第34話:金魚さん

「おいしいですねぇ……」

陽葵は頬を落とさんばかりに緩めていた。右手は串を摘んだまま頬に、左手はいっぱいの唐揚げが入ったカップがある。ちなみに味はカレー味だ。響がおすすめしてくれた屋台のものである。


「そんな食べて大丈夫か? まだ通りの半分も行ってないぞ」

「大丈夫です! これを見越して、今日はお昼を少なくしてますから!」

「……太るぞ」

「あぁっ!! 要くんが今禁句を!」

要がぼそっと呟くと、雷に打たれたようなリアクションを受けた。空いた右手で要のことをぽこすかと殴る。緩んでいた頬を膨らませ、少し涙目になっている。慌てて宥めるが、陽葵は機嫌を直さない。


「わ、悪かったって」

「要くんはそういうところがいけないんです! もう少し女性に対するデリカシーというものを覚えてください!」

「……善処する」

彼女は口を尖らせると、そのまま唐揚げをもう一口。しかしそれを口に入れると、ぴーんと目の光を取り戻す。

要はその様子を見届けると、正面に向き直った。並ぶ屋台の一角に目がいく。



「あ、ほら。響が教えてくれた店、あれじゃないか?」

要は自分の目の先を見るよう促す。

「おぉ、あの赤っぽいところですか! 実は名前を聞いた時から、ちょっと楽しみにしてて……」

響に教えてもらった店のひとつが、この金魚すくいである。聞けば、他の店より紙が破れにくく、その割に値が安いそうな。

スイカの身のような赤い布地に、目立つ黒字の「金魚すくい」の文字が遠くからでも見て取れる。その左右には金魚なのかこいなのかわからないような生き物の絵がプリントされている。ゆうゆうと水槽の中を泳ぐ金魚の群れは、さながら花火のように見える。


その無数の金魚を見て、陽葵は歓声をあげた。射的を知らないようなお嬢様からすれば、水槽に幾千の金魚がいるのは目を張る光景だろう。


「ほんとに金魚をすくうんですね……名前の通り」

陽葵は興味深そうに呟いた。視線の先には、金魚すくいに興じている子供たちが見える。紙が破れてしまった彼らは、店主にポイを一つまけてもらっていた。


「行くか?」

「はい!」

陽葵は頷きながら言葉を返した。



屋台の方に近づいていくと、店番をしていた女性が声をかけてきた。パイプ椅子に腰掛け、太腿の上に手を重ねて置いている。穏やかなお姉さんといった印象だ。「よいしょ」とこぼすと、膝に移した手に力を込めて立ち上がる。


「いらっしゃ〜い。何回分?」

「あー、とりあえず一回分で」

要は財布を取り出し、一回分の金銭を差し出した。それと引き換えに、黄緑色のポイを三つ受け取る。

三百円という安価で一回分が遊べるのも、響がおすすめする理由である。他の店に比べて良心的なのだ。先程のようにおまけのポイもくれる。


「ほれ」

「あっ、ありがとうございます」

三つあるポイの内一つを陽葵に渡す。彼女は遠慮がちに手に取るが、持ち方がわからないようだ。細くなっている方をグーで握っている。


「陽葵、これはポイって言ってな? こう持つんだ。明確には決まってないが、だいたいの人はこうしてる」

「了解です!」

要が柄の部分を親指と人差し指で摘んでみせると、陽葵もそれに倣った。


「ポイは水面に対して斜めに入れる。その方が破れにくい」

「なるほど」

「あと金魚を乗せる位置は……まあいっか」

「えぇ、なんでですか!」

「一から十まで教えてもアレだろ? やり方を模索するのも、こういうのの楽しみだ」

「あぁ、そういうことですか! ならやってみます!」


表情を二転三転させると、陽葵は水槽にくるりと体の向きを変えた。一匹の金魚に狙いを定め、おずおずと水面にポイを差し込む。

しかし素人には早々獲れるわけもない。一つ目のポイは一匹の金魚を上に乗せたところで、水浸しになり破れてしまった。陽葵は破れたポイを見て唸る。


「む、難しいですね」

「射的もそうだったけど、最初はそんなもんだ。むしろ思ってたより長くもったな」

「えへへ〜、次で獲りますから!」



「ほら要くん!見 てください!」

陽葵は涼し気な色の椀を掲げた。これは獲った金魚を入れてくれと、店主に渡されたものである。中には一匹の金魚。

陽葵は数度の金魚すくいという格闘を経て、この金魚を掬いあげた。このお姉さんに実に一回分となる三つのポイをまけてもらい、最後のチャレンジで獲得したのだ。

陽葵が苦労の末ゲットしたこいつは、他の個体と比べて小柄である。真紅と乳白色が入り交じる、美しい模様をしている。水槽を離れ狭い椀の中でも、活発に泳いでいた。


「おめでとう、お姉ちゃん」

「ありがとうございます! あの、この子どうすれば……」

陽葵は椀の中に目を落とす。

「基本的にはお持ち帰りだね。どうしても飼えないとか、理由がある人は戻すけど」

「えっ、連れて帰っていいんですか!?」

「……彼氏さん、この子……」

「言いたいことはわかる、ちょっと世間知らずなんだ。あと彼氏じゃない」

「わたしって世間知らずなんですか!?」

愕然とする陽葵をよそに、店主は話を進める。


「結局、持って帰るの? 置いてくの?」

陽葵は一度要の方をチラりと見た。少し尻ごむも、意外にもすぐ答えを出す。


「つ……連れて帰ります!」

陽葵のその言葉を聞くと、店主は椀を引き取った。慣れた手つきで袋を取り出し、椀の中身を全て流し込む。袋の口を青い紐で絞ると、陽葵にそれを返した。


「はい。大事にしてあげてね」

「はい!」

指先に袋をぶら下げると、揺らさないように丁寧に腕を下ろす。店主との短い会話の後、要たちは店に背を向けた。


「……ちなみに聞くけど、飼ったことあるのか?」

「ないです! 要くんは?」

「一応あるけど」

「なら飼い方教えてください! 水槽も買わなきゃいけませんね!」

「……まったく」

要は短く息をついた。しかし金魚と目をあわせはしゃぐ彼女を見ていると、なんだか毒気を抜かれてしまう。

柔らかな微笑を浮かべていると、ふとスマホが震えた。響からである。


《かなめ、お前ほんとに夏祭り来てるか?》

《来てるよ、なんだ?》

《お前の姿見ないなと思って。俺らもう通り三往復くらいしてるんだから、いい加減会ってもおかしくないだろ》

《偶然だろ》

文面では冷静を繕いながらも、要は内心肝を冷やす。変装のことがバレれば、そのまま陽葵と行動していることもバレてしまう。

あれこれ考えるが、響からの返信は待ってくれない。


《そういやさっき、要にすげぇ似てる人見つけたぞ。髪と雰囲気だけ直せばほんとにそっくりそのままって感じだった》

《はいはい、偶然偶然。世界には自分と似てるひとが三人いるって言うだろ?》

《そうか?》


スマホを操作していると、不意に肩を掴まれた。誰だと思いつつ、首を捻って顔を見る。


「まあ、お前のことなんだけどな」


視線の先にあった顔は、要が学校で毎日見る顔であった。

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