第19話:姉妹喧嘩

翌日。朝食を済ませた要は、筆箱やノートををテーブルに広げていた。今日は陽葵と一緒に、勉強をする予定となっている。いつの間にかこの勉強会も定例になったものだ。

時刻は午前九時三十分。いつも通りなら、そろそろインターホンが鳴ってもいい頃合いである。

《ピンポーン》


そう考えていたとき、図ったようなタイミングで電子音が聞こえた。ぱたぱたと廊下を駆けていき、玄関の扉を解錠する。


「榎本さん、おはようございます! それと......」

「おはよう少年! 今日は勉強をするそうだね! 偉いぞ!」

陽葵は遠慮がちに重いドアを開けた。外からわずかに吹き込む熱風が、彼女のスカンツの裾を揺らしている。

彼女の傍らに立っているやかましい人物は、昨日知り合った陽葵の姉、神原紅音だ。昨日のように、過ごしやすそうな服装をしている。


「ごめんなさい、ついてくるって聞かなくって......説得はしたんですけど」

「その割には早かったな。時間はいつも通りだぞ」

陽葵は申し訳なさそうに眉尻を下げている。しかし、要が「まあ入れよ」と招き入れると、彼女は笑顔を取り戻し、「お邪魔します!」と一礼して入っていった。もちろん、彼女に付属している紅音も一緒に、だ。



「じゃあ早速だけど始めるか」

「はい! 今日はどこからしましょうか?」

「私ソファでごろごろしてるから、がんばってくれ~」


要たちはスマホをいじっている紅音を横目に、勉強を開始した。



――それから二時間ほど。

要も陽葵も集中するにつれて、勉強のこと以外には特に会話を交わすこともなくなった。根は真面目な二人は、熱が入ると周りが見えなくなる。

しかし要は現在、初見の問題に唸っていた。この問題に出会ってから、もうかれこれ三十分になる。一度手を止め自分でいれたアイスコーヒーを一口含み、大きく伸びる。


「おう少年。なにかわからないところがあるのか?」

要の後方からぬっと顔を出した紅音が、面白そうな声で言った。今まで一言も喋らなかった彼女が突然顔を出したので、驚いて少し退いてしまう。


「ここなんですけど……」

要は千思万考していた問題を指さした。だが彼女は陽葵と同じ血が通っている人間なのだ。あまり期待しない方がいいだろう。


「ああ、二次関数のグラフの最大最小か。これは小難しいことは考えず、グラフの形と定義域に注目しろ。最大値なら定義域の中央と軸が一致するとき。最小値なら定義域に軸が含まれるかどうかで場合分けするだけだ。」

「……なるほど」


意外にも丁寧に解説され、思わず驚嘆してしまった。酔狂で聞いてきたのかと思ったのに、違ったようだ。

「紅音さんって頭いいんですね。妹にも教えてあげてください」

「まーなー。陽葵は昔から飲み込みが悪くて……何回か教えたことはあったんだけどな?」

「もー! 今はちゃんとできますから!」


要と紅音とのやり取りに、陽葵は口を膨らませた。一度勉強の手を止め、麦茶を飲んでいる。


ふと、悦に入っていた紅音が口を開いた。

「というわけで腹も減ったし、ご飯にするか」

「……あー、もうそんな時間ですか」

見れば、時計の短い針は十二の少し手前を指している。今日も例によって陽葵が作るので、そろそろ調理を始めればいい時間だろう。


「お? 陽葵が作るのか?」

「そうだよ!」

「……私も作っていいか?」

「だっ、だめ! 榎本さんのご飯はわたしが作るの!」

何か譲れないものがあるのか、妹は姉の要求を拒絶した。要はなぜそんなに執着しているのかわからず、首を傾げる。


「久しぶりに料理したくなって。それとも陽葵ちゃんは、私より美味しく作れる自信があるのかな?」

「そ、それは……」

見つめられた陽葵は少したじろぎ、チラりと要を一瞥いちべつ。次いで自信なさそうに揺れていた瞳を見開き、紅音を見つめ返して言った。


「そうだよ! わたし、もうお姉ちゃんより美味しくご飯作れるもん!」

「……ほ〜う」

それを聞いた紅音は右の眉をピクりとはね上げた。不気味な笑みを浮かべ、「それなら」と続ける。

「勝負する? どっちの料理が美味しいのか。二人別々に昼食を作って、少年に判定してもらう。どう?」

「望むところだよ! 絶対負けないから!」


姉妹は二人揃って挑戦的な表情だ。交わっている視線には、バチバチと鋭い火花が幻視できる。もはや要は蚊帳かやの外だ。


「そういうことなら食材を買ってこないとね。車出してあげるから、買いに行くよ」

「榎本さん、行きますよ!」

「えっ、俺も行くの?」

要はやむなく外行きの格好に着替えると、神原姉妹とともに車に乗り込んだ。

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