死屍を抱いて獅子となる④

 ノヱルとシシとがこの街に来て、三週間が経過した。

 天と山犬とが、エディたち【禁書】アポクリファ構成員メンバーとともにスティヴァリへと発ってからだと一週間が経過した。


 その頃になるとシシの体つきもだんだんと変わってきており、まだ線は細いままだったが確実に糧が血肉となり、薄っすらとその肢体は筋張っていった。

 筋量が増えると、動きも勿論見違えてくる。

 徒手空拳による格闘術は、無手のノヱルにならば拮抗するようになっていた。


「ぐぅっ!」


 今日もまた、日課となったノヱルとの手合わせだ。開幕早々に鋭い疾駆で懐へと潜り込み繰り出す跳び膝蹴りが防御ガードした腕ごとノヱルの躯体を強かに打ち付ける。


「ちぃっ――」


 溜らず後退したノヱル――彼は困るととにかく一旦距離を取ろうとする嫌いがある。その癖を、もう百にも届きそうな程繰り返した手合わせで感じ取っていたシシはそれを許さないと言わんばかりに前進する。


 もはやそれは考えての行動ではなく、脊髄反射だ。

 相手が接近距離を嫌がっているのだから、単純にそれを押し付ける。


「しっ!」

「――たぁっ!」


 繰り出された右のショートフックに潜り込み、地に両手を付きながら浮かせた身体で放った回し蹴りがノヱルの頭を弾いた。

 揺れる視界が、ノヱルは倒れ込んだ躯体を転がすことで距離を取ることと起き上がることの両方を為す――しかし見開いた双眸は、すでに眼前に迫っている右拳を捉えている。


「せぁっ!」

「っそ!」


 伸びる右腕を下から払い上げて逸らし、空いた右脇腹を左脚で蹴り上げる。くの字に折れたシシは真横に吹き飛び、しかし倒れるとすぐに起き上がった。


「やめだ」

「まだっ」

「やめだっつってんだろ」

「……分かった」


 意味はまだ解りきっていない。しかしシシは、エーデルに教えられた通りに出来るものから一つずつ、執着を棄てようとしていた。思考を放棄し感じたまま・本能のままにとにかく攻撃を繰り出していたのがその証左だ。




「午後はアタイと手合わせするかい?」


 昼食のテーブル、隣に座るのはいつもエーデルだ。


「本当? 木剣?」

「そうさねぇ、それがいいかねぇ」


 実際、エーデルはノヱルに頼み込まれていたのだ。引き攣るような辟易とした顔で「あのお転婆をどうにかしてくれ」と。「これじゃ自分の改造もままならない」と。


 エーデルは自分のことを過大にも過少にも評価しない。だがそれでも、自分の交戦能力がここの【禁書】アポクリファでは上から数えた方が断然に早いということは知っている。

 そして、神殺しの中では最弱だと宣うノヱルも、それでいて自分とそう変わらない力を有しているということもまた、彼女が知っている情報だ。


 だからエーデルはノヱルに気を許している節があった。単純に、隣で肩を並べて戦ったなら面白そうだなぁ、くらいの感情でしか無かったが。しかしそれ故に、そんな機械人形ヒトガタの頼みを無碍にする甲斐性の無さは持ち合わせていなかった。




 覗く窓の風景はやはり雨色だ。

 イェセロの雨季は長く、そしてそれが終わっても雨が降らないわけでは無かった。

 吹き込む風はどこかスンとした匂いで、湖の畔にある造船場跡の拠点アジトには仄かに潮の香りが満ちる。


 トレイの上に並んだ食事も潮の香りに相応しいものだった。

 バターソースのかかった魚のムニエルと海藻のスープ、そしてパンだ。シシは常人の倍は食べるよう癖付けており、手と口とを忙しなく動かしながら、それを微笑んで見守るエーデルと今日も“強くなる方法”について議論を交わした。



「いいかい、振る力には“遠心力”と“求心力”の違いがある。前者ならコンパクトな動きからダイナミックな動きになっていかなきゃいけないし、後者ならその逆さね」


 本来、天から習う筈だった剣術はエーデルがその指南役となった。天自身が自らは教える立場にないと一掃したことも原因だが、寧ろシシの扱う銃剣バィヨネットは天の扱うような“東流”の剣捌きではなくエーデルの扱うような“西流”の剣捌きが必要だった。


「そう――今の放り投げるような感覚を身体で覚えな。勿論コンパクトからダイナミックに向かう“遠心力”と、ダイナミックからコンパクトに移る“求心力”じゃ打点ヒットポイントも違うからねぃ」

「……はいっ!」


 シシは自らが扱う木剣を徐々に重く、大きいものにしていった。やがて木製のものでは無く全てが金属で拵えられた模造剣を鍛錬の道具として選ぶと、ずしりと重いその模造剣で素振りを行った。

 腕のみで扱える木剣よりも、金属の詰まった重い模造剣の方が、全身を使って振るという行為の実感が沸くのだ。なまじ足りない筋力の問題は、逆に身体全体を使って剣速と威力・精度を補う身体感覚をシシに齎した。


「足のつま先は減速ブレーキのために使うんだ! 親指にぐっと力を込めて地面を掴むんだよ! いいかい、ってのは急発進と急停止のことを言うのさ。筋肉の状態で言ったら緊張と弛緩だよ!」

「……はいっ!」


 いくら雨に打たれても身体が全然冷えないほど、シシは全身全霊を鍛錬に注ぎ込み、膨大な熱を放ちながら動き回った。

 いつだって喉は渇いていて、そして強さに飢えていた。


 執着を棄てる、ということは全然出来ないシシだったが、それでもエーデルのような強さには徐々に徐々に近づいていた。

 もはや徒手空拳の格闘技術は無手のノヱルと同等であり、互いに【銃の見做し児】ガンパーツ・チルドレンを用いての――ノヱルは発砲こそしなかったが――交戦訓練も、ノヱルに多少の手傷を加えることが出来るようになっていった。


 ノヱルは初め、エーデルのことを『豪快で大雑把な性格』だと認識していた。しかしここ最近のシシの伸びっぷりは、明らかにエーデルが彼女の指南を請け負ってからのものだ。

 そして実際にその訓練風景を目の当たりにし、ノヱルはそれまでの自分の認識を即座に訂正した。


 豪快、という部分は変わらない。しかしそれは、豪胆あるいは大胆と言い換えた方が確かだった。

 大雑把、という部分も変わらない。しかしそれは、緻密に組み立てる繊細を捨て去っていたわけでは無かった。その集中力・注力を向けるべき相手・事柄には、彼女は精密機械にでもなったかのように精度を高める。シシへの助言そして手解きは正にその通りだった。


 ノヱルは“教える”ということをよくは知らない。何故なら彼には必要ないからであり――例えば彼が家庭教師などの職に就くための人型自律代働躯体ヒトガタだったのなら、彼には教育のための特殊機能アプリケーションが備わっていただろう。


 しかしノヱルはあくまで“狩人型”ハンタータイプであり、担っていた仕事は野生動物の狩猟、並びに森林環境の保護だ。それには狩りすぎて生態系を壊さないよう、潰えてしまいそうな種を保護したり、といった業務も含まれる。無論、木が地面から突き出た鉱脈で構成される“不蝕鋼の森”ステンレス・フォレストではそのような事態に立ち会ったことは無かったが。


 山犬と天はその点においてはノヱルと異なる。

 山犬はそもそもが“孤児院の経営”と“保育”を兼ね備えたタイプであり、本の読み聞かせや簡単な教育を行うための特殊機能アプリケーションを有していた。

 天は孤児院を護る“用心棒型”バウンサータイプではあったが、有事でない限りは山犬をサポートするために子供をたちをあやしたり、面倒を見る役割を持っていた。山犬ほどではないが、有用となる特殊機能アプリケーションを備えていた。


 ノヱルの職場とは森だ。そして彼らヒトガタは、基本的に家に帰るという行為を必要としない。補給と休眠が要らないからだ。

 だからノヱルが孤児院に戻る時は獲物を仕留めた時であり、それ以外はずっと森の中にいた。


 風が針金のように細い枝を震わせる、奇妙な共鳴音を聞き流しながら、その奥に動物たちの息遣いを探り当て、逆に自らの呼吸――霊銀ミスリルの吸排気音を顰め、気配を断って機を伺う、そんな営みを繰り返していた。


 もはや、本来は会話コミュニケーションすら要らなかった。それなのに子供たちは、時折現れるこのぶっきらぼうな青年を心から好んでいた。

 出来もしないのに絵本を読めとせがまれたり、遊べ構えと凄まれたり、時には狩りの様子を見たいと駄々を捏ねられたりした。


 戸惑うことは多く、またそのせいで本来の業務に支障が出ることは多々あった。

 それでも何故か、ノヱルはそのことを悪くは思えず、嫌な顔をしながらも渋々付き合い、付き合わせた。

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