第20話:勝負のあとで
「はぁ、はぁ……!」
要は両手に提げた袋を、大きな音を立てて床に置いた。自由になった手を膝に置き、肩で息をする。
紅音に連れられ向かった先は、いつも要たちが利用するスーパーマーケットだ。たかが二人で昼食を作ると言えど、こんなにも袋がパンパンなのには理由がある。
「金は私が出してやるから、気にしなくていいぞ〜」
紅音の発言を聞いてからというもの、普段は節約節制を掲げている陽葵は目を輝かせ、後日使う用の食材まで買い始めたのだ。紅音が購入したものまでも要に持たせられ、今に至る。
「これくらいで情けないぞ〜、少年」
「榎本さん、大丈夫ですか……?」
背後からかかった声の成分は、姉と妹で真逆だった。紅音は要の横をするりと抜けて靴を脱ぎ、陽葵は心配したようにおどおどとしている。
「ほれ、もうひと踏ん張り!」
「鬼ですか……」
要ははち切れそうな袋を再び持ち上げ、重い足取りで居間へと向かった。
その後片付けを終えた要はソファに寝転んだあと、死人のようにピクリとも動かなくなってしまった。
「それじゃあ、やろうか」
紅音は自信ありげに笑みを浮かべた。
「負けないからね!」
陽葵も負けじと見つめ返す。
二人は各々の材料や器具を手に取り、調理へと身を乗り出した。
自由なものを作ってもアレだろうと紅音は事前にお題を出していた。チャーハンである。
チャーハンといえば、炊いた米を様々な具材とともに油で炒めた、日本の国民食だ。短時間かつ簡単にでき、工夫次第で様々な味がでることから、家庭の味とも称されている。老若男女に愛され、カレーライスに次いで人気の日本食だろう。
そんなチャーハンという簡単な料理だからこそ、純粋な腕前が試されるのではなかろうか。それ故、家を出る前に紅音が提示したこのお題は、陽葵の頭を大きく悩ませた。
(でも、負けないもんね!)
陽葵は包丁を軽く
今回の勝負で陽葵が採用したのは、奇をてらわない卵チャーハンだ。いつもと違うあんかけなどを作ろうとして失敗しても嫌だし、何より紅音はこれを選ばないと思ったからだ。
(榎本さんの好き嫌いを知っている分、この勝負はわたしが有利なはず!)
紅音の方に目を向けると、要の嫌いな食べ物代表のなすを半月切りにしている。少し前試しに夕飯になすを出してみたら全て避けた要のことだ。この時点で大きなアドバンテージを得たと言っても過言ではないだろう。
「よし……!」と内心意気込むと、次はチャーシューを五ミリ角にカット。並行してフライパンを火にかける。
「えーっと、マヨネーズマヨネーズ……」
陽葵は冷蔵庫からマヨネーズを探した。蓋をはずし、卵黄大のものをふたつ、フライパンに注いでいく。
「陽葵、なんでマヨネーズなんか入れてんの? サラダ油の代わり?」
「ご飯を炒める前にマヨネーズと和えると、完成したときパラパラになるんだよ!」
「へ〜、覚えておくわ」
マヨネーズが溶けてきたところでご飯を加え、用意したチャーシューとながねぎを入れて更に炒める。米は家を出る前に炊飯器のスイッチを押しておいたので、陽葵たちが帰ってくる頃には既に炊けていた。
ふと紅音が、フライパンの中身を弄びながら陽葵に聞いた。
「陽葵はもうすぐ出来そうな感じ?」
「そうだね。あとは卵と混ぜて、味を整えたら完成かな。お姉ちゃんは?」
溶いた卵を加えながら、紅音に聞き返す。
「私も似たようなもんだな。炒めて味付けしたら完成だ」
「わかった!」
陽葵も紅音も、進行度的にはほとんど同じらしい。二人は交代で塩と
「かんせーい!」
「じゃあ少年のところに持っていくか。あのテーブルでいいんだよな?」
「うん!」
紅音は午前中要たちが勉強していたテーブルを指さした。大きく頷き、皿を運ぶように促す。
「……あれ?」
「あらら……」
陽葵たちが出来上がったチャーハンを持っていくと、要はソファですやすやと寝息をたてていた。気持ちよさそうな顔を見て、陽葵は頬を緩めてしまう。
「起こすか」
「えっ、でも……」
心の底から安らいでいる表情の要を起こすのは、なんだか忍びない。できることならこのまま寝かせてあげたいが……
「冷めたチャーハンを食わせて勝負ってのもアレだろ。絶対起きるやり方を教えてやるから、陽葵が起こせ」
と言うと紅音はこいこいと手招きをして、陽葵にその『やり方』を耳打ちした。
「……さん、えの……さん」
「ん……うぅ」
体を軽く揺すられ、要は目を覚ました。寝ぼけ
「早く起きないと、イタズラしますよ?」
しかし、耳打ちされたと思われる小声に、要は体をビクッとわななかせた。突然のことだったので、まだ夢の中ではと錯覚してしまう。
重い
近くにあった陽葵の顔が目に入る。彼女はほんのりと頬を染め、要の方から目を逸らしている。先の発言はいつもの陽葵なら絶対にないものなので、夢かとも思ったが、彼女の顔を見る限り、そうではないらしい。傍らに控えている紅音がニヤニヤしているということは、彼女の差し金だろうか。
目があった紅音が、端をつりあげている口を開いた。
「おはよう少年。突然だけど、チャーハンを食べ比べしてくれ」
「……本当に突然ですね」
「よいしょっ」と体を起こすと、そこには二つの皿があった。中身は紅音の発言の通り、チャーハンだ。これが例の料理対決の品なのだろう。要はスプーンを取り、利き手の皿の方から一口。
「……うまい」
「もっと褒め方ない? 食感とか、香りとかさ」
「そんな高度な食レポ求められてもできませんよ。我慢してください」
口を尖らせる紅音に苦言を呈すと、彼女は「しょうがないな」と眉尻を下げた。
ねぎ、チャーシュー、卵といった王道の具材たちは、要が実家で食べていたチャーハンを彷彿とさせる。香辛料も多過ぎず少な過ぎず、適当な
要は味を確かめるようにもう一口食べると、次は左の皿に手を伸ばした。しかし……
「ゔぇ、なす……」
入っていたなすを見て、要は大きく顔をしかめた。喉の奥から変な音が漏れてしまう。
「好き嫌いするなよ。陽葵も言ってないのか?」
「い、言ってるけど……」
「まあ騙されたと思って食べてみろって。毒なんか入ってないぞ?」
口をすぼめる陽葵を横目に、要は泣く泣くスプーンを突き入れた。それを一息に口内へ運ぶ。
「……うまい!」
「だろ〜?」
「んなっ……!」
ままよと食べたそれは、要が嫌いななすの食感と味を見事に調和させていた。自信満々な笑みを浮かべる紅音は、うんうんと頷き自画自賛しているようだ。
好的な反応が見られるとは思ってなかったのか、陽葵はガックリと顎を落としていた。
「それじゃあ判定してもらおうか。どっちのチャーハンの方が美味しかったのか」
「榎本さん、お願いしますよ……!」
紅音は既に勝ったような笑みを浮かべ、陽葵は願うように繊細な指を緩く絡めている。なんともプレッシャーを感じる状況だ。
「えーっと……こっち?」
要が選んだのは、先に食べた卵チャーハンの方だ。少しの沈黙の後、陽葵はパァっと華やぎ、紅音は初めからわかっていたかのように肩を竦めた。
「榎本さん! なんでわたしのチャーハンが勝ったんですか!?」
喜ばしそうに口角を上げている陽葵が、高いテンションで要に聞いた。事細かな感想を考えられない要としては、少し困ってしまう。
「……なんとなく?」
「もう! まあ嬉しいです! ありがとうございます!」
陽葵は要の適当ともとれる感想に噛みついたが、冷めないうちに食べようと二人分の匙を運んできた。
「「「ご馳走様でした」」」
三人が手を合わせて食事を終えると、陽葵が切り出した。
「わたしがお皿を持っていくので、二人は休んでいてください」
「えっ、でも……」
「おー、じゃあ頼むわ。あとコーヒーもいれてくれ」
女の子の細腕に大きめの皿六枚はきついだろうと、要は手伝おうとした。しかし、紅音はこちらの発言を
陽葵がキッチンに向かったことを確認し、紅音は再びこちらを向いた。
「なあ、少年よ」
「はい? なんですか」
紅音は何を考えているかを悟らせず、要に話しかけた。神妙な顔をしていたので、思わず身構えてしまう。
「陽葵の誕生日は八月二日だ」
「……はい?」
八月二日と言えば、もう二週間後の話だ。来週から夏休みに入れば、あっという間にやってくる。しかし、なぜそれを今伝えたのかは、要にはわかりかねた。
頭を悩ませる要をよそに、紅音は続ける。
「少年よ」
「今度はなんですか?」
「学校での陽葵を見たことがあるか?」
「……そういえばないですね」
「多分だが、あいつが学校の友達にとる態度と、少年にとる態度は違うはずだ、きっとな」
「そりゃあ友達とは仲がいいんですから、俺とは違うでしょう」
「いーや、その逆だ」
「……え?」
逆、つまり、要には親しい態度で、友達はそうではない、ということだろうか。
紅音は考え込むように押し黙ると、一度大きく息をついて立ち上がった。
「ま、せいぜい悩んでくれ。次会う時までの宿題な」
「あれ? お姉ちゃん、もう帰っちゃうの?」
ヒラヒラと手を振り、立ち去ろうとする紅音に声がかかった。見れば、彼女の要望通りにソーサーとカップを持った陽葵がきょとんとしている。
「ああ、ちょっと急用ができて」
「コーヒーは?」
「少年にでもあげてくれ」
「それじゃ」と言い残し、紅音は去っていった。
「……強烈な人だったな」
「なんかごめんなさい……」
「いやいや、全然いいんだけど」
なぜか申し訳なさそうにしている陽葵を
(学校の人と俺の態度って、違うのか……?)
陽葵にそう聞いてみたいが、紅音は『宿題』と言っていた。要が考えるべきなのだろう。
苦味を我慢してコーヒーを飲んでいると、不意に陽葵が言った。
「あの、榎本さん」
「ん? どうした」
コーヒーカップ片手に彼女の方に目を向ける。陽葵は改まったように足をたたみ、正座をしていた。暫くもじもじとやりにくそうにしていたが、やがてすくっと顔をあげて切り出した。
「お姉ちゃんだけ名前呼びなの、ずるいです」
「……は?」
「だから、その……」
「自分も名前呼びにしろと」
「そ、そうです!」
要は「そんなことか」とコーヒーカップを傾ける。
「別に構わんが……ずるいとは?」
「そ、それは……」
陽葵を問い詰めると、あたふたとしながら答えた。しかしその目線は明後日の方向に向けられている。
「わ、わたしの方が榎本さんと一緒にいる時間長いのにって意味です! ていうかいいんですか……?」
「まあ別に減るもんじゃないしな」
要はコーヒーをソーサーに置くと、陽葵の方に向き直る。こうも改まって言うのは、なんだか気恥しい。
「えーっと……ひまり?」
「……! はい、かなめ君!」
そのまましばし固まっていた二人だったが、居心地が悪そうに頬をみるみると紅潮させていった。バッと同時に顔を逸らすと、要は何か脱出する用事がないかと頭を巡らせた。傍らにある漆黒のコーヒーが目に入る。
「おっ俺、ミルク入れてくるな」
「いっ、行ってらっしゃい……」
名前を自然に呼べる日は、まだまだ遠そうである。
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