神亡き世界の呱呱の聲⑬
『――
楽園を守る智天使の剣から放たれた白熱を、誰よりも真っ先にその身に受けたのは冥だった。
死の間際の刹那の体感を何億倍にも引き延ばして得た時間間隔の中で、彼女は判断し、それを実行に移した。
狂い果てた狂人の創り上げた四基目の
その両者ともに、
その魔術は森瀬芽衣を殺害した者を対象とし、“森瀬芽衣が死ぬ”という条件が満たされた際に、森瀬芽衣の意識・意思とは関係無しに自動的に発動する。
1.対象に対し、殺害方法と同じ攻撃によって対象を死に至らしめる。
2.術者である森瀬芽衣の死を対象の死と同期させる。
3.森瀬芽衣の死を対象の死に挿げ替え、森瀬芽衣の死を無かったことにする。
その魔術とは、このような流れで端的な復讐を遂げる。
だが、このような流れを持つからこそ、致命的な欠陥が生じるのだ。
それは、森瀬芽衣の死因が“自殺”だった場合に、“死”の矛先は彼女自身に向かい――だが彼女は既に死んでいるために、3が発生しないまま1だけが繰り返されるのだ。
溢れた“死”はやがて黒い帯となり、無限に増殖を重ねる中でルールを逸脱し、目標を無差別とし始める。
確実に自分を死に至らしめる攻撃を前に飛び出していくのは――なるほど、確かに自殺だったろう。
だからこそ同じ術式を擁する冥から溢れた“死”は攻撃者である神には向かわずに、ただただ溢れ出した。
そして先ずは拡がる熱波を捕まえてそれらを喰らい無へと帰すと、続いて見境なくそこにいた誰しもに降り注いだ。
神は思い知った――――人が抱く憎悪の計り知れなさと、禍々しさを。
自分を殺す、ただそのためだけに。
まさか、世界をすら切り捨てようという愚者がいるとは全く思いも寄らなかった。
だから神は、ただただそれを眺めていることしか出来なかった。
そこにいた
あの金髪の変異者が召喚した金色の
天の“切断”は非常に効果的に“死”を斬り裂いたが。
山犬の増殖する牙もどんどん黒い“死”を飲み込んで
時間の問題でしか無かった。
無限に増殖する“死”を前に、抗おうともそれを打破することは出来ず。
『楽園を閉じろ!』
己の内側で怒号が響いたと同時に、神は呆然とする眼前に舞い上がった死の強襲を、自らが奪い支配した筈の魂が身代わりとなった事実を知った。
あの、金色の髪の少年兵だ。
自分が貫き、そして復讐の駒として利用した、
どうして彼が自分を庇ったのか、神にはよく解らなかった。
自分と彼とそしてこれまでの神々との三つの魂を擁す身体は、あの“死”に飲まれたとしても最も外側――表に出ている魂が喰い潰されるだけでまだ免れる。
そうなれば、支配下にある筈の彼は自由を取り戻せたのだ。それなのに彼は、神を庇った。
瞬間的に魂の力を輝かせ、一時的に支配を奪い返して外へと踏み出たのだ。
結果、今の神の核とも言える聖女の魂は無事だった。それどころか、彼はこれまでの神々の魂をも引き摺り出して囮に仕立て上げた。
目の前で、かつての神々がどんどん死んでいった。
あの少年兵も、最後の響きを残して気が付けば死んでいた。
手を翳した。
自分の内側にある、神々から引き継いだ権能を掌に集束させ、“死”の満ちるこの楽園を閉じようと決意した。
楽園は世界とは別の座標にある――神々が代々受け継いできたもう一つの異世界とも言える。つまりは“固有座標域”だ。
だから楽園と世界との
しかし“死”は未だ眼鼻の先にいる。
濡れた眦の粒すらも、夥しい黒は静かに飲み込んだ。
『
眼下であの金色の髪の娘が何か叫んだが、神にはもう聞こえなかった。
ただ、残った幾分かの神の力が、喰われゆく身体から抜け落ち、彼女の元へと奔っていくのが見えた気がした。
無理やりに神の力を強奪したレヲンは、その力で以て
彼女の他に、誰も間に合うことは出来なかった。
あの黒に
喰らい付く山犬もまた、逆に喰われてその赤い輪郭を飲み込まれた。
天はもはや“退く”を失っており、それ故最後まで“死”を斬り結んでいたがやがて飲み込まれた。
『みんな……死んじゃった……』
楽園は閉ざされた。それで、全てが終わった筈だった。
ここまで来るとその誤算は最早運命とも言えた。
世界に残っていた山犬の
あとはもう、滅びるだけだった。
何者も“死”には抗えない。ただただ黒が蔓延るだけだ。
その後に残るのは無惨な亡骸だけ。
崩壊しては瓦礫となり、積み重なった死屍累々が世界だった。
それでも。
新たな神は、諦めなかった。
何処かに命は残存している筈だと信じ、黒い帯から逃げながらも世界を旅して回った。
自らの手足となる端末である天使を何度も創り、
それでも命は見つからなかった。
天使もその度にひとつまたひとつと消えて行った。
報われることの無い徒労を、何世紀続けただろうか。
もう、彼女に創れる天使はあと一体だけだった。
それも、最も格の低い
それでも覚悟を決めた神は、最後の天使を創り上げた。
独りきりには耐え切れなかった。
せめて最期は、誰かと共にいたかった。
◆
「――じゃあ、
こくりと静かに頷く彼女は、困ったようで悔むような笑みを見せた。
「もうじきなの」
「……そうなんですね」
特に感動は無かった。少女の胸中にあったのは、彼女の死後、誰が新たな神となってこの世界の管理を続けるのだろうという素っ頓狂な疑問だけだった。
天使は神にはなれない。
神になれるのは、人間だけなのだ。
「だから出来れば、私は次の器を探したい。私の代じゃもう世界は復興できないだろうか、その使命を次の器に託して、その時にこのお城を、使って欲しいって思ってる」
「はい……」
荒唐無稽だと、少女の脳はそんな言葉を弾き出した。だがその言葉を声にすることはしなかった。
ただ、役割が欲しかった。自分が創られた意義と命題があれば、天使たる彼女はそれだけで存続することが出来たからだ。
「では、あの黒い煙に注意して、慎重に進めなければなりませんね」
「そうね……」
滅ぼし切った筈なのに、執拗にあの黒い煙は充満する。
だが、それを喰らったあの赤い膿は何なのだろう――考えたところで判る筈も無いと少女は思考を打ち切る。
「そう言えば」
「何?」
代わりに少女の脳裏には失念していた疑問が再浮上した。
だがそれを問い質すこともやめておいた。
「いえ――何でもありません」
もう、少女に役割は与えられていたから――――そう、思っていた。
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