神亡き世界の呱呱の聲⑭
歳月は否応なしに経っていく。
相変わらず彼女は少女と共に場内の瓦礫を運び出しては綺麗に片付け、少女もただただそれに倣った。
体裁だけを取り繕った場内が今度は“清掃”という手が加えられ、再び住環境を取り戻す間にあの黒い帯とそれを喰らい押し込める赤い膿は時折湧き出ては二人を驚かせたが、実害らしい実害も無く二人はそれを成し遂げた。
「
当然、少女の口からその疑問は生まれる。
達成感で安堵の溜息を吐いたのも束の間、彼女はその問いに答えるために思考を円転させる必要があった。
「そうね、お城は終わったから今度は――」
今度があるのか、と少女は思った。それは辟易とした嘆息では無く、かと言ってまだ彼女と共に彼女のために尽くせるのだという甘い歓喜でも無い。
ただ、次があるんだな、という確認めいた無味無臭の感想だ。乾燥と言い換えても何ら違和感など無かった。
何しろ城は広大だった。そもそも、城と言う名の複合施設だったからだ。
しかし季節三つだけという期間でやり遂げた二人だ、次に城下の都に繰り出すことに躊躇いは無かった。
季節三つ、とは言っても映る情景に特筆するような変化があるわけでは無い。
曇り空のように薄く濁っている空は相変わらずの灰色で、風は死んだように穏やかだ。
日照りを恨めしく思うことも無ければ雨模様に心を弾ませることも無い。
雪や雷なんてものは記録上の産物で、誰かの空想だと言われても何ら疑問は湧かない。
ああ、本当に世界は死にかけているのだ――と少女は段々と理解した。
「瓦礫はあのままでいいのですか?」
「そうね……」
城の裏手には山がある。その麓に、城から運び込まれた瓦礫は積み上がっていた。
最早乗り越えなければ入山できない程詰まれたそれは小さな山の様相だ。少女の疑問も当然だと言えた。
「お城の設備を復旧できれば解消できると思うのだけど」
「復旧できるのですか?」
「勿論――と言いたいところだけど、設備自体がまだ生きていれば、ね」
ほお、と少女は今度こそ感嘆した。
だから二人の次の行先から城下町という選択肢は
「
「わあ……」
そこで初めて、少女は魔術と言うものをまともに見た。記録にしかない、ともすれば誰かの空想だったとしても何ら疑問の無い項目が、本当に世界に実存したのだと確かめられたことに対する感動に心から震えた。
いや。
再度自らを見詰めれば、本当にそれはただそれだけの感動だったのだろうか。
彼女が行使したその魔術に、少女は自らの胸の内に湧き起こる感情を上手く理解出来ないことに首を傾げそうになった。
「……材料は必要だけど、出力を本来の一割程度に制限すれば取り敢えずは稼働するわ」
「この開口部に瓦礫を入れれば、この機械が処理してくれる」
「処理された瓦礫はどうなるのですか?」
「粉末状に破砕されて、このパイプを通じて次の装置に運ばれるの。次の装置では蓄えられたその粉末を他の材料と混ぜ合わせて再び建材に仕立てる。その建材でこの国の建物は造られているみたい」
「なるほど」
天使として、世界に纏わる記録は記憶として得ていたとしても、その世界に存在する国々の細かな情報は知らない少女は素直に感嘆した。
だがやはり、何処かその情報に対して
彼女は少女に、“火”の足りなさが原因で天使として未熟な状態でしか産めなかった・創れなかったと告げている。
少女の背に生えた、翼の出来損ないの
だからそんな違和感が心で跳ねようと、少女は自分がそんな天使なのだからと意に介さないよう心がけた。
その心がけから出る少女の表情は完璧だ。柔らかく穏やかな笑みは彼女を安堵させ、不安にさせることは無かった。上手くできたその結果に少女は胸の内で小さくガッツポーズを取り、自分を案じてくれる彼女のためにと尚更励むことが出来た。
「街を綺麗にする前に、瓦礫の山を処理しちゃいましょうか」
「
◆
ある時、少女はほんの些細なきっかけで山に入り込んだ。
麓に詰まれた瓦礫はほぼ全て機械に放り込み、枯れて
(
死にかけのこの世界で動くものと言えば、彼女と少女を置いて他には二つしか知らない――あの黒い帯と、それを喰らう赤い膿だ。
これまでに何度もその二つを見て来た。しかし今しがたのあの影は、そのどちらとも違うと思われた。
(……よし)
出来損ないとは言え少女は天使だ。辛うじて“火”を扱うことが出来る。
火球を飛ばしたり熱線を照射することは出来ないが、掌の上で小規模な爆発なら起こせる。大きな瓦礫をあの装置に入る大きさに整形する際にも行使した能力だ。つまり大きな岩を穿って割る程度の威力なら見込める、というわけだ。
意を決して山に足を踏み入れた少女は、涸れた土に枯れた木々しか生えていない死んだ山道の奥の奥で、やがてそれと相対した。
「……犬?」
それは赤い仔犬だった。犬という生物のことなど、記録の中にしか無い、ともすれば誰かの空想に過ぎないものだったかもしれなかったのだが、それを目にした少女はそれがそうじゃなく――ちゃんと、実在するのだと感嘆した。
「くぅーん」
記録によれば、人類に家畜として改良されるまではそれは“狼”と呼ばれ、特にこの地においては山に住まう狼は家畜化された“家犬”と比較して“山犬”と呼ばれていた。
嘘か真かは定かでは無いが、かつて山の向こうからの侵略を彼らが撃退したという逸話がこの地にはあり、そのためこの地では山犬はこの地の守護者だともされている。
「おいで」
だがそんなことはどうでもいい。
それは、とても可愛かった。天使たる自分にそんな感情があったことには驚いたが、その赤い仔犬を見ていると途轍もない巨大な情動が自分の中に湧き上がるのを少女は抑えられなかった。
呼び込み、抱き締めたい。
頭を撫でて、喉を撫でて、背中を撫でて、腹を撫でたい。
可愛がりたい、という想いに駆られていた。そしてそれに応えるように、赤い仔犬は「きゃんっ」と一つ鳴くと、尻尾を揺らしながら少女の元に足を運んだ。
掌から感じる温度は、灯された熾火から発せられる命の温もりと同じだった。
外見は血に塗れたような、或いは柘榴をぶちまけたような陰惨な赤色だったが、それは確かに息衝いている命だった。
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