喰み出した野獣、刃乱した除者⑲

 ――何というお笑い種か。


 天牛となった躯体の内側で、天の思考と分かたれた牛の思考が嘲笑う。


 ――貴様の図りに興じてみた結果が此れか。


 天の図りとはつまり、【神斬り武士】カミキリムシへと変貌した天牛の躯体で、牛ではなく天がその制御権を握る、というものだった。

 そして結果とは、その力も技も及ばず、こうして三体の智天使ヒェルヴィムに打ち据えられ衝き穿たれ指一本すら満足に動かせられない程打ちのめされてしまったというものである。


 ――……返す言葉など無い。

 ――やはり貴様に我は荷が重い。……しかしこの状態では我とて何も出来ん。


 天とはその躯体の内側に込められた魂であり、そして牛とは天の振るう刀の内側に込められた魂である。

 両方が揃って漸くの【神斬り武士】カミキリムシ――未だ相容れぬ両者の軋轢こそ、神の群勢に敗した要因だった。

 しかしそれだけではない。

 そしてそのもう一つの要因は、毒であったが薬となった。


 襲撃の際に貫かれた腹部を補修するために施された山犬の機械細胞群ナノマシンはやはり天牛の躯体には馴染まずその動きを大幅に制限した。

 天牛としての本来の出力の八割にも満たなかっただろう。


 しかし山犬の固有座標域ボックスと繋がるそれらは、動力エネルギーを得て増殖を繰り返し、朽ちた天牛の躯体を勝手に修復し始めたのだ。


 王城のエントランスホールは破壊の痕を刻まれても尚頑丈さを保っている。斬られ、裂かれ、割られ、穿たれ、削られても――霊銀ミスリルをふんだんに含む切り石によって建造された壁や天井や床はそれらの機能の一切を失っていない。


 智天使ヒェルヴィムたちはそこにはいない。倒れたその目で仰ぎ見たのは、鐘楼塔へと向かい飛び立って行く背中だ。


 うぞうぞと蛆が蠢く如く、躯体内の破損個所を覆ってはその内に溢れ、埋め尽くしていく何とも言えない感触に苛まれながら天は牛とともに此度の交戦についてを思い返す。




「ソラ、着クゾ」


 紅蓮の蝗の群れとなって天を運ぶ神の蝗軍アクリダエルが羽音で作った音声は耳心地が悪く、障られた天は湛えた笑みを苦めさせた。

 先行する神の雷電ヴロンティエルは稲妻色に全身を輝かせながら音に匹敵する速度で飛行している。時折音速を超えた衝撃波が髪を揺らし、無邪気な子供がはしゃぎ回るようにジグザグと蛇行したりしている。


 神の洪水プリミラエルの姿は当初見えなかったが、フリュドリィス女王国クィーンダム領へと入ったあたりで涼やかに飛沫を上げて舞い上がって来た。

 そのまま三体と一基は王城へと飛翔すると、開け放たれていた城門を潜ってエントランスホールへと辿り着き、その吹き抜けとなった大きな広間に降り立ったーー天が動いたのはその瞬間だった。


「んぉ?」

「ほう」

「ふふ」


 飛び上がっている最中より人造霊脊スピナル・コードを低速円転させていた天は解放と同時にその速度を上げ、降り立ったその瞬間にはもう【神斬り武士】カミキリムシを行使、褪せた珊瑚色フェイデッドコーラルを肌に宿し猛牛の双角を生やした天牛の姿へと変貌していた。

 そして抜き身となったメタリックブルーの刀身を引き延ばして腕が千切れんほどの速度と頻度で無数にも届き得る程の斬撃を放った。

 それは前述の山犬の機械細胞群ナノマシンのために本来の鋭さを多少失ってはいたものの、十分に神の軍勢を屠り得るものの筈だった。


 しかし神の雷電ヴロンティエルは瞬時にその身を雷光と化して斬撃を無効化した。

 同様に、神の蝗軍アクリダエルも全身を紅蝗に変え、そして神の洪水プリミラエルも水の塊となってバラバラになった傍から再び纏まった。


 形を崩すものでしかない一撃は、定形を持たぬ相手には分が悪い。


「――うふ」

「薄ら笑いの気持ち悪い奴ですね」

「何だよ、やりゃあ出来るんじゃねぇか」

「あのエロいお姉ちゃんよりは強いかなぁ?」


 天牛の剣閃は天の状態の時よりも速いが、流石に超えられて音速。とてもじゃないが光の速度を凌駕することは出来ない。

 スティヴァリの集会所屋上での交戦で【神緯】カンヌキを用いて防壁を張れたのはを察知できたからだ。乱戦ともなるとそれも難しくなる。


 劈く光と音に気を取られ、気が付けば足元は水に捉われ、ちくちくと蝗の群れに蹂躙され――最終的には神の雷電ヴロンティエルが山犬を貫いたあの一撃を、天牛もまたその腹部に受けざるを得ない形で戦闘が終わった。


「うーん、何だろう……こう――役不足ってやつ?」

「それはどっちだ? オレたちか? ソイツか?」

「カレの場合は誤用ですね。ワタシたちに使うならいいんですが」


 そうして三体は和気藹々わきあいあいと言葉を交わしながら鐘楼塔の方へと飛び立っていった。

 その様子を仰ぎ見ていた天と牛は、壊れて動かない躯体の中で問答を繰り返す。


 この場所へと降り立つまでに苦心して牛を説得し、天牛としての躯体の制御権を譲ってもらったのにも関わらず、このような結果をしか生み出せなかった天を牛は大いに嘲笑った。


 返す言葉は無い。

 言い訳をするつもりは毛頭無い。

 それでも悔しさが無いと言えば嘘になった。

 それでも虚しさが無いと言えば嘘になった。


 格上と言わざるを得ない相手、数の不利。それでも独りで戦った。

 それは、独りで勝ちたかったからだ。

 山犬にも調査団にも沈む人族フィーディアンの戦士たちにも、とにかく誰にも頼らず勝利と言う名の美酒を独占したかった。


 無様だ。

 滑稽だ。

 愚鈍だ。


 ――だから貴様には荷が重いと言うのだ。……まぁいい。どうせ奴らには我らをどうにかしたいという欲求は無い。あの山犬とやらが到着するのを待ち侘びる他ない。それまで暫く、次の交戦に備えろ。

 ――煩い。言われなくてもそうしますよ。



 うぞうぞと蠢き増殖を繰り返す山犬の機械細胞ナノマシンはむず痒く、疼痛を感じない筈の機械の躯体には非情に心地悪いものだった。



   ◆



「サテト。ンデ? 連レテ来テかラハどウスるンだッたか?」


 鐘楼塔の頂点に開いた“神の門”バビリムの傍らで紅蝗の群れから天使の形へと移り変わりながら発した神の蝗軍アクダリエルの問いに、苦笑し肩を竦めながら神の洪水プリミラエルが答える。


「どうもこうも無いですよ。ワタシたちはただ連れてくるだけ、おびき寄せるだけ――その後のことは知りません」

「そうなのか?」

神の洪水プリミラエルが知らないって言ってるんだから、ボクに訊いてもしょうがないでしょ? それとも、神の洪水プリミラエルが知らなくてボクが知ってるとか思ってる?」


 間の抜けた回答に納得した神の蝗軍アクリダエルは「確かに」と腕を組んで首肯を繰り返した。


「ワタシの目算では、彼ら“神殺し”の不届き者たちがこの王城に辿り着くのは早くてもあと二日はかかります。それまではゆっくりのんびりするのがいいと思うのですが」

「さんせーさんせー!」

「そうだな、何せ産み落とされてからずっと働き詰めだったもんなぁ」


 わざとらしく首を傾げて肩をゴキゴキと鳴らす神の蝗軍アクリダエル。無論その音は蝗の羽音を重ねて作ったものであり、彼の頸椎周りの関節が奏でるものでは無い。


「何言ってんだか。ボクたち、生まれてからまだ三日も経ってないじゃん」

「ふふ、そうですよ神の蝗軍アクリダエル

「いやぁさ、一度言ってみたかったんだよな」

「えー、それ人間の真似ってやつ? だっさぁ!」

「やっぱそう思うか? ははは!」

「ふふふ……さて。これから忙しくなりますよ? のんびりまったり、新たなる“粛聖”ジハドの再臨を待ちましょう」


 極彩色の渦を覗かせる“神の門”バビリムを前に笑い合う三体の天使。

 そして彼らは笑いあったまま、異なる座標へと空間を繋ぐその裂け目へと消えて行った。

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