第52話:一方その頃

「「ねぇねぇ、神原さん!」」

「……はい?」

席に着いた途端、陽葵はクラスメイトの女子二人に声をかけられた。名前は髪を結わえている方が伊賀、ボーイッシュな短い髪が早瀬だったか。

その圧倒的な美貌から周囲からは敬遠されがちな陽葵だが、今日は少し違うらしい。彼女たちとは片手の指で足る程しか会話を重ねていないが、ひどくはしゃいだ様子で立っている。


「どうなさいましたか?」

当たり障りのない笑みで陽葵が一言聞くと、二人はせきを切ったように捲し立てた。


「今日の朝一緒にいたのって、四組の榎本くんだよね! どういう関係なの!?」

「えっ、あの」

「もしかして付き合ってたり?」

「神原さんって男っ気ないし、いままでいろんな人振ってきたでしょ? だから気になっちゃって!」

「ち、ちが……」


とある少年の名前が飛び出て頬を赤らめるが、陽葵は自分の『殻が剥がれている』ことに気がついた。少し強めの咳払いの後、二人の目を交互に見る。


「わたしとかな……榎本さんは、まだあなたたちの思うような関係ではありません。今日一緒に登校していたのも……」

「まだ!? 今まだって言ったよね!」

「わたしも聞いたよ! やっぱり……」

「ちょっ、ちょっと」


有無を言わさぬ語気で言ったつもりだったが、たった一つの単語が燃料になったようだ。話しかけられた側の陽葵を置き去りにし、恋バナに火をつけている。


「お二人さん、もうすぐホームルームだよ?」

陽葵に助け舟を出したのはこのクラスの人間ではない。要と同じクラスの雨宮舞海だ。最近自分で髪を切るのに失敗したのか、変に揃った前髪を揺らしている。いわゆるぱっつんというやつだ。


「雨宮さん、最近風間くんとどう?」

「相変わらず順調だよ。わたしのひーくんはいつまでたっても紳士的で……」


早瀬と舞海は互いに笑顔ではあるものの、視線と視線との交錯点で火花が散っている気がする。陽葵は舞海と交流が浅いのでわからないが、もしかすると何か因縁があるのかもしれない。ちゃっかり『わたしの』と付け加えているのも、その表れだろうか?


「じゃあまた。あ、神原さん」

「なんですか?」

「『まだ』って言ってたことは、みんなには内緒にしとくね?」

「言ってません」

「あはは、じゃあね」


そう言うと早瀬は身を翻し、自分の席へと向かった。伊賀もそれに続く。


「おはよ、ひまりん!」

「おはようございます、舞海さん! 何か御用ですか?」

「あ〜その、あるんだけど……」

「けど?」

「わたしが言うことじゃないかもしれないけど……もっと素のひまりんを出したら? そっちの方が絶対かわいいし、要もそう言うと思うよ?」

「……素の神原陽葵は、誰にでも出すものじゃないですよ。本当に中のいい人たちにだけ知っててもらえれば、それでいいんです」


陽葵は瞳に深い闇を落とし、言った。舞海も「ちょっと踏み込み過ぎちゃったかな」と眉を下げるだけで、詮索しようとはしない。


「……それで、用とは?」

「そうそう、それを言いにきたの!」

舞海は机の縁に手をかけ、前のめりで話し始める。

「実はわたしね、来週から週一でひーくんと登校することになってね? 多分ひーくんも今頃、要に同じ話をしてると思う」

「……なるほど?」

話の芯が見えてこず、陽葵はこてんと首を傾げた。しかし舞海は続ける。


「だから、要は週に一回誰かと一緒に学校行かない日ができるの!」

「……なるほど!」

「今日楽しかったよね?」

「楽しかったです!」

「行きたいよね!」

「行きたいです!」


舞海は「よ〜し!」と一度大きく頷くと、縁から手を離した。


「それじゃあ、一応要に聞いといて! 絶対断らないと思うけど……あ、また後で!」


ホームルーム開始のチャイムを受け、舞海はパタパタと四組へ戻っていった。入れ替わりで担任の初老が入ってきて、歳で掠れた、しかし張りのある声を響かせる。


「帰ったら、聞いてみよっと」

窓から吹き込む翠色の風に髪をなびかせ、陽葵は頬杖をつきながら笑った。

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