第16話:応援
いよいよやってきた陸上競技大会当日。要は日を遮るテントのもとで、ぼーっとしていた。
今日の大会は近場の競技場を貸し切って行われる。いつもの学校とは違う環境に、はしゃいでいる者も多い。しかし、いつぞやの体育のときより最高気温が高いため、こまめな水分補給が呼びかけられている。
もう夏本番も近いということで、日向はもちろん、日陰も蒸し暑い。タータンのゴムからは
「なぁ要、もう組み分け見たか?」
「まだだ。ていうかくっつくな、暑い」
要は自分に回された響の腕を払った。その手には、組み分けが書かれた冊子が握られている。
「組が八個あるんだけどな――」
聞いたことをまとめるとこうだ。
まず組が八つあり、各組の一位が予選を通過しできる。要と響は別の組に振り分けられているので、二人とも一位をとれば、決勝で戦えるな、とのこと。
「どっちも一位通過なんて、結構無理があるだろ。特に俺」
「そんなことないって! 要はこの一週間で見違えたじゃないか」
「それでも」と続けようとした要を制し、響は言う。
「とにかくだ。決勝で会おうぜ、親友」
「…………」
要がジト目を向けていると、響は他のところに行ってしまった。
要は響から押しつけられた冊子をテント内に置いた。リュックサックを漁り、日焼け止めの容器を取り出す。
ふと、先週末に走り方を自分に教えてくれた少女のことを思い出した。彼女は要のフォームなどを
「そういえば、あいつは何の競技にでるんだっけか」
ひとりでに、そんな言葉が口からもれた。
この前練習に付き合ってもらった時に聞いたのは、確か百メートルだった。「長い距離はあんまり好きじゃないです」と言っていたのを思い出す。
「今思ったら俺って、あいつのこと何も知らないな……」
晩ご飯を初めて作ってもらってから、もう一ヶ月が経とうとしている。その間色々なことがあったが、陽葵のことを知る機会は少なかった。知っていることといえばせいぜい、料理が非常に上手いということと、ホラーが苦手だということくらいだ。
日焼け止めを塗る手を止め、要は容器をしまった。ひんやりとした清涼感が体を覆う。
スマホの画面に表示されている時刻は十時二十五分。男子百メートルは十一時十五分開始なので、まだまだ時間は余っている。
液晶から目を外そうとすると、不意にスマホが震えた。Leneの通知がきたようだ。送り主は――
「暑いですね……」
だんだん強くなる日差しを受け、神原陽葵はそう
時刻は午前十時十四分。開会式が九時ちょっとだったので、こうしているうちに、もう一時間も経ったことになる。
陽葵が出場する女子百メートルは十一時三十分からだ。当面こうしている予定である。
(榎本さん、何してるかな……)
陽葵はとある少年に想いを馳せた。先週末に走り方を教えた彼は、走る度に陽葵が指摘した点を修正して、終わる頃には別物のようによくなっていた。
(あの時、カップルに見えたのかな......?)
特に覚えているのは、あの日のお昼のこと。サッカーをして遊んでいた子供のひとりの発言だ。
「ねーね。お兄ちゃんとお姉ちゃんって、カップルなの?」
今でもあれを思い出すと、自然に口元がにやけてしまう。陽葵は自分がひとりで笑みを浮かべていることにハっとすると、慌てて平静を装った。幸い、誰にも見られていないようだ。
(メッセージ……送ってもいいかな?)
Leneを開き、榎本要の連絡先を探す。陽葵が登録している連絡先はあまり多くないので、程なく見つかった。
《今、お暇ですか?》
親指に勇気を込めて送信ボタンを押す。待つこと数秒、要からの返事が返ってきた。
《暇といえば暇だが……写真以外でスマホを使うのはだめって言われただろ?》
《榎本さんも使ってるじゃないですか》
《おまえからメッセージが送られてきたからだ》
要の口調は、いつも通り素っ気ない。文面でも、それは変わらないようだ。
《もしよければ、ちょっとだけ会いませんか? わたしも暇で暇で……》
《了解。どこに行けばいい?》
要からの返信を見て、陽葵は小さく拳を握った。はやる気持ちを抑え、丁寧に文字を打ち込んでいく。
《ここわかります? さっきブラブラしてたら見つけたんですけど……》
先ほど撮った一枚の写真を添付して、メッセージを送信する。場所の詳細を伝えると、理解してくれたようだ。
《今から向かう》
《はい! 待ってます!》
陽葵は嬉々とした様子でスマホをしまうと、水分の入ったボトルを持ち、待ち合わせ場所へと駆け出した。
「あっ、榎本さん! こんにちは!」
要が指定された場所へ行くと、既に陽葵はそこにいた。満面の笑みを、こちらに向けてくる。
「どうしたんだ。急に会おうなんて」
「えっと……それはですね……」
陽葵は意を決したような
「こっこれ、どうぞ!」
細やかな指に握られているそれは、よく見る無地のボトルだ。振ったときの音からして、中身は液体だろう。
「えっと……これは?」
「中身はスポーツドリンクです! 今日はすごく暑くなると聞いていたので、家で作ってきたんですけど……」
「……スポーツドリンクって、作れるんだな」
要は感嘆の声をあげると、おずおずと小ぶりな水筒を受け取る。
「ていうか、こんな物もらっていいのか?」
「もちろんですよ!」
なんだか申し訳なく思っていると、「そういえば」とこぼし、ポケットを漁る。
「じゃあ代わりに、これやるよ」
要はここに来る前にポケットに入れた塩分補給用のタブレットを三つ取り出し、陽葵に握らせる。
「いいんですか?」
「いいさ。こんな大層なもの貰ったんだから、気にすんな」
受け取った水筒を指でコツンと叩き、肩をすくめてみせる。陽葵は「そういうことなら」と納得し、笑みを浮かべている。
「それじゃあ、お時間ありがとうございました! 百メートル、頑張ってくださいね!」
「神原もな」
「はい!」
「応援、お願いしますね!」と言い残すと、彼女はテントの方に去っていった。
「……おいしい」
陽葵テントに戻った後、要から貰ったタブレットを口に入れ、少しだけ酸っぱい味を堪能するのだった。
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