第18話:襲来

「お姉ちゃんが、来るらしいです......!」

「......お姉ちゃん?」

要は怪訝けげんな表情を浮かべた。硬直している陽葵に向かって、声をかける。

「おまえ、姉なんていたんだな」

「あ、実はそうなんですよ! って、そうじゃなくて!」


陽葵は一瞬笑い顔を見せたが、すぐに首を横にブンブンと振った。乱れた髪に手櫛てぐしをいれ、先の発言を繰り返す。

「お姉ちゃんが来るんですよ!」

「それの何が問題なんだ? 家族水入らずの時間を過ごせばいいじゃないか」

「う~、そうなんですけど......わたし、昔からお姉ちゃんのことが苦手で......」

「......なるほど」

兄弟姉妹故の苦悩とでも言うのだろうか。幸か不幸か要は一人っ子なので、そういうものとは縁がない。


「いつ来るんだ?」

「聞いてみますね」

陽葵はスマホを操作してメッセージを送った。返事を待っているのか、画面とにらっめこを続けている。

「多分明日明後日くらいだろう。明日からは休日に入るわけだし、ゆっくりしてくれ。ご飯とか気にしなくていいから」

「そういうわけには......」


「あっ」ともらした陽葵とスマホの通知音から察するに、神原姉からの返信があったようだ。要になった皿を片付けながら、耳を立てる。しかし暫く待ってみても、彼女の鈴のような声は聞こえてこない。

「どうしたんだ?」

要は沈黙している彼女の様子を窺った。陽葵はなにやら信じられないというふうに目を見開き、その瞳は液晶画面に釘付けとなっている。

彼女はこちらの声を聞いてハッとすると、焦りを隠さずにこぼした。


「いま、らしいです......」

「......え?」

《ピンポーン》

要が聞き返そうとすると、タイミング悪くインターホンが鳴った。一旦会話を保留にして、玄関へ向かう。


重い薄鈍色のドアを押し開けると、立っていたのは一人の女性だった。

上背は、リビングにいるもう一人の女性より少し高いくらいだろうか。薄手のチュニックとショートパンツを小柄な身にまとっている。整えられた短い髪はどこかで見たような栗色で――


「お、お姉ちゃん!?」

声が聞こえてこないことに違和感をおぼえたのか、リビングから顔をのぞかせた陽葵が上擦った声を出した。

「陽葵! 久しぶり!」


神原姉(推定)は陽葵を捕捉すると、要の脇元をすり抜け、妹に向かって突進していった――




――「というわけでこちら、姉の紅音あかねです」

「紅音でーす! いや〜、いきなりごめんね?」

女性改め紅音は、悪びれる様子もなくそう言った。こういうところを見ると、本当に血の繋がった姉妹なのだと実感させられる。お茶を出したときの「ありがとう」も、瓜二つだ。


「神原さん」

「ほら陽葵、呼ばれてるよ?」

「えっ、はい、なんですか?」

「いや、お姉さんの方……」

紅音は「わかってるって」とこぼし、「でも」と続ける。

「わたしたちどっちも神原なんだからわかりにくいじゃん? 紅音でいいよ」

麦茶をあおる紅音の口もとには、なぜかニヤニヤ笑いが浮かんでいる。その隣に座る妹は、これまたなぜか動揺している様子だ。


「紅音さん、なんで神原が俺の部屋にいるってわかったんですか? 普通は神原の部屋に行って、いなかったら連絡するかと……」

「ん〜、ここから陽葵の匂いがしたから?」

「本当に言ってるんですか」


しかし紅音には、嘘をついている素振りは見えない。妹である陽葵は、さも当然かのように受け入れている。


「久しぶりに妹に会いに来たら、いつの間にか彼氏なんて作ってるもの! お姉ちゃんびっくりだわ!」

「えっ!? お、お姉ちゃん……」

真っ赤になった陽葵は紅音の太ももをぺちぺちと叩いている


「俺たちはそういう関係じゃないので」

「およ? もしかして婚約済?」

「違います」

要が全力できっぱりと否定すると、一段と顔を赤くした陽葵が口を開いた。


「そういえばお姉ちゃん、なんでこんな突然来たの? もっと前々から言ってくれればよかったのに」

「ああ、特に用事があったわけではないんだけど……」

紅音は要のことを一瞥して続ける。

「妹がどんな生活してるかと思って、近くに来たから寄ってみただけ」

「だからって、来るならもうちょっと早めに連絡してください……」


陽葵は珍しく大きな息をついている。紅音はそれを気にも留めず、反動をつけて立ち上がった。

「それじゃあ、そろそろおいとましようかね」

「えっ、お姉ちゃん、もう帰っちゃうの?」

「今日は陽葵の部屋に泊まるつもり。ていうかだめって言われたら車で寝ることになっちゃう」

「そういうことだから」とこぼすと、紅音は妹の腕を引っ張り上げ、強引に立たせる。こうして並んでいるところを見ると、双子と見紛うくらいにそっくりだ。二人はそのまま玄関に向かう。


「あっ、でも」

何かを思いついたように、紅音は足を止めてこちらを振り返った。これからそれを言わんとする口には、薄ら笑いが張り付いている。


「別に陽葵じゃなく、少年が泊めてくれてもいいんだよ?」

「だっ、だめです! ほら、早く行くよ!」

なぜか要の代わりに陽葵が断り、姉の手を引いて再び玄関へ歩き出した。


「じゃあ少年、また明日」

「……え?」

パタン、と控えめな音をたてて、入り口のドアが閉まる。要の部屋は先ほどまでの騒々しさが消え、嵐が去った後のようにしんとしている。

「また明日って、どういうことだ……?」


要は答えが出ない問いを考えるのをやめ、未だ済んでいない洗い物を再開した。






「もう、お姉ちゃんったら!」

「ははは、ごめんごめん」

陽葵は自分の部屋に姉と共に入った後でそう言った。紅音は眉尻を少し下げ、謝罪を述べている。しかし、やっぱり悪びれる様子はない。


「そういえば陽葵は、なんであの少年のことになるとこんな怒るんだ?」

「そ、それは……」

「もしかしてあの少年のことがす――」

「ちがうちがう! ちがーう!」

陽葵は紅音の言葉を最後まで聞かず、食い気味に否定した。一瞬驚いた様子だったが、すぐにニヤニヤ笑いを取り戻し、紅音は言う。


「それじゃあ、私が少年のことをとっちゃってもいいのかい?」

「えっ!? そ、それはだめ……」

「……ふーん」

頬をほんのりと染めた陽葵を見て、紅音は一瞬口もとの笑いを強めた。しかし陽葵は目を伏せているので、それは彼女の視界には入らない。


「ま、今日は早く寝よっかな。ここまで来るのも疲れたし」

「あ、わたしお風呂入ってくるから、先に寝てていいよ」

「一緒に入るけど」

「えっ」

その後、結局二人して就寝したのは日付けが一つ変わってからである。ベッドで寝る予定だった二人は、紅音が持ってきたお菓子をさかなに、夜遅くまで姉妹同士の話に花を咲かせた。そのままテーブルに突っ伏して眠り、翌日体のあちこちが痛んだのは、言うまでもないだろう。

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