第7話:神原陽葵のお料理教室(前編)
「……なにやってるんだ」
帰ってきて早々、陽葵は買ってきたものを自分の部屋に持っていったかと思うと、今度は要の部屋に何かをせっせこ運んでいる。
「ご飯を作るための材料と食器を運んでるんです! 私の部屋で作ってから持ってきてもよかったんですけど、ちょっと重いので榎本さんの部屋で作らせていただけると非常に助かるのですが……」
「ああ、そういうことか。 それならうちのやつ使ってくれ。特に汚れてたりはしていないはずだ」
「おお! その辺はちゃんとしてるんですね!」
「この鍋なんて一回も使ってないからな」
「…………」
収納された鍋を指さし少しばかり自慢げに言うと、陽葵はかなり微妙な顔を作る。
「じゃあ早速作りますね! あっ、一応ですけどアレルギーとかありますか?」
「茄子が嫌いだ」
「好き嫌いじゃないですか!」
陽葵はこちらの発言に見事なツッコミをいれてきた。要は別にボケたつもりなどないし、茄子があまり好きじゃないのも本当なのだが。
「アレルギーはしょうがないですが、高校生なんですから好き嫌いはなくしてください」
「そんなこと言われてもなぁ……」
陽葵はこんなやり取りをしながらも、手馴れた様子で長い栗色の髪をひと束にをまとめている。
「ちなみに何を作るつもりなんだ?」
「カレーライスです! 急いで作るので、榎本さんは休んでてください! 量が増えても、手間はそんなに変わらないので!」
「いや、手伝うけど」
「いえいえ、とんでもない! 私が作るって言ったのに、榎本さんに面倒をかけるわけには……」
陽葵はそう言っているが、要は譲らない。女の子に働かせておいて、自分だけ休んでいるのは、さすがに気が引ける。
「手間が変わらないとは言っても、一人より二人でやった方が楽だし、早く終わるだろ」
「でも……」
「いいから。とは言っても、俺作り方とか分からないから、適宜指示はくれよ」
「うぅ……そういうことなら……」
しぶしぶといった様子で、陽葵は了承した。
「さて、俺は最初に何をすればいいんだ?」
「とりあえず、材料の皮をむきましょうか。私はじゃがいもを担当するので、榎本さんは玉ねぎとにんじんの皮をむいてください。……ちなみに包丁って使えますよね?」
「言っただろ、料理はできるけど面倒だからしていないだけだって。久しぶりだからちょっと危ないかもしれんが、まあ大丈夫だろ」
「それなら、皮むきが早めに終わったら、にんじんを乱切りにしておいてください。私もじゃがいもと玉ねぎを切っておくので、材料がそろったら炒めましょう」
「乱切りってどんな切り方だ?」
「……やっぱりにんじんをいちょう切りにしてください」
「了解」
「いちょう切りは分かるんですね」と呆れたようにこぼした陽葵は、いつの間にやったのか、茎から下と首部を切ってある玉ねぎ一玉を要に渡した。
(こんなことするのは……もう半年ぶりくらいか)
一人暮らしをする前は母親に料理を教えこまれたので、この手のこともやっていた。一応要は、母親にいくつかの料理の手順を教えてもらったはずなのだが、しばらくしないうちに忘れてしまった。
陽葵の方はさすがと言うべきか、毎日自炊しているだけあって、テキパキと自分の役割をこなしながらも、時折こちらを心配する余裕さえ見せている。
「神原って毎日自炊しているんだよな?」
「そうですよ!」
「面倒だなとか思うこととかないのか?」
「思うことはありますけど、まあ半年もすれば慣れましたね」
「なんか食べたいと思うことは? 出前とか、冷凍食品とか……」
「冷凍食品は確かにお手軽ですけど、自分で作った方が安上がりですから。出前もそこそこお金かかるので食べたことないんですよね。……榎本さん、ここ皮が残ってますよ」
「まじか、すまん」
陽葵は話をしながらも、要が渡したにんじんの点検をしていたようだ。やり直しを言い渡され、再びピーラーを手に取る。
というか出前を食べたことがないとは、ひょっとすると陽葵はどこかのお嬢様なのではなかろうか。本人は金銭を理由にしていたが、一人暮らしということは、実家からこのアパートに越してきたのだろう。一度くらい食べてもおかしくないと思うのだが……
「おまえって仕送り余ってるとか言ってる割に、すごい節約してるよな」
「そうですか? まあ無駄がないのは悪いことではないですから! それに今からこんな習慣をつけておけば、もしかしたら将来役に立つかもしれません!」
陽葵は要がむいたじゃがいもを乱切り――これが乱切りなのか要にはは分からないが――にし、並行してフライパンにサラダ油をひき、中火で加熱している。
「これで材料の準備ができたので、次はお肉と野菜を炒めます。最初にお肉を炒めて、焦げ目がついてきたらにんじん、玉ねぎ、じゃがいもの順に入れていきます。榎本さん、なんでこんな順番かわかりますか?」
「……火の通りにくいものから入れるからだろ」
「おお! 正解です!」
陽葵は拍手までして、大袈裟に要を褒めている。もしかしてちょっと包丁やらが使えるだけで、料理はあまりできないと思われているのだろうか……
「ハイタッチでもしましょうか?」
「しない。ていうか大袈裟だ」
要をからかって楽しいのか、フライパンに加工した材料を加えている陽葵の顔には笑みが浮かんでいる。
「あっ、榎本さん、その指……!」
陽葵の驚いたように見開かれた目は、俺の左手にむけられていた。視線を辿ってみると、要の親指の切り傷から微量に出血している。
「ああ、これならさっきにんじんを切ってるときに、包丁使うの久しぶりだったからか、勢い余ってちょっとな。あ、血が混入してないのは確認済みだ」
「そうじゃなくて、ちゃんと処置をしないと!」
陽葵は困ったように眉尻を下げている。しかしこの程度の傷なら、数日で治るだろう。
「このくらいなら大丈夫だ。何もしなくても治るだろ」
「だめです! 傷から菌が入ったら膿ができるかもしれないんですよ! ほら、指出してください!」
そう言うと陽葵は、要の左手を強引に自分の前まで持っていった。着ているエプロンのポケットから絆創膏を取り出し、包装を剥がしていく。
「……ぷっ」
「な、なんで笑うんですか」
「いや母親みたいだなって思って」
去年、二学期に入った頃だろうか。一人暮らしをすると決め、母親に料理を教わり始めたときも、要はよく怪我をしたものだ。
包丁で自分の指を刻む度、母親も絆創膏を貼ってきた。中学の卒業が近づくにつれてミスの回数も減っていったので、こうされるのは久しぶりだったのだ。
「もう……はい、これで大丈夫ですよ」
「ああ……ありがとう。」
陽葵は要の親指に手早く絆創膏を巻くと、再び肉と野菜を炒める作業に戻っていった。
「次からは気をつけてくださいよ? 絆創膏とかがあっても、怪我をしないに越したことはないんですからね」
「……善処する」
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