第32話:夏祭りへ

「要くーん、着れましたか〜?」

「ああ、多分大丈夫だ。そっちは?」

「わたしも大丈夫です! 開けますね……」

そう言うと陽葵は数瞬の躊躇ためらいの後、控えめな手つきでノブを引いた。


「…………」

「…………」

ドアが開くと、二人は対面した。互いに視線を絡め、要は直立、陽葵はノブに手をかけた姿勢で硬直する。


陽葵はいつも背中まで下ろしている長い栗色の髪を結い上げ、先端に菊がついたかんざしで留めている。他にもいくつかの髪留めを用い、普段とは違う大人びた雰囲気を演出していた。

そして何より目を引くのは、彼女が着用している浴衣である。

オフホワイトを基調とした生地に、季節にあった向日葵の柄。麻の葉繋ぎの草色の帯。淡いレモンの香水が香る。夏の明るさ感じさせるそれは、彼女の性格というか空気というか、そういうものと非常にマッチしていた。


先に口を開いたのは陽葵である。

「……あの、要くん」

「あぁ、なんだ?」

「あんまりまじまじと見られると……恥ずかしいというか」

「あっ……すまん」

彼女はほんのりと頬を染めると、要と交わしていた視線を外した。いじらしく斜め下を向き、体の前で浴衣の袖を摘む。


「それで……どうですか?」

陽葵はこぼすと、自らの姿を晒すように手を組み替えた。前にあった手を後ろに移動させ、恐る恐る要の方を見る。


「あー……いいと思うぞ?」

「……三十点です」

陽葵はムッと顔をしかめる。

「似合うと思うぞ?」

「五十点! もう一声!」

陽葵は眉間の皺を深める。

「か……かわいいと思う、ぞ?」

「えへへ〜、百点です!」

満面の笑みを浮かべると、今度は要の姿を見つめる。少し腰を折り、微笑んだまま下から順に。

一定の高さまで視線が持ち上がると、彼女は怪訝げな表情を見せた。一度クスりとわらうと、要の方に手を伸ばす。


「要くん、帯が曲がってます」

「まじか、何回も確認したんだが」

「まあ要くんが不器用なのは、今に始まったことじゃないですから」

「おい待て、俺不器用なんて言われたことないぞ」

陽葵は懐かしむように口を動かしながらも、帯を直す手は少しも止めていない。

「結構不器用だと思いますよ? この前包丁を扱ったときも指切ってましたし」

「……久しぶりだったからだ」

「はいはい、できましたよ」

「……ありがとう」

釈然としない顔をしながらも、要は謝辞を述べた。

「要くんもその……いいと思いますよ? 特にその頭とか。結構新鮮です」

「これなぁ……使うの初めてだったから、上手くできたか不安なんだが」

要は己の髪を見上げた。

いつも正面を向いていても大概目に入るそれは、今日は見上げて微かに見えるかといったところだ。何故そのようになっているのかの答えは、要の部屋の勉強机にある。


「大丈夫ですよ! わたしワックスなんて使ったことありませんけど、多分大丈夫です!」

「……後半でだいぶ信憑性しんぴょうせい薄くなったぞ」

「大丈夫ですから! 自信もってください!」

そう、ワックスである。

察しのついた人もいるだろうが、これは先日紅音から送られてきた「変装用セット」の一つである。まともなものがほとんどなく、悩んだ結果これに落ち着いた。

他にもヘアピンやゴムなどもあったのだが、大方派手な色のものだったため、元より除外されていたのだ。


「どうします? お祭りが始まるまであと三十分くらいはありますけど」

「どうしような……まあさっき窓から見た感じ、屋台とかはもうやってるっぽいな。本格的に祭りが始まる前に、屋台とか回っといた方がいいと思う」

「じゃあもう行っちゃいましょうか!」

「了解」

陽葵は要の三歩先を先導し、505号室の戸を開けた。



「わぁ! いっぱいありますね!」


アパートを出て少し歩くと、祭りが催さる通りが見えてきた。窓から見たときとは違い、活気を肌で感じられる。先程より人も増えており、結構な混み具合を見せていた。ちらほらと羽星高校の生徒も確認できる。

要は少し呻きながらも、いつもの猫背をピンと伸ばした。理由は無論、できるだけ気づかれないようにするためである。


陽葵は所狭しと並ぶ屋台に目を輝かせ、黄色い声をあげた。りんご飴やベビーカステラ、クレープといった甘味に始まり、射的や金魚すくい、風船釣りなどなど、ラインナップは多種多様である。


「どこから行きましょうか、要くん! これだけ種類があると迷っちゃいます!」

「俺もここの祭り来るの初めてだから、どこがいいとかわからないんだよな。……ちょっと待っててくれ」


要はそう言うと、右腰につけた信玄袋からスマホを取り出した。馴れた手つきでLeneを立ち上げ、一人の連絡先をタップする。


『夏祭りで行くべき屋台を数件、教えてくれ』

トーク画面を眺めていると、程なくして既読マークが表示される。


『なんだ要、結局祭り来たのか。あんなに行かない行かないってうるさかったのに』

『やかましい。んで響、おすすめの店は』

『ちょっと待てよ、今リストアップして送るから』


響が送ってきた複数の屋台は、結構疎まばらに配置されているようだ。もう少し固まっているのかと思いきや、これでは結局順繰りに回る他ない。


「今友達におすすめの場所教えてもらったんだが、通りの端から端まで分布してるっぽい。だからここから道なりに歩いて、店を見つけ次第買いに行くのがベターだと思う」

「了解です! それじゃあ行きましょう!」


陽葵は意気込むと店が多い方に体を向け、ずんずんと歩みだした。

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