第15話:スパルタ? 指導

「それじゃあ、ビシバシいきますからね!」


翌日。要と陽葵は近所の河川敷に来ていた。理由はもちろん、陸上競技を習うためだ。

天候は雲ひとつない晴れ。猛暑だった昨日とは違い、肌を撫でる風は涼しく心地よい。


休日ということもあってか、多くの人がいる。子連れの親子やペットの散歩をしている人など、様々だ。

要は傍らに立つ陽葵に向かって、口を開く。


「なあ、神原」

「あ、今日はわたしが教えるんですからね! 上官とお呼びください!」

要は何をふざけたことをと思い、陽葵の発言をスルーすることにした。


「神原」

「上官とお呼びください!!」

「神原」

「上官とお呼びください!!!」

「……上官」

「はい! なんでしょうか!」


要がしぶしぶといった感じで上官と呼んでやると、陽葵は胸を張った。こちらの目を見て、次の発言を楽しみにしているようだ。


「今日は何から始めるんだ?」

「もちろんウォームアップからです! ここをおこたると怪我しちゃいますからね」

「了解」


今日の陽葵は、動きやすそうなスポーツウェアに身を包み、髪をひとつにまとめている。ランニングシューズのつま先で地面をトントンと蹴り、サイズの確認をしているようだ。


「じゃあ、ゆっくり走ってみましょうか。わたしが先導するので、ついてきてください」

「わかった」


そう言うと陽葵は体の向きを変え、アスファルトの上を緩やかに走りだす。要も地面の感触を確かめると、その後を追う。


「えのもとさ〜ん! 大丈夫ですかー?」

「……静かに走れ」

陽葵は定期的に要の方を見ては、ついてきているかを確認している。余計なお世話だと言わんばかりに、要は冷めた目で見返した。



しばらく走ると陽葵は足を止め、こちらを振り返った。少し上気した顔には笑みが浮かんでいる。


「次は準備体操です! 学校の体育のものに加えて、わたしが普段やっているものもやります!」

「そのあとは?」

「榎本さんはフォームが悪いらしいので、とりあえず走るところを見せてもらいます!」


柔軟をしながら、陽葵は元気よく答えた。見れば、地面に体がぺたりとくっつくほど、彼女は体が柔らかいようだ。


陽葵指導の入念なストレッチのあと、言っていた通りにトライアルを始めた。初めは、陽葵がお手本を見せてくれるらしい。


「初めはわたしがお手本を見せるので、ちゃんと見ていてくださいね!」

「お手本って……自分の走り方が至高みたいなこと言うんだな?」

「任せてください! 走り方には、結構自信があるので!」



陽葵は二、三度その場で大きくジャンプしてから、クラウチングスタートの体制をとった。息を大きく吸って、走りだす。


「どうでした? 何か掴めましたか?」

七十メートルほどの距離を駆けた陽葵は、ジョグをしながら戻ってきた。腰に手を当て、息を整えているようだ。


陽葵の走り方は確かに綺麗だった。中学のときに部活でもやっていたのだろうか、と思うほどである。

しかし、要の素人目には、どこをどう見ればいいのかがわからない。


「あんまりわからなかった」

「まあこういうのは実践あるのみですかね? やってみましょう!」


それからは本格的に、陽葵の指導が始まった。本人はスパルタと言っていたが、全然そんなことはない。


基本的には要が走るところを見せ、陽葵に気になった点や悪い点を指摘してもらった。彼女の分析は意外にも的確で、小一時間のうちに、要の走りは見違えていった。要も要で、ひとつずつ自分の足りないところが埋められていく度、背が伸びたような感じがして楽しくなっていた。


太陽が要たちの真上まで来た頃、ふと陽葵が口を開いた。


「榎本さん、そろそろお昼にしませんか?」

「ああ、もうそんな時間か。そうするか」

要が自分のカバンから持参した食べ物を取り出そうとすると、おずおずと陽葵がこぼす。


「あの……お弁当とか持ってきてますか?」

「まあ、一応? といってもゼリー飲料しかないが」

ゼリー飲料を目の前で振ってみせると、「それなら!」と、陽葵は自分のリュックサックを漁り始めた。取り出した手には、大きめのバスケットが握られている。


「お弁当作ってきたんですけど、もしよければ食べませんか……?」

陽葵はおずおずとこぼした。

「いいのか?」

「もちろんです! 多めに作ったので!」


「そういうことなら」と、要はゼリー飲料をしまった。手頃なベンチを見つけたので、陽葵と一緒に腰掛ける。


バスケットの中身は、陽葵お手製のサンドイッチだった。卵やレタスなど、色とりどりの具材が目を引く。


持参したおしぼりで手を拭くと、まずはレタスとハムが挟んであるものに手をつけた。一口齧かじり、十分に味わいながら咀嚼していく。陽葵は卵サンドから食べるようだ。小ぶりな口でかぶりついている。


「榎本さん、走り方がずいぶんよくなりましたよ? 最初とくらべたら」

「神原が目をつけるところがいいんだよ。あとひと言余計だ」

「もう! 上官って……まあ、今はいいです」


要が「ありがとな」とこぼすと、陽葵は心地よさそうに目を細めた。一つ目を完食した要は、再びバスケットに手をのばす。


サンドイッチを掴もうとしたその瞬間、要の足に何かが柔らかく触れた。乾いた土があちこちについた、サッカーボールである。転がってきた方を見れば、数人の子供がこちらに走ってきている。


先頭の子供が、走りながら叫ぶ。

「ごめんなさーい! それ、取ってもらえますかー!」


要たちの目の前まで来たその子にボールを手渡してやると、全員で「ありがとうございます!」とはにかんだ。ボールを持った子はきびすを返すと、もといた場所へ戻ろうとする。


ふと、ひとりの女の子がこちらを見て、口を開いた。

「ねーね。お兄ちゃんとお姉ちゃんって、カップルなの?」

「えっ!?」

「なっ!?」


要たちはその発言に驚き、ふたりして上擦うわずった声をあげた。先の声は陽葵、後の声は要のものである。


なんとか言ってやれと陽葵の方を向くと、顔を真っ赤にして口をぱくぱくと開閉している。頭がパンクしているのだろうか、これでは使い物になりそうにない。


「あ〜、俺とこのお姉ちゃんはただの友達だ。君たちが思ってるような関係じゃない」


子供たちは「なーんだ」と興が冷めたような声でこぼすと、体をひるがえして帰っていった。陽葵は恥ずかしそうに下を向いている。栗色の髪から垣間見える横顔は、未だに真っ赤なままだ。


「なあ、神原? なんでそんなに真っ赤になって……」

「知りません。榎本さんのばか」

「ええ……」


これはまた、機嫌を直すのに時間がかかりそうだ。そう思った要は、陽葵に話しかける量を増やしつつ、サンドイッチを消化していった。

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