第33話:クマのぬいぐるみ

「気になったものがあったら言ってくれな」

「はーい!」


要が言うと、はしゃいだ声で返事がなされた。彼女はこの日を相当待ちわびていたようで、興奮を抑えきれていない。陽葵の弾む足取りに、要は歩調をあわせていた。


「あっ……か、要くん」

「ん? どうした?」

「あ、あれ……!」


陽葵はカタカタと体を震わせていた。屋台の一つに、戦々恐々と指を指している。


「子供たちが銃を持ってます! 警察さんに言った方がいいんじゃ……」

「待て待て、あれは射的っていう遊びだ。コルクを銃に詰めて景品を狙い撃つものだから、犯罪とかじゃない」

「そうなんですか? てっきり危ないものかと……」


陽葵は胸を撫で下ろすと、熱心に射的を観察しだした。景品の一つ一つに目を凝らしている。


「……やってみるか?」

「……! はい!」


あそこまで目を輝かせられたら、最早「先に行こう」とは言えまい。半ば言わされたようなものだと息をつきながら、要は薄ら笑いを浮かべた。


「おじさん、一人分」

声とともに、一回分の料金五百円を手渡す。それと引き換えに屋台を営む中年男性から「あいよっ!」という気前のいい声に加え、弾丸となるコルクが六発分、皿に乗せて陽葵の前に置かれた。


「お嬢ちゃん、弾の込め方はわかるかい?」

「あっ、実は初めてで……」

「いいよ、俺が入れるから。それ貸してもらえるか?」

「はい! どうぞ」

陽葵は勢いをつけてコルク銃を突き出した。待ちきれないといった風に目を見開き、むふーっと息を荒くしている。まるで餌を前に「待て」と言われている子犬のようだ。


「要くんってこういうのできるんですね。なんか意外です」

「……どういう意味だ」

「だって、要くんって不器用じゃないですか! この前だって包丁で指を」

「わかったわかった、それさっきも聞いたから……ほら、できたぞ」

「あっ、ありがとうございます!」

無駄口を叩き合いながらも、要はコルクを銃身に詰めた。六つあるコルクの中で、一番硬く中身のあるものである。あとは横にある金属製のレバーを引けば、射的の前準備は完了だ。


「お嬢ちゃん、どれを狙うんだい?」

「……ねらう?」

「あー、射的ってのはな? その銃を打って棚から落ちたものしかもらえないんだ。だから事前に賞品を見定めて、それを狙って撃つんだ」

「そ、そうなんですか」


今どき射的のルールを知らない人など珍しいのか、店主は少し目を見張り、身振り手振りを交えて説明した。

陽葵は暫く視線を彷徨わせた後、一つの景品に意欲を示す。


「じゃあ……あのクマちゃんで!」

陽葵が指をさしたのは、景品棚の中央に鎮座するクマのぬいぐるみである。彼女の手にちょこんと乗りそうな大きさで、柔らかな毛並みに包まれている。どこか気の抜けた顔をしていて、首周りには陽葵の髪と似た色のペーパーリボンが巻かれていた。

しかしあの手の物は大概重く、幾度となく使い回されたコルク銃では威力が不十分なことが多い。もちろん落とせないわけではないのだが。

陽葵は要から受け取った銃を物珍しそうにめつ眇(すが)めつ眺めると、ぬいぐるみに銃口を向けた。


「……なぁ陽葵、その構え方は……」

「これですか? この前要くんとやったゲームの人が、こんな持ち方をしてたので!」

陽葵が言うのは、イカがインクを用いて撃ち合うゲームのことである。陽葵としては結構気に入ったようで、構え方を覚えていたらしい。その様子は軍人さながらだ。ただし脇が空いているので、少し抜けているというかなんというか……。


「じゃ、いきますね!」

「おう、頑張れ」


子気味いい音に連れて、コルクの弾丸が発射された。陽葵は思っていたより大きな反動と音に、「わっ」と僅かにたじろぐ。

放たれた弾は狙いのぬいぐるみを大きく逸れ、掠めることなく後ろの赤い布に勢いを殺された。


「難しいですね……」

「まあ最初はそんなもんさ。まだ五発も残ってるんだぞ?」

「はい! 次は当てますから!」

陽葵は気を引き締めると、再びクマに狙いを定めた。



結果、惨敗。

最後の二発ほどは本体に当たるようにはなっていた。しかし初挑戦で難易度の高いぬいぐるみを落とすことはなく、クマは微動だにせず陽葵を退けた。


「うぇぇぇぇん、要くーん! 取れませんでしたぁ〜!」

「お、落ち着け。わかったから」

「はっはっは、残念だったなお嬢ちゃん! ほら、キャラメルおまけしてやるから、元気だしな」

「えっ、わたしなんにも落としてないですよ!?」

「お嬢ちゃんかわいいから。残念賞とでも思っといてくれ」

「うぅ……ありがとうございます」

陽葵は悔しそうに項垂れ、店主からミルクキャラメルの箱を受け取った。銀の包みから中身を一つ取り出し、口の中に入れる。歯を立てると沈み込むような感触に次いで、特有の味が口いっぱいに広がっていく。口元を綻ばせた陽葵は、まるで今あったことを忘れたような笑顔を浮かべていた。単純なヤツである。

ふと、こちらに柔らかな笑みを向けていた店主が口を開いた。


「ほら、兄ちゃんもどうだい?」

「俺ですか?」

「そうとも。連れさんのリベンジをしてやるんだ。お嬢ちゃんも見たいよな?」

「はい、見たいです!」

「お前なあ……」


要は暫しの逡巡の後、店主に一ゲーム分の五百円を差し出した。顔に笑いを貼り付けている彼から陽葵が使っていた銃を受け取り、一番強度が低そうなコルクを詰める。


一発目。

「あぁ、外れちゃいました」

「いいから見てろ」

いつの間にか彼らの後ろには、そこそこ多くの観衆が集まっていた。大方、陽葵の美貌に惹かれた者たちだろう。「あ〜」と残念そうにどよめく。


二発目。

弾は要の狙いから少しブれ、人形の腹に直撃した。衝撃を受けて後ろに下がるが、微々たる程度である。


「……次でいける」

要は自分にだけ聞こえる声量でこぼした。

三発目。

乾いた音をたてて銃口から飛び出した弾は、要の目標違わず右目の少し上に当たった。その衝撃によってクマの身体はぐらりと傾き、四十五度あまり回転して下に落ちる。


「か、要くん、落ちましたよ!」

「……ああ」

陽葵は宝くじを当てたときのように、少々上擦った声をだした。要は短く応答する。

店主もまさかこの景品を取られるとは思ってなかったのか、驚いたような賞賛の声をもらし、眉を上げた。後ろに控える観衆も、似たような反応をしている。


「……ほら」

「あ、ありがとうございます!」

店主から受け取ったぬいぐるみを横流しして陽葵に渡すと、彼女は新しい玩具をもらった小児に似た態度を示した。それが光っているようにでも見えるのか、宝物のように丁寧に抱えた。


「よかったなお嬢ちゃん! 欲しかったそいつ取ってもらえて!」

「はい! 絶対大事にします!」

「兄ちゃんも、いい彼女もったな!」

「「か、彼女じゃない(です)!」」


ガハハと笑う店主の一言に、要と陽葵は声をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る