危ない――そう、錯覚してしまうからだ。


 そんな少女の胸中を象徴するかのように。

 青い空には黒い雲が立ち込めては覆い、やがて世界を暗色に染め上げる雨がざあざあと降り始めた。

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