死屍を抱いて獅子となる⑤
だからノヱルは、自分に群がってくる孤児たちに上手く返すことが出来ないでいた。
その様子は感情表現の不器用な、しかし根が善人の好青年に映っただろう。事実彼の中に悪感情は無いと言えた。それは山犬も、天も同じだった。
当然だ、
それが覆ったのが、
その時、天は街の中にいた。買い物帰りだったのだ。
空が燃えるような赤色に染まったかと思うと、王城の頂点――鐘楼塔の天辺に開いた
空から降り注ぐ炎に焼かれ。
嬉々として凶刃を振るう天使たちに斬られ。
巨大な拳でぺちゃんこに潰され。
収束した熱線に穿たれ。
そんな地獄絵図に踵を返し、天は
「やめなさいっ!」
山犬は孤児院の中にいた。彼女はあまり建物の外に出たことは無い。だからその時も、外に出ずに院の中に身を潜めることが最も安全な策だと考えた。
「××姉ちゃん、怖いよう」
「大丈夫、×××君もすぐに戻ってくるし、森には×××君もいるから」
かつての“
「……何だ、あれは」
鈍色に塗れた森の中、異変に気付いたノヱルは今しがた仕留めた鹿を放り出し、一目散に孤児院の方へと駆け出した。
躯体が持つ
「×××! 手を貸せ! 加勢しろ!」
天――いや、×××が叫んでいる。腰の鞘から抜き放った白刃を翻し、空から急降下してきた
「……言われなくても!」
×××は猟銃を構え、
「くそぉぉぉおおおお!」
青髪の×××が火に包まれながら剣閃を放つ。薙がれた一閃は
「うおおおおおおおお!」
×××は腰に帯びていた二つの
しかし天獣はまだ尽きないし、上空には天使すら控えている。
燃える建物の窓から火だるまになった××が飛び出し、地面に転がりながら盛大に割れ散らばった
××に、抗戦する機能などは備わっていない。
何故なら彼女は戦闘仕様じゃ無いからだ。それでも、常人よりは出力が高く、常人よりは頑丈だ。呼吸で酸素を取り込む必要も無いため、火に包まれていようとその点においては問題なく動くことも出来る。
だから彼女は拳を固めて戦った。天獣の墜落に似た強襲をその小さな身体で受け止め、抱き着き、固めた拳で頭を何度も打った。
しかし相手は神の創りし獣。そんなものが致命傷になるわけでも無く――がぱりと大きく開いた口でその滑らかな皮膚に歯を立てようと、表皮を抉りこそすれ、硬い骨に致命は阻まれる。
彼らは、×××と××と×××とは善戦した。奮闘した。もしもそれが娯楽映画だったなら観客たちは涙を流しただろう。
しかし彼らは何よりも大切だと刷り込まれた孤児たちを守ることが出来ず、喪うことしか出来ず、奪われることしか出来なかった。
一矢すら報いることが出来ずに、ただただ自らの命すら奪われたのだ。
その、絶命の瞬間だった――――彼らに、真の意味で“感情”が宿ったのは。
◆
「やはり神は、殺すべきだった」
深紅の血涙を流した狂人が狂人へとなり、そして彼らの躯体を
狂人は彼らに生まれた感情を依り代に、三体の
ひとつ――傲慢と虚飾と強欲とを統べ、そして象徴する、“悪意”という名の悪魔。
ひとつ――憤怒と暴食と邪淫とを統べ、そして象徴する、“獣性”という名の悪魔。
ひとつ――怠惰と憂鬱と嫉妬とを統べ、そして象徴する、“放縦”という名の悪魔。
悪魔には、悪魔として生まれた
狂人が召喚した三体は前者に近かったが、どちらかと言えば概念に近しい
しかしその全体を召喚できたわけではない、ただの切れ端。
それらを三体に生まれた感情に紐付けては根幹とし、天牛・山犬・ノヱルという三体の自我が構築された。
彼らは根本的に元々の彼らとは違う。
その自我の殆どは、紐付けられた悪魔の性質を色濃く現している。
だがその深淵に元々の彼らが抱いた感情を秘めているのは事実だ。
それらの感情の名を、彼ら三体は知らない。一様に、知るべきではないと考えているからだ。いや、本能的に閉ざしていると言ってよい。その蓋を開けてしまうと、大本に飲み込まれてしまうのではという忌避感が強かったのだ。
しかしノヱルだけは、幾度となく自らの深淵を覗き込み、逆に覗き返してくるその感情と対峙した。相変わらずその感情の名は知らない、知り様もないほど複雑に絡まった雁字搦め――それでもその感情が見せてくれる、あの十人の孤児たちの記録には何度も目を通した。
ノヱルの根幹を象る悪魔が統べるうち“憂鬱”の感情は、何度でもその記録を見よとノヱルを唆すのだ。
だからノヱルは何度だってあの孤児たちの記録を眺めた。元々ノヱルだった彼が愛され、そして愛した十人の孤児――
そしてその記録は、ノヱルが蓋開く度に夢として、彼が自らの術式の一部を贈与したシシに訪れた。
シシは最初、その夢が何を明示・暗示するものかよく分かってはいなかったが、段々と繰り返し見るうちに、それがノヱルの過去だと気付いた。登場人物達の顔立ちが、見れば見るほど鮮明に認識できていったのだ。
そして、
シシは、ノヱルが繰り返しあの記録を眺め続けている理由を知った。
決して得られない、もう二度と取り戻せない幸福に――彼は、“嫉妬”しているのだ、と。
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